亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

第四章 神なき地で交わす約束 ⑥

 遠目に見ると、それは一枚の巨大な円盤に見えた。が、接近すると、かなり特異な形状をしていることがわかる。中央にえんすいけいの巨大な塔があり、その周囲に、四つの扇形の構造物がついているのだ。それはあたかも、四枚の花弁を持った、巨大な花のように見えた。そんな異形のものが悠々と飛行する様は、見上げる人に、空に蓋をされたかのような威圧感を与える。

 この研究所は、ノヴァ・テクタ・ルウェンティスの飛行試験場でもあるのだった。要塞の真下には、海とまがうような巨大な湖が造られ、濁ったみなを波立たせている。魔石飛行艇は、機体への負担を減らすため、基本的に水上で発着するが、このように巨大な要塞となると、発着用の湖も尋常ではない大きさが必要となるのだった。


「何か、信じられないですけど……私たち、今から、あそこに乗り込むんですよね」


 隣で、顔を引きつらせたミアスが、誰に言うでもなくつぶやいた。

 あのノヴァ・テクタ・ルウェンティスこそ、今日の交渉の舞台であった。帝国はあろうことか、交渉の会場に、要塞内の会議室を指定してきたのだ。


「皆、落ち着け。いつもの帝国のハッタリだ。派手な兵器で我々を脅しているだけだ」


 エンシュロッスが立ち上がり、皆の方を向いて笑顔で言ったが、そう言う彼自身、無理しているように見えた。空飛ぶ巨大な花は、それだけで、人の根源的な恐怖を呼び起こす力を持っている。

 飛行艇は、徐々にノヴァ・テクタ・ルウェンティスに近づいていった。そして、近づくほどに、その大きさが実感される。地上にも、ここまで巨大な建造物はそうない。

 飛行艇は高度を上げ、ノヴァ・テクタ・ルウェンティスの上に回った。花弁に似た構造物は、中央の塔の下部に取り付けられているが、塔の上部に、それとは別にひさしのような小さな板が張り出している。もっとも、小さいというのは要塞全体と比較してという意味で、近づくと十分に大きい。その板は、要塞の飛行艇発着デッキであった。

 発着デッキには、四機分の停泊スペースが用意されていた。もっとも、プールを作るわけにもいかないので、地面に張られた巨大な網の上に着陸することになっており、二隻の飛行艇が既に停泊している。アルトスタの飛行艇も、空いているスペースに着陸する。

 すぐに帝国兵たちが出てきて、鎖で飛行艇を固定し、タラップを運んできた。アルトスタの面々が飛行艇を出ると、いきなり強風が吹き付ける。デッキは、周囲に手すりがあるだけの、屋根も壁もない裸のスペースだ。それなりの広さがあり、落ちる危険こそないものの、少し怖い思いをしながら、デッキの付け根にある入り口から要塞内部に入る。

 中に入ると、一行は、ロビーのようなスペースで、帝国兵に、あらかじめ提出していた交渉団の名簿との照合をされた。すると奥から、見覚えのある男が部下を引き連れて近づいてくる。帝国外務省、アルトスタ担当の、レナード参事官だ。


「お待ちしておりました、エンシュロッス大使殿、皆様」

「どうも、レナード参事官」


 エンシュロッスが代表して、レナードと握手を交わす。レナードは、窓からアルトスタの飛行艇を見て、わざとらしく眉をひそめた。


「わざわざ飛行艇をご用意いただかなくても、お迎えに上がりましたのに」

「お構いなく。こちらも、この機会を情報収集に利用したいですからな」

「抜け目がないことで! 大国におびえる小国の知恵、というやつですかな」

「いえ。私はそこまで気が回らなかったのですが、優秀な若手からの進言がございまして」


 エンシュロッスはそう言ってサピンを見た。レナードは、それが先日ラジャを取り返そうとしてやり込められた若手だと気づき、不愉快そうに顔をゆがめる。

 当初の予定では、ノヴァ・テクタ・ルウェンティスへの移動は、帝国が用意した飛行艇を使用することになっていた。だがサピンは、行き来にはアルトスタの飛行艇を使用し、その操縦士はアルトスタ軍の人間を起用するよう主張した。帝国は渋ったが、結局、操縦士が飛行艇を降りないことを条件にそれを認めた。飛行艇内の操縦士と副操縦士は、今頃、飛行艇内から見える範囲で、要塞