「今日のカフカちゃんはお寝坊さんだってみんなが噂していたわ」
「この村にはプライバシーなんてものはないんだね。やんなっちゃう」
「あら、年頃の女の子らしいこと」
そう言って鈴を転がしたみたいに笑った。アリーさんはコロコロした体型と同じで、笑い方もコロコロしている。
「これはあっち」「それはここ」と合いの手みたいな指示を聞きながらカゴの中身を全部しまい終えた。アリーさんはいつも助かるわとお礼を言いながら、キッチンの上にかけてあった布をめくって見せる。中に隠れていたのはカップに入ったマフィン!
「こっちはチョコチップ、こっちはマーマレード入り」
そう説明しながらマフィンを並べてお茶を入れる。配達の日は、こうしてアリーさんが作ったおやつをいっしょに食べるんだ。
ちなみにアリーさんは食べるのが大好き。おやつが出来上がったそばから味見と称してぱくぱく食べている姿を何度も目撃しているよ。コロコロ体型の理由がよく分かるね。
「いただきまーす」
ぱくり。しっとり甘いケーキからバターがしみだして、思わず顔がほころぶ。ゴロゴロ入ったチョコチップが奥歯でコリンと砕けてほろ苦い味が広がったら、また甘い生地が恋しくなって次の一口。やっぱり美味しい。ぺろりと一つたいらげたところで、わたしは重大な事実に気づいてしまった。
「アリーさんたいへん。晩ごはんの前にどっしりしたおやつを食べちゃった」
「あらなんてこと」
棒読みでそう言ってマフィンの山頂にかぶりついた。
「だけどもう遅いわ。一度口に入れたらもう手は止められないの」
「そうだね。今日くらいいっか」
あれ? 昨日の夜もそんなことを言った気がする。
「二つ食べたらきっとおなかいっぱいになっちゃうけど、晩ごはんがお菓子っていう日があってもいいよね」
「カフカちゃんはこれで足りるの? 私は晩ごはんも食べるのよ」
「えーっ!」
衝撃の事実、第二弾。でもたくさん食べるって素敵なことだよね。おじいちゃんは死んじゃう前全然ごはんを食べられなくなってたから、なおさらそう思うよ。
口の周りに付いた食べカスを拭き取ってから二つ目に取りかかる。もぐもぐと口を動かしながらマフィンの焼き色を見ていたら、ハヤテの毛色を思い出した。
無事に家に帰れたかな? もう来ないって言ってたけど、五年後にまた会おうって約束したもんね。……約束、ちゃんと覚えててくれるかな。
「……ね、アリーさん。地上には毛むくじゃらの人たちがいるの?」
「あら」
丸メガネの奥の目がまん丸になる。
「どこで知ったの?」
「んーと……おじいちゃんが隠してた本を読んだら書いてあったの。あ、みんなには内緒にしててね。教えてくれなかったってことは内緒にしておきたかったってことなんでしょ?」
アリーさんはまん丸の瞳にわたしを映したまま口をもぐもぐと動かした。
「知らないほうがよかった?」
「……いいんじゃない? うん、いいわよぉ。私は隠し事って嫌いだもの」
ひとりごとみたいにそう言って、お茶を一口飲みニコッと笑う。
「そうなの。今の地上にはね、実は私たちみたいなヒトってあんまりいないの。昔、毛むくじゃらの人たちと大喧嘩しちゃって、私たちは空の上にお引っ越ししちゃったのね。頑固な年寄りの中には今でもそのことを許せていない人もいるのよ」
「じゃあ、アリーさんは毛むくじゃらの人たちに会ったことある?」
「あるわよぉ」
「嫌い?」
ちょっと間を置いてから、ニコッと笑って首を振る。
「いいえ。私が知っている子はみんないい子だったから」
アリーさんが何の迷いもなくそう言ったから、わたしはなんだかうれしくなった。
「そうだよね! いいなぁ。わたしも地上に行ってみたいなぁ」
うっとりと言うわたしに、アリーさんは困ったような笑顔を見せた。てっきり今までみたいにうなずいてくれると思ってたから、ちょっとガッカリしちゃった。マフィンが入っていた紙のカップを両手でくしゃりと丸める。
「アリーさんはどうしてここに移り住んで来たの? せっかく仲良しだったのに、どうして地上でいっしょに暮らしていられなかったの?」
わたしの質問にアリーさんはすぐには答えずに、目を閉じてカップを傾けた。それからふくよかな体を縮こめて肘をつき、
「色々あったの」
そう呟いて、ほんのり笑った。
色々ってなに? なーんてズケズケと聞けるほど無神経じゃないよ。そうなんだ、ってうなずいてマフィンとお茶のお礼を言っておいとますることにした。
「配達がない時でも、いつでも好きな時においでなさい」
アリーさんはわたしが帰る時にいつもそう声をかけてくれる。わたしも大きくうなずいて、石の玄関をくぐった。
空っぽになったカゴにアリーさんから預かった紙袋を入れて、帰り道と逆方向に歩き出す。長老へのおすそ分けを持っていってほしいってお使いを頼まれたんだ。
長老の家は洞窟村の一番奥にある。とはいってもアリーさんの家から徒歩二分くらいの距離だから、スキップしてでもすぐ着く。
わたしが歩く蛍光きのこに照らされた道の両脇には、鉄パイプを組んで作られた棚があって、そこにきのこの菌床が何段も置いてある。この村の人がみんなで育てている大事なきのこ棚。きのこはこの村の唯一の特産品にして大事な資金源だからね。わたしにとってはどうしてこんなありふれた物が外の世界で需要があるのか、これっぽっちも分からないけど。
きのこ棚を抜けたら長老の家が見えた。家の前に寝そべって大きなあくびをしていた長老の飼い犬のダウが、わたしのことを見るなり一目散に走り寄ってきた。キラキラ輝く黒い目を大きく開いて、遊ぼ遊ぼとわたしの手を舐め回してヨダレまみれにした。
「ダウ、待て! 荷物持ってるからまた後でね」
「フワン」
なんてお利口! さすがわたしの友達。ダウは舐めるのをやめてわたしにぴったりくっついて歩きだした。尻尾をブンブン振り回しながら激しく足踏み。爪がチャカチャカ音を立てる。
「ちょーろー」
カンカンカン! 叫びながら長老の家のベルを叩いたけど、返事はなし。
「ダウ、長老はどこ? だれかの家に遊びに行ってるのかな」
ダウはとぼけた顔で首を傾げた。そんなことより遊んでよってかんじ。仕方ないから玄関にカゴを置いて、近くにあったボールをダウに見せる。
「欲しい? 欲しい? 取ってこーい!」
うす暗い天井の真下に青いボールが線を描く。ダウの四足がぎゅっと縮まって、びよーんと前に飛び出した。物すごいスピードで石の道を駆ける。すぐに空中のボールに追いついて、うれしそうに持ってきた。
「すごいすごい。ダウは運動神経ばつぐんだね」