明けの空のカフカ

第1章 空のない空の上で ⑦

「今日のカフカちゃんはおぼうさんだってみんながうわさしていたわ」

「この村にはプライバシーなんてものはないんだね。やんなっちゃう」

「あら、としごろの女の子らしいこと」


 そう言ってすずを転がしたみたいに笑った。アリーさんはコロコロした体型と同じで、笑い方もコロコロしている。


「これはあっち」「それはここ」と合いの手みたいな指示を聞きながらカゴの中身を全部しまい終えた。アリーさんはいつも助かるわとお礼を言いながら、キッチンの上にかけてあった布をめくって見せる。中にかくれていたのはカップに入ったマフィン!


「こっちはチョコチップ、こっちはマーマレード入り」


 そう説明しながらマフィンを並べてお茶を入れる。配達の日は、こうしてアリーさんが作ったおやつをいっしょに食べるんだ。

 ちなみにアリーさんは食べるのが大好き。おやつが出来上がったそばから味見としょうしてぱくぱく食べている姿を何度ももくげきしているよ。コロコロ体型の理由がよく分かるね。


「いただきまーす」


 ぱくり。しっとり甘いケーキからバターがしみだして、思わず顔がほころぶ。ゴロゴロ入ったチョコチップがおくでコリンとくだけてほろ苦い味が広がったら、また甘いこいしくなって次の一口。やっぱり美味おいしい。ぺろりと一つたいらげたところで、わたしは重大な事実に気づいてしまった。


「アリーさんたいへん。晩ごはんの前にどっしりしたおやつを食べちゃった」

「あらなんてこと」


 棒読みでそう言ってマフィンの山頂にかぶりついた。


「だけどもうおそいわ。一度口に入れたらもう手は止められないの」

「そうだね。今日くらいいっか」


 あれ? 昨日の夜もそんなことを言った気がする。


「二つ食べたらきっとおなかいっぱいになっちゃうけど、晩ごはんがおっていう日があってもいいよね」

「カフカちゃんはこれで足りるの? 私は晩ごはんも食べるのよ」

「えーっ!」


 しょうげきの事実、だいだん。でもたくさん食べるっててきなことだよね。おじいちゃんは死んじゃう前全然ごはんを食べられなくなってたから、なおさらそう思うよ。

 口の周りに付いた食べカスをってから二つ目に取りかかる。もぐもぐと口を動かしながらマフィンの焼き色を見ていたら、ハヤテの毛色を思い出した。

 無事に家に帰れたかな? もう来ないって言ってたけど、五年後にまた会おうって約束したもんね。……約束、ちゃんと覚えててくれるかな。


「……ね、アリーさん。地上には毛むくじゃらの人たちがいるの?」

「あら」


 丸メガネのおくの目がまん丸になる。


「どこで知ったの?」

「んーと……おじいちゃんがかくしてた本を読んだら書いてあったの。あ、みんなにはないしょにしててね。教えてくれなかったってことはないしょにしておきたかったってことなんでしょ?」


 アリーさんはまん丸のひとみにわたしを映したまま口をもぐもぐと動かした。


「知らないほうがよかった?」

「……いいんじゃない? うん、いいわよぉ。私はかくごとってきらいだもの」


 ひとりごとみたいにそう言って、お茶を一口飲みニコッと笑う。


「そうなの。今の地上にはね、実は私たちみたいなヒトってあんまりいないの。昔、毛むくじゃらの人たちとおおげんしちゃって、私たちは空の上におししちゃったのね。がんな年寄りの中には今でもそのことを許せていない人もいるのよ」

「じゃあ、アリーさんは毛むくじゃらの人たちに会ったことある?」

「あるわよぉ」

きらい?」


 ちょっと間を置いてから、ニコッと笑って首をる。


「いいえ。私が知っている子はみんないい子だったから」


 アリーさんが何の迷いもなくそう言ったから、わたしはなんだかうれしくなった。


「そうだよね! いいなぁ。わたしも地上に行ってみたいなぁ」


 うっとりと言うわたしに、アリーさんは困ったようながおを見せた。てっきり今までみたいにうなずいてくれると思ってたから、ちょっとガッカリしちゃった。マフィンが入っていた紙のカップを両手でくしゃりと丸める。


「アリーさんはどうしてここに移り住んで来たの? せっかく仲良しだったのに、どうして地上でいっしょに暮らしていられなかったの?」


 わたしの質問にアリーさんはすぐには答えずに、目を閉じてカップをかたむけた。それからふくよかな体を縮こめてひじをつき、


「色々あったの」


 そうつぶやいて、ほんのり笑った。



 色々ってなに? なーんてズケズケと聞けるほど無神経じゃないよ。そうなんだ、ってうなずいてマフィンとお茶のお礼を言っておいとますることにした。


「配達がない時でも、いつでも好きな時においでなさい」


 アリーさんはわたしが帰る時にいつもそう声をかけてくれる。わたしも大きくうなずいて、石のげんかんをくぐった。

 空っぽになったカゴにアリーさんから預かったかみぶくろを入れて、帰り道と逆方向に歩き出す。長老へのおすそ分けを持っていってほしいってお使いをたのまれたんだ。

 長老の家はどうくつむらの一番おくにある。とはいってもアリーさんの家から徒歩二分くらいのきょだから、スキップしてでもすぐ着く。

 わたしが歩くけいこうきのこに照らされた道のりょうわきには、鉄パイプを組んで作られたたながあって、そこにきのこのきんしょうが何段も置いてある。この村の人がみんなで育てている大事なきのこだな。きのこはこの村のゆいいつの特産品にして大事な資金源だからね。わたしにとってはどうしてこんなありふれた物が外の世界でじゅようがあるのか、これっぽっちも分からないけど。

 きのこだなけたら長老の家が見えた。家の前にそべって大きなあくびをしていた長老の飼い犬のダウが、わたしのことを見るなり一目散に走り寄ってきた。キラキラかがやく黒い目を大きく開いて、遊ぼ遊ぼとわたしの手をまわしてヨダレまみれにした。


「ダウ、待て! 荷物持ってるからまた後でね」

「フワン」


 なんてお利口! さすがわたしの友達。ダウはめるのをやめてわたしにぴったりくっついて歩きだした。尻尾しっぽをブンブンまわしながら激しくあしみ。つめがチャカチャカ音を立てる。


「ちょーろー」


 カンカンカン! さけびながら長老の家のベルをたたいたけど、返事はなし。


「ダウ、長老はどこ? だれかの家に遊びに行ってるのかな」


 ダウはとぼけた顔で首をかしげた。そんなことより遊んでよってかんじ。仕方ないからげんかんにカゴを置いて、近くにあったボールをダウに見せる。


「欲しい? 欲しい? 取ってこーい!」


 うす暗いてんじょうの真下に青いボールが線をえがく。ダウの四足がぎゅっと縮まって、びよーんと前に飛び出した。物すごいスピードで石の道をける。すぐに空中のボールに追いついて、うれしそうに持ってきた。


「すごいすごい。ダウは運動神経ばつぐんだね」