亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

第三章 会議室の武士 ⑦

 小さく笑みを浮かべていると、扉がノックされた。バタイユが入室を許可すると、陰気な顔をした、影のように存在感が薄い男が入ってくる。


「失礼します。帝室保安局のウイグです」


 男は暗い声で言うと一礼した。内務省、帝室保安局。要はスパイ組織だ。拉致、暗殺、後ろ暗いこと全てを引き受けている連中で、仕事柄なのか、皆影のような暗い雰囲気をまとっている。


「ご苦労。このリストを」


 バタイユは短く言って、例の署名をウイグに渡した。


「はっ。これは?」

「今日、アルトスタ外務省から渡されたものだ。連中の主張する『ルジュエル地方分割案』に賛成する帝国有力者の署名でな」


 バタイユの説明で、ウイグは全てを察したようだった。


「つまり、裏切り者のリストですな」

「そう捉えてもらってかまわん。使い方は、帝室保安局の好きなように」

「はっ。有効に利用させていただきます」


 ウイグは敬礼した。バタイユは顔をしかめた。帝室保安局に裏切り者のリストを渡せば、使い方など一つしかない。それはすなわち、暗殺である。あの署名の中の何人が、生きて週末を迎えられるだろうか? 少なくとも、スキルパ・ヘーメルに無事な未来はあるまい。

 きっと、平和ボケしたアルトスタは、帝国がここまでやるとは想像もしていないだろう。


「では、失礼します」


 ウイグはそう言って背を向けたが、珍しげに部屋を見渡す。


「……壮観ですな。これだけのものを集めるとは。さすが、元帝国軍の英雄、バタイユ殿です」


 帝室保安局の人間にしては珍しく、ウイグの言葉にはかすかな感情がのぞいていた。

 バタイユの執務室は、一見すると、がいきようの部屋とは思えない。サーベル、やり、魔石武具など、様々な時代、場所の武器が壁に飾られているのだ。さっきのづえも、このコレクションの中の一つだった。さながら軍事博物館の様相を呈している。

 バタイユは自嘲的な笑みを浮かべた。


「別に、私に軍人としての才能はなかったよ。見せ方はかったがな。現に今も、元軍事的英雄という過去を強調することで、帝国の強硬的な外交姿勢をアピールしているに過ぎん」

「そのような考えがおありだったのですか」

「私を、ただの戦争好きだと思っていたか?」

「いえ……」

「逆だよ。私は、戦争などせんで済むように、この仕事をやっている」

「そうなのですか?」


 ウイグの感情の乏しい顔に、驚きが浮かぶ。バタイユは笑って外を眺めた。見えるのは、帝都の街並みだ。見かけはそうごんだが、昨今の軍事費拡大で疲れきっている、ハリボテのような街。


「そうだよ。帝国は……今はまだ、戦争などしてはならんのだ」



 夜は静かにけていた。

 スキルパ・ヘーメルは、居間で晩酌をしながら、読書を楽しんでいた。通いのメイドも帰ったので、今、家には自分一人だ。

 養女のマルテは、もう地元に着いたころだろうか? おばさんの調子は大丈夫だろうか? 明日になれば、魔石の通信で連絡がくるはずだ。

 赤ワインのグラスを揺らしながら、つまみのサラミを口に放り込むと、強い塩気と香辛料が舌を刺激する。帝国の民衆に愛される、伝統的なつまみだ。

 先日来た、サピンというアルトスタの外交官を思い出す。彼は、食に関して、中々いい趣味をしていた。一緒に酒を飲むのも面白いかもしれない。

 面白い若者だった。ルジュエル地方の『分割案』について、独特の提案で、あっという間にスキルパを賛成に回してしまった。ミアスのような、正しい外交官の姿勢とは違うかもしれないが、得体の知れない力を感じる男だ。

