ハヤテは口元をゆるませて熱弁をふるいだした。
「やることなすこと無茶苦茶だけど、最高にカッコイイ冒険家だ! 俺、子どもの頃にシア・アリムスの冒険録を読んで以来ずっと憧れてたんだよ。終戦間際に消息を絶ったらしいけど、生きてたんだ……!」
「冒険録?」
「孫なのに読んだことないのか? トリエ社刊、全五巻で綴られる、シア・アリムス十七歳から二十六歳までの冒険譚! 十代男子にとっては聖典と言ってもいいな。学校の図書室にも置いてあったけど常に誰かに借りられてたぜ」
「へー……そんなの家には置いてなかったよ」
なんか、変な気持ち。おじいちゃんが有名人だってことが分かってうれしいのに、いまいち実感が湧かない。でも胸のずっと奥のほうがじんわりと熱い。
むずむずする気持ちをごまかすみたいにガレージのほうを指さして、わたしは胸を張る。
「見る? 愛機」
「あー! これダウイガーナ島で子どもに落書きされたとこじゃん! うっすら残ってる」
案内したとたんに満面の笑みであちこち眺め回したり、操縦桿を握ってじーんとした顔で黙り込んだり。楽しそうなハヤテを見てなんだか誇らしい気分。
でも、ちょっと悔しくもある。おじいちゃんはどうして自分が書いた本をわたしに読ませてくれなかったの? 可愛い孫には知られたくない秘密の話がたくさん書いてあったりするのかな。
ハヤテはわたしの想いなんて知るよしもなく、にやけた顔で操縦席から降りた。
「さっきは全然気づかなかった……サンキューカフカ。今度地元に帰ったら友達に自慢する。信じてもらえなそうだけど」
「なんか子どもっぽい」
くすくす笑うわたしに向けて親指を立てる。
「男は何歳になっても少年の心を忘れないもんなんだぜ。Byシア・アリムス」
なにそれ! またわたしの知らないおじいちゃん情報だ。
「そういえばハヤテって何歳?」
「ん? 十九歳」
「えーっもう立派な大人だ! 子どもっぽいね」
「うるせー」
髪をぐしゃぐしゃかき回されて、きゃーって笑いながら逃げ回った。お兄ちゃんがいたらこんな感じ? 胸がほかほかする。
「ってやばいもうこんな時間だ。老人って朝早いだろ? 帰らないと」
腰ベルトから下げた懐中時計を見て、ハヤテはあわてて出口へ向かう。そんなに急がなくても、もう一日くらいゆっくりしていったら? わたしの家に隠れてたらだれにも見つからないって。おじいちゃんの部屋も空いてるし……出かかった言葉を吞み込んで、いっしょにガレージを出た。
時計はもう四時。隙間の空はまだ暗かったけど、太陽は準備体操を始めている頃だと思う。ハヤテの言う通り、空が白くなってくると村のみんなも起き出すの。
岩肌に生えたきのこの明かりが二人分の影をかたち作っている。ハヤテの影はぴょんと立った三角耳がトレードマーク。わたしの影は……特徴がないや。布をかぶったおばけみたいな形。
すぅ、とシャッターの隙間をすり抜けた風が、わたしの長い髪をゆらした。白い髪の一本一本が身軽に舞って、ゆっくりと落ち着く。
「キレーな毛並みだなぁ」
頭一つぶん上から聞こえてきた言葉に、わたしはぱちぱちと瞬きをする。
「そう? そろそろ短くしようと思ってたの」
「もったいね。ヒト類の髪って伸びるのに時間かかんだろ?」
「うん。おじいちゃんが褒めてくれたから伸ばしてたんだけど、でももうおじいちゃんいないし。髪を洗うお水だってもったいないから」
「ああ、川も水道もなさそうだもんな、ここ」
川って、たしか地面の上をずっと水が流れてるところでしょ? そんなのが近所にあったら確かに髪なんて洗い放題だね。いいなぁ。
分かってはいたけど、やっぱりわたし、知らないことばっかり。空の上で暮らしてるのに広い空を見たことがないし、ヒト以外に二足歩行の生き物がいることさえ知らなかった。
地上にはもっとたくさんの『知らない』があふれているのかな。本やラジオから得た知識じゃ敵わないほどのドキドキが、そこらじゅういっぱいに……。
シャッターの向こうにある夜空に釘付けになっていた目の奥が熱くなって、しきりに瞬きをする。それでも全然熱は引かなくて、ぬるい夜の空気を思い切り吸い込んで数秒息を止めて、吐き出した。熱いエンジンを冷やすみたいに。だけどそれを何度か繰り返しても、体の熱は冷めない。
「外に出てみたいか?」
わたしの考えを見透かしたような言葉に、思わずへなちょこな顔をしちゃった。
「俺も田舎で育ったからよく分かるよ。海の向こうとか、山の裏側とか、道の先とか……見えそうで見えないものほど憧れるよな」
ふにゃけた唇を結び直してすまし顔を作る。わたしも、このシャッターと岩の向こうに憧れてる……そう返したら、ハヤテはなんて言うかな。
気になったけど、口には出さない。ハヤテはそんなわたしを優しい目で見下ろす。
「シャッターの外まで連れてってやろうか。空が見たいんだろ」
そう言われて、視線をゆっくりと前に向けた。いつも柵越しに見ていた細い道は、ハヤテが柵を蹴飛ばしたおかげでいつもより広く見えて、気をつけて歩けば全然危なくなんかないんじゃないかって思えてくる。
行ってみたい。すごく。けど足が地面にへばりついて動かない。
ずいぶん長いあいだ悩んでいたような気がする。早く行かなきゃいけないはずなのに、ハヤテはじっと黙って待っていてくれた。けど、わたしは結局首を横に振った。
「勝手に行ったら怒られそうだから」
ハヤテは「そっか」と言って笑ってみせた。倒れた鉄柵に足が触れないように軽やかに飛び越える。一瞬、こっちに向けて手を伸ばしてくれないかなって思ったけど、そんなわけないよね。『行かない』ってわたしが言ったんだから。
「ね、また来てくれる?」
ハヤテは苦笑いをする。
「無理だよ。さっき話したろ? 上に住んでるヒト類は俺たちのことが嫌いなんだ」
予想通りの答えはわたしの顔を少しだけうつむかせた。笑って「またね」って言いたかったけど、言えそうになくて、なんだか悔しい。
視界の隅でハヤテが手を動かしている。金具や布が擦れる音がして、「カフカ」と名前を呼ばれて顔を上げる。
「へいパス」
「わっ」
小さな何かがわたしの胸に飛び込んできて、とっさに抱きしめるみたいにキャッチした。
手のひらから出てきたそれは、小さなコンパス。西南西の位置に黒い矢印が書いてある。口を開けたまま目をハヤテに向けると、ゆっくりと腕を伸ばし、手に持っていたペンで岩の壁を指す。