亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

第三章 会議室の武士 ⑩

 サピンは、その光景をぼうぜんと眺める。現実とは思えなかった。大の男が、自分よりはるかに小さな少女に投げられた上に手首を折られ、痛みでのたうっている。

 場の動きが止まったのは一瞬だった。ラジャは、男が落とした魔石武具を拾うと、すさまじい速さでサピンに駆け寄り襟首をつかむ。


「え?」


 そのまま、ものすごい勢いでサピンを引きずって走りだした。シャツの襟で息が詰まるが、体を動かすこともできない。歩道の縁石にぶつかったのか体が大きく跳ね上がり、そのまま地面にたたきつけられる。サピンは背中とももの激痛で声も出せなかったが、状況を把握しようと必死に顔をあげる。ラジャとサピンは大通りの歩道で街路樹の陰に隠れていた。通りには一台の馬車がまっていて、刺客の仲間とおぼしき二人の男がこちらを見ている。

 ラジャがサピンの頭を地面に押さえつけた。その瞬間、すぐ頭上を、空を切る甲高い音が通り過ぎた。敵が【ふうじん】を撃ってきたのだ。

 敵の【ふうじん】の射撃は続いた。空を切る音がサピンの頭上をいくつも通り過ぎ、街路樹の幹や石畳に鋭い切り込みが入る。ラジャは街路樹の幹に背中をつけながら、拾った敵の魔石武具を口元に近づける。


風刃エル・グラデイオ十連カンテイーヌ・デチエム


 その声は、普段大使館で過ごすときと変わらず冷静そのものであった。ラジャは、街路樹から顔と腕だけを出して魔石武具を刺客たちに向けた。魔石が青く輝き、魔石から【ふうじん】が十発連続で射出される。風のやいばが馬車の車体に鋭い切り傷をつけ、男の一人が胸から血を噴き出して倒れた。【ふうじん】が直撃したのだ。

 激しい【ふうじん】の応酬が始まる。サピンは頭を抱え、ひたすら身を低くすることしかできなかった。頭上を鋭い風切り音が通りすぎるたび、死に神が背中をでていく気がする。

 が、戦いは長く続かなかった。窓に明かりがつき、人々が顔を出していた。騒ぎに気付き、近隣の人々が騒ぎ始めたのだ。これ以上注目が集まるのを恐れたのか、刺客たちは、手首を折られた男が起き上がって合流したのを合図に、仲間の死体を回収し、車に乗って去っていく。

 戦いは、終わったようだった。頭ではわかっていたが、顔をあげるにはかなりの勇気が必要だった。恐る恐る、身を起こす。通りは、燃やされた馬車の炎で赤く照らされていた。風にのってかすかに煙の臭いが届く。

 ラジャは、魔石武具を通りの方に投げ捨てた。魔石武具は、硬い音を立てて何度か弾んで、道の真ん中で止まった。

 サピンは、ラジャの背中を見つめる。かける言葉が見つからなかった。ラジャの胸の内側の青い光が、ゆっくりと弱くなっていき、やがて消える。一連の出来事は、頭が処理できる限界を越えていた。傷の痛みすら忘れていた。今頭を支配しているのは、ラジャが、少女とは思えない異様な力を発揮し、刺客を撃退した、という事実である。

 ラジャの【ふうじん】で、刺客が一人死んでいた。確認したわけではないが、あの傷では助かるまい。もちろん、相手が先に襲ってきたのだから、そのことを責める気は全くないが、にしても驚きを隠せない。同じ状況になったとき、自分は、あのようにちゆうちよなく人を撃てるだろうか? 自分は、ラジャの素性について、大きな誤解をしていたのではないか?

 ラジャは、サピンを見て介抱するような素振りを見せたが、驚きの視線を向けられていることに気付き、気まずそうに目をらした。


「サピンさん! どこですか? サピンさん!」


 ミアスの声が聞こえて、振り返る。大使館の門から、ミアスに連れられ職員たちが出てきたのだった。皆、通りの惨状に凍りつくが、サピンの姿を見つけ駆け寄ってくる。


「サピンさん、大丈夫ですか! ……ラジャちゃん? 何でここに?」


 ミアスは驚いて立ち止まった。ラジャは目を伏せて答えない。


「窓から俺の様子を見て、心配して出てきてくれたんだ」


 サピンは、えてそれ以外の出来事を隠すように言った。さっきのことは、誰にも知られるべきではないと思ったのだ。


「おいアエリス! してるじゃないか!」


 ミアスの背後にいたクルンバンが、サピンの脚の傷を見て悲鳴を上げる。


「俺は大丈夫だよ……それより、ヘーメルさんが……」


 サピンがヘーメルの方を見ると、ミアスたちもその視線を追い、顔を引きつらせる。

 全てが、あっという間の出来事だった。さっきまで乗っていた馬車は燃え続け、サピンは重傷を負い、スキルパ・ヘーメルは死体となって路上に転がっている。


「……これが、外交官の仕事なのかよ」


 ぼうぜんつぶやいたクルンバンに、答える者はなかった。だが、否定する者もいない。クルンバンのその一言は、サピンを含む、その場にいる全ての人間の思いを、代弁していたのだった。