亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

第二章 彼が本当に欲しかったもの ⑧

「はい。くなった私の両親と養父が同郷で、その縁で養女に」

「へえ……」


 マルテの案内で家に入り、廊下を歩きながら、ミアスはマルテのことをサピンに紹介した。


「マルテさんもお医者様なんですよ。養父のヘーメルさんとご一緒に、皇帝陛下の医療チームにも参加していた、優秀な方です」

「そんな、優秀なんて。養父が私を引き取って、学費を出してくれたから、なんとか勉強を続けられたんです。本当は、実の両親が早くにくなって、働くしかなかったんですけど」


 照れて笑うマルテに、サピンは鋭い視線を向ける。


「ヘーメル氏は、同郷のルジュエル出身者たちに、いつもそういう支援を?」

「ルジュエル出身者は、今でも貧しい人が多いですから。養父もできる限り支援しようとしてるんです。もちろん、一人の力では限界がありますけど」

「でも、養女にまで迎えたのは、マルテさんが特に優秀だったからですよ」

「ありがと、ミアスちゃん」


 応接室に通されると、マルテは困ったような笑みを浮かべた。


「すみません、肝心の義父は、皆さんをおもてなしするって張り切っていて……準備ができるまで、少々お待ちいただけますか?」

「ふふ、それは楽しみです。ところでマルテさん、今日はどこかお出かけになるご予定が?」

「え?」

「あ、服装が外出用のようだったので」


 マルテの服装は、部屋着ではなく、旅装に近かった。マルテはうなずく。


「そうなんです。養父に引き取られる前、お世話になったご近所のおばさんがをしたらしくて、お世話をしに田舎に戻るんです。この後、すぐ家を出ます」

「すみません、そんな大変なときに……!」

「いいんですよ、私もミアスちゃんに会いたかったから」


 そう言ってマルテはおうように笑った。

 マルテが出ていくと、ミアスとサピンは、並んでソファに座る。サピンは、突然無言でミアスを見つめてきて、ミアスは顔を引きつらせた。


「何ですか、そんなにじっと見て」

「いや、仲いみたいだなと思って。マルテさんと」

「ああ。例の医学のシンポジウムのとき、マルテさんも出席されて、色々と関わったので。そのとき以来、定期的に連絡は取るようにしてますから」

「そうなのか。マメだな」


 サピンが驚いた様子でつぶやいたので、ミアスはため息をついた。


「社交は、外交官の仕事の基本ですよ。情報源との関係性は、常に深めておかないと」

「確かに、基本は大切だな……」


 ミアスは脱力した。本当にこの男は、よく外務省に採用されたものだ。

 そのとき、部屋の外から、ガラガラ、ガシャンと何かが落ちる音が聞こえた。次いで、ちょっと、何してるのおさん! とマルテのあきれる声がする。

 ミアスとサピンは顔を見合わせ、部屋を出て音がした方に向かった。音がしたのは、キッチンからであった。


「大丈夫だ、ちゃんと自分で片付けるから」

「そんな暇ないでしょ、ミアスさんたち待たせてるんだから!」


 キッチンをのぞくと、マルテが床に散らばった調理器具を片付けていた。どうやら、さっきのはこれを落とした音らしい。その奥では、小柄な老人が、何やら料理をしている。その男こそ、スキルパ・ヘーメルであった。

 ヘーメルは、ミアスに気づいて笑顔を向けた。


「おお、ミアス君、久しぶりだな!」

「は、はい、ご無沙汰しております」

「今、ルジュエル名物のリンゴのケーキを作っているんだが、久々で手間取ってしまってね。もう少し待ってくれ」

「おもてなししたいのはわかるけど、お客さん待たせてまでやること?」


 マルテはまだあきれているが、ヘーメルも申し訳なさそうな笑みを浮かべる。


「いや、申し訳ない。どうしてもこのケーキを食べてもらいたくてね。本当にしいんだ」


 その柔らかい笑みに、ミアスは、自分の気持ちがほぐれるのを感じた。

 今日の交渉は、絶対に、緊張感をはらんだものになる。ミアスとヘーメルの関係性に亀裂が入る可能性すらあった。ヘーメルが、それを見越して、空気を和らげようとしてくれているのがわかったのだ。

 スキルパ・ヘーメルは、そういう人だった。他国の外交官であるミアスとも、上辺だけではない信頼関係を作ろうと努力する、そういう大人なのだ。

 ミアス、サピン、そしてヘーメルがケーキを持って応接室に戻ると、マルテがスーツケースを手に廊下から顔を出した。


「では皆さん、私はこれで」

「ああ、すまなかったな。おばさんによろしく」

「はい。じゃあ、ミアスちゃん、またゆっくり話そうね!」

「はい。マルテさんもお気をつけて」


 マルテが去ると、ヘーメルは、二人にケーキと茶を配った。


「ささ、どうぞ。冷めないうちに」

「では、いただきます!」「どうも……」


 ミアスははっきりと、サピンはボソボソと言うと、お互いケーキを口に運ぶ。

 一口食べて、ミアスはその美味に驚いた。カリカリとした生地は、一口むと柔らかく崩れ、リンゴの程よい甘味と酸味が広がる。


「これ……とてもしいです!」

「だろう。ルジュエルの名物でね。お祝いのとき、これを食べるのが楽しみだったんだ」


 ヘーメルは自分もケーキを食べながら、満足そうに笑った。


「帝国は豊かな国だが、食文化はルジュエルにはかなわんな」

「そうなのですか?」

「ああ。何だかんだ言っても、帝国は懲罰地帯が多いからね。『教会圏』寄りのルジュエルに比べれば、農産物の豊かさは遠く及ばんよ」

「そうなのですね。勉強になります」


 それはミアスも知っている基本的な知識だったが、ここは知らない振りをして相手をおだてる場面だった。さらに、ヘーメルに同調してルジュエルを持ち上げるべきかしゆんじゆんする。会話の流れ的に、ルジュエルを賞賛すれば、帝国をけなすことになりかねない。返答に迷っていると、意外にもサピンが会話に入ってきた。


「確かに、帝国は文化面では貧弱ですね。勢力の全盛期は、侵略した地域の文化を吸収しましたが、所詮は借り物だ」


 そしてミアスは驚きに言葉を失った。サピンは、よりによって帝国人の関係者の前で、帝国批判をしたのである。サピンの舌は止まらない。


「帝国貴族の服装や建築がやたらゴテゴテしてるのも、『教会圏』国家へのコンプレックスの現れでしょうね。一代で富を手にしたなりきんが、晩年に芸術に凝り出すのと一緒だ」

「ちょ、ちょ、ちょっと、あなた何言って」

「ん? どうした」


 そうはくになるミアスを、サピンは不思議そうに見る。ミアスはヘーメルの顔を見られなかった。まずい。何とかフォローして空気を和らげねば、交渉どころではない。


「あっはっはっはっは! 言うじゃないか! ええと、アエリス君! いいねえ、君」


 が、意外にも、ヘーメルは声をあげて笑った。表情も、無理をしている風には感じられず、本気で面白がっているようだ。


「確かに、帝国貴族の文化は、私もあまり好きではない。だが、変に大国ぶるようになる前の帝国は、なかなか捨てたものではかったぞ」

「ほう、そうなのですか」


 サピンは興味深げに身を乗り出す。


「ああ。要は戦闘民族だからね、帝国は。武人の文化はなかなか格好いい。あとは、酒のつまみがい」

「それは私も同意します」

「お、そうか」

「酒に合わせる味の濃い小皿は、断然帝国ですね。『教会圏』のは上品すぎる。味が薄い」

「それは確かにそうだ!」


 気づくと、サピンとヘーメルは意気投合していた。ミアスは、握りしめたフォークでサピンを突き刺したい衝動をこらえながら、社交用の笑顔で二人を見守る。背中には汗がにじんでいた。