亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~
第四章 神なき地で交わす約束 ②
それから、二人は資料収集に奔走した。と言っても、サピンは脚の痛みでほとんど使い物にならず、動いたのはミアスだ。ミアスは圧倒的な処理能力で、サピンの望む資料を大量に集め、途中からサピンはそれらを読むことに集中した。そして、一つの真実に辿り着く。
「見つけたぞ……弱者が強者を抑え込む方法を」
サピンは、血走った目である新聞記事を見ながら、思わず
「それは、どういう……」
ミアスも緊張した表情で尋ねるが、サピンの耳には入っていなかった。痛みと興奮で汗が流れる。確かに、糸口は見つけた。だが決定打がない。今のところ、これはサピンの推測でしかないのだ。そんなあやふやなものでは、国の外交方針を変えられるわけがない。
「クソ……ヘーメルさんが生きていたら……いや、もっと早くこの事実に気付いていれば、彼をみすみす殺させることなんかなかったのに……どうすればいい」
サピンの頭にある、ある推測。その推測を事実にしてくれるのが、スキルパ・ヘーメルだった。だから、ヘーメルは帝国に殺されたのだ。気づくのが遅すぎた。
「サピンさん、さっきから一体何なんですか? いい加減話してくれても……」
ミアスはさすがに困惑が
「ああ、いや、ごめん……あ」
サピンは顔を上げてミアスと向き合い、その瞬間、ヘーメルと交わしたある会話が頭をよぎった。『アルトスタに亡命するにあたって、一つ、条件がある……』。
「あ! まだ手はある! 残ってる!」
サピンは絶叫してミアスの肩を
「サ、サピンさん!?」
「でも時間がない! このままじゃヘーメルさんの二の舞だ!」
サピンは見開いた目をミアスに近づけ、唾を飛ばしながら叫んだ。
「ミアス! 一つ頼みがある!」
*
エンシュロッスは、大使館の執務室の自席にぐったりと座っていた。
大変な一日だった。昨夜、大使館の目の前でスキルパ・ヘーメルが殺害され、馬車に同乗していた外交官二名までもが襲撃されたのだ。
外交問題になりかねない、重大事件だった。当然、帝国政府には厳重な抗議を行ったが、帝国は知らぬ存ぜぬの一点張りで、型通りの謝罪と、金銭的な保証を約束しただけだ。
エンシュロッスは、胃に不快感を覚え、腹を押さえる。ルジュエル地方に関する交渉は、完全に暗礁に乗り上げた。アルトスタ本国では、もう交渉による解決は不可能として、割譲の方向で調整が進んでいる。一部右派が反発しているようだが、折れるのは時間の問題だろう。来月辺り、外務大臣を含めて、正式な調印が行われるはずだ。
長年アルトスタのものだった広大な土地を、自分のせいで、帝国に奪われるのだ。そして何より、国土の真北に、帝国の領土を作ってしまう。それは、来るべき帝国のアルトスタ侵略の
エンシュロッスはため息をついて頭を抱える。自分は大使として、ルジュエル問題に何の存在感も示せなかった。それどころか、キャリアに大きな汚点を残しただけだ。
「
そう言って、自嘲的な笑みを浮かべる。大使の職は、任期を待たずに更迭となるだろう。これまで地味ながら堅実に外交官人生を送ってきたが、二度と出世コースには戻れまい。今の外務大臣は、与党内の派閥人事で選ばれた、世渡りが
そのとき、少し乱暴に扉がノックされた。こんな遅い時間に誰だろうと、眉間を
「大使。お話があります。お時間よろしいでしょうか」
エンシュロッスは己の不機嫌を制御できず、強い言葉で答える。
「疲れているんだ。急ぎでなければ、明日にしてくれないか」
「いえ、急ぎです。今でも遅すぎるくらいです」
エンシュロッスは思わず顔をあげる。仮にも大使である自分にあまりに遠慮のない態度だが、ヘーメル説得の実績もあるし、彼が意味のないことは言わないとも知っている。
「何だね?」
サピンはゆっくりデスクに近づいてくると、手をついて身を乗り出した。
「大使。ルジュエル地方問題について、帝国への最終回答までまだ一ヶ月あります。もう一度交渉し……いや、戦いましょう」
エンシュロッスは、サピンの目が据わっていて、しかも
「その件については……もうこちらの打てる手は全て打った。だが、帝国には話し合う意志はない。もう手詰まりなんだよ」
エンシュロッスは投げやりに言った。サピンは確かに優秀だが、ルジュエル問題を動かす方法がまだあるとは思えない。
「……戦争は、政治的目的を達成するための手段、とはよく言ったものです。ならば、我々のような武力を使わない外交官の仕事もまた、戦争の線分上にあるのかもしれません」
サピンは遠くを見ながら、
「何だね、急に」
「我々は、帝国と戦っているのだ、という意識が足りなかったんですよ。だから、帝国を説得することに
「それができれば苦労はないよ! レトリックを弄んでいても、それこそ戦いには勝てんだろう」
エンシュロッスは語気を強めて言った。
「はい。今の状況は、貧弱な軍事力という弱点を抱えるアルトスタが圧倒的に不利です。だから帝国は、話し合いなどせず暴力で奪い取る、という選択肢が取れる。その状況をどうひっくり返すか。受け身に回っていれば、我々に
エンシュロッスははっとして顔をあげた。
サピンは、そんなエンシュロッスを無視して語り続ける。
「俺は、今回のルジュエル地方問題に関する帝国の行動は、全体的にかなり急いでいる印象を受けました。拙速ですらあると言ってもいい。無理な増税による軍事費拡大、わざとらしいほどの軍備拡張のアピール……おかしいと思いませんか? 帝国は最初から、軍事力においてアルトスタに圧倒的に
エンシュロッスは、顎に手を当てて
「なるほど……アルトスタと戦争になるのを恐れている、か。確かに、一理あるかもしれん。しかし、今の帝国にそんな理由があるというのか?」
「あるんですよ、それが!」



