わたしの前にボールを置いて、なんだか誇らしげ。ヨダレまみれのボールを拾って、今度は真上に投げた。ぴょんっとジャンプして、これも器用にキャッチ。フワフワの毛並みを抱きしめるみたいになでてあげる。
元気でお利口で可愛いダウ。でもちょっとだけ間抜けな時もある。ごはんを見ると人(犬)が変わったようにヨダレを垂らしながらぐるぐる回って興奮するの。
そういえばハヤテもコチちゃんを見たとたんに大興奮してたよね。男の子ってみんなそんな感じなのかな。
「ねえダウ。わたしね、昨日二足歩行のわんちゃんに会ったんだよ。ダウは会ったことある?」
「くわん」
「ダウも立ったりしゃべったりできればいいのにね」
わたしの報告なんて興味なさげに、いいからもう一回投げてーってボールを渡してきた。べたべたのボールを受け取って腕を振りかぶったら、突然ダウが玄関ドアのほうを向いて、ドアに前足を置いて後ろ足で立ち上がった。
「どうしたの?」
少し悩んでからドアを開けてあげたら、ダウはすぐに家の中に駆け込んだ。
「なんだろ。もしかして長老が心臓発作で倒れてたり?」
犬って飼い主の危険を察知したりできるらしいし、わたしは心配になってダウの後をついていくことにした。
「おじゃましまーす」
長老の家に入ってダウが走っていった突き当たりを左に曲がると、半開きになったドアの前でダウがウロウロしている。ちょっとためらいつつドアノブに手をかけると、それと同時に中からカツン、カツン、って金属の音がした。
「む、カフカちゃんなんでここに」
「あ、生きててよかったぁ」
ドアの向こうは小さな部屋で、長老がびっくりした顔でわたしを見ていた。
部屋の中央奥の壁には金属製のハシゴが打ちつけられていて、天井まで続いていた。長老はわたしと目が合うなり上に向かって追い払うような仕草をしている。
「天井に何かいるの?」
「いやいやいやなんでもない、さあ外へ行こうか。うちはホコリっぽいもんでな」
「ねえ何してたの? 隠し事?」
わたしを室外へ追いやろうとする長老の脇をすり抜けて、しゃがんで天井を見上げる。天井にぶら下がったフタのせいで見えないや。
「何も無い! 気にするな」
ぜーったい噓だ。間違いなくなにか隠してる焦りようじゃない。どうにかすり抜けられないかと隙をうかがっていると、
「おぉカフカちゃんどうした。ワシらといっしょに飲みたくなったか」
「お前出てくるなと言ったろうが!」
天井から二人目のおじい、ジョンさんが現れた。赤い顔を天井から覗かせて、フラフラしながらハシゴを降りてくる。
「二人でコソコソお酒飲んでたの? うへぇ、お酒くさい」
「カフカちゃんってば、そんなこと言わんどくれぇ。ジジイ傷つくじゃろ」
ジョンさんがくねくねしながらそんなことを言う。この人相当酔ってるよ。ちょっと呆れちゃう。
「上に隠しバーでもあるの? 美人のバーテンダーさんがいたりして」
「いんや、美人よりいいもんがあるのよ」
長老がぎょっとした顔でジョンさんに飛びかかる。だけどジョンさんは構わずヘラヘラ笑いながら、
「嵐が去った後の夕暮れは綺麗でなあ。二人で西の空を肴にしとったの。カフカちゃんもいっしょにどう?」
長老が「黙っとれって!」と怒鳴って、ジョンさんの頭をはたいた。
わたしはぽかんと口を開けて、言われた言葉をゆっくり嚙み砕く。夕暮れ? 西の空? どういうこと? ……この村の中にも外の景色を見られる場所があるってこと?
「その上、どうなってるの? 空が見えるの? わたしも見てみたい」
「いや、違う。いいからあっちに行こう。な?」
「違わないでしょ。ね、ジョンさん。そこから外が見られるんでしょ?」
「うん」
「このバカ!!」
長老はジョンさんを怒鳴りつけると、難しい顔でわたしを見た。
「なんで噓つくの? ちょっと外に出るくらいいいじゃんか」
「いかん」
いつものんびりとしている長老が、別の人みたいにきっぱりとした声でそう言った。思わず怯んだけど、理不尽さへのいら立ちが勝つ。
「なんで?」
「いいから言うことを聞きなさい。大人になるまで外には出たらいかん」
「だからなんで!」
わたしが大きな声で叫んでも、だれも答えない。さっきまでヘラヘラ笑っていたジョンさんにまで気まずそうに目を逸らされた。
すごくすごく腹が立った。自分たちはいいのにわたしはダメなの? 理由を聞いても答えてくれないのはなんで?
「……みんなで意地悪してる? わたしのこと嫌いなの?」
「そんなことはない。カフカちゃんのことが大事だから言ってるんだ」
「全然わかんない! 大事ならちょっとくらいワガママ聞いてくれたっていいじゃんか。だれかに迷惑かけるわけでもないんだから」
「いいから、もう帰りなさい」
「ヤダ。なによ色んなこと内緒にして、聞いてもごまかしてばっかりで。……わたし、地上にはヒトがいないって知ってるんだからね。毛むくじゃらの人たちが沢山いるって。みんな内緒にしてるけど、昔の人が喧嘩したせいで仲良くいっしょに住めなくなったって!」
長老が眉間にシワを寄せて低い声を出した。
「……シアの本を読んで知ったのか。だがワシらは何一つ悪くない。あのケダモノどもが裏切ったんだ」
「噓だ。アリーさんはみんないい子だったって言ってたもん」
わたしが叫ぶと、長老が目を吊り上げて拳を握る。怖かったけど真っ向からにらみ返した。
「あいつらは優しくなんかない! 昨日まで笑って話してた人間を平気で裏切るような下劣な奴らだ。本なんぞで聞きかじっただけで分かったような気になるな!」
「そんなことないもん! 少なくとも二人よりはずーっと優しいに決まってるよ!」
小さな部屋が怒鳴り声でいっぱいになった。胸がぐちゃぐちゃに苦しくなって、言葉が勝手に喉から出てくる。唇をぎゅっと結んで震えている長老と困りきった顔のジョンさんに向けて叫ぶ。
「みんなのせいだよ! わたしがこんなお年寄ばっかりの村で暮らしてるのも、歳の近い友達がいないのも、自由に外に行けないのも、全部みんなのせいだったんだ!」
怒りでいっぱいだった長老の目が悲しそうにゆがんだ。
「噓つき。分からずや! だいっきらい!」
……ひどいこと言っちゃった。そう自覚した瞬間、血が上っていた頭の中がみるみるうちに冷めていく。
「くん」