 ふと、カレンダーを見る。今日は、ルジュエル地方問題について、帝国とアルトスタの交渉が行われる日だった。スキルパは、アルトスタに賛成に回ったものの、正直、彼らの計画がくいくとは思っていなかった。帝国は、臣民の声にいちいち耳を傾けるような国ではない。また仮にくいったとしても、自分の帝国における地位は終わりだろう。医師会の会長は解任となり、帝国中央病院の職も失うかもしれない。

 別に、それで構わないと思っていた。サピンの案に賛成したときから、覚悟はできている。ルジュエル地方に移住して細々と開業医でもやればいいし、いっそ引退してしまってもいいかもしれない。娘のマルテは巻き添えだが、きっと賛成してくれるだろう。

 自分は十分頑張った。一文なしで故郷を追われ、帝国で差別を受けながら、ここまでがったのだ。そろそろ、故郷で悠々自適の第二の人生を考えてもいい頃だ。

 玄関で、ドアがノックされる音が鳴り、スキルパは顔をあげた。こんな時間に客などいるだろうか? 気のせいだと思い、無視して本を読み続ける。

 すると、今度はかなり強くドアがノックされた。やはり気のせいではない。


「……なんだ?」


 スキルパはげんに思って立ち上がる。若い頃は、よく急患でたたこされたものだが、今の彼はそんなことはない。廊下を歩く間も、断続的にノックは続く。

 明らかにおかしい。もしかして、マルテに何かあったのだろうか? 不吉な予感に胸が騒ぐ。

 玄関に来ると、外から扉を開けようとしているのか、ノブがガチャガチャと動いている。


「待ちたまえ! 今開ける!」


 スキルパは早足で扉に近づき、扉を開けた。


「……なんだね? こんな時間に」


 思わず口にしたスキルパの言葉には、かすかに非難の色が交じっていた。

 扉の前には、二人の若者が、引きつった顔で立っていた。ミアス・レゲールと、サピン・アエリスだ。深夜の来客は、アルトスタの外交官だった。

 ミアスは泣きそうな顔になり、膝に手をついてうつむいた。


「よかった〜……間に合いましたね……」


 サピンも腰に手を当てて大きく息を吐く。


「ああ……まあ、取り越し苦労かもしれんけど、それならそれで……」

「さっきから何だと言うのだね? 二人だけで話されてはわからんぞ」


 スキルパはいらちを隠さず言った。儀礼にのつとったスマートな社交をむねとする外交官が、夜中に押しかけるなど聞いたことがない。ミアスは少しあせった様子で顔をあげた。


「あ、はい、すみません、ご説明もせずに……! 夜分遅くすみませんが、これから一緒に、アルトスタの大使館に来ていただけませんか?」

「大使館に? 何でまた」

「それが……本日、ルジュエル地方に関する帝国とアルトスタの交渉は、決裂しました。『分割案』は帝国に拒否されたんです。それで……」

「単刀直入に言います。ヘーメルさん、あなたの命が危ない」


 サピンが有無を言わさぬ口調で割って入った。スキルパは驚いて振り返る。


「私の命が?」

「はい。我々は、帝国という国を甘く見ていました。今の帝国は、世界を力で支配するつもりです。裏切り者となったあなたを、生かしておくとは思えない」


 夜の帝都を、一台の馬車が駆け抜けていた。馬車には、サピン、ミアス、そしてヘーメルが乗っている。サピンたちは、帝都の中心部にある、アルトスタ大使館へ向かっていた。

 サピンは、馬車の窓から外を見た。徐々に、窓の明かりや街灯の数が増えてきたように思う。道路が舗装されているのか、馬車の揺れも小さくなってきた。帝都の中心部に近づいてきたのだ。サピンはあんのため息をつく。

 ヘーメルの家から帝都までは、魔石軌道車で移動せざるを得なかったが、かなり危険だった。帝国の刺客が同じ列車に乗り込んできたら、逃げるすべがない。人の目の多い市街地まで来たら、さすがに安心していいだろう。


「しかし、参ったな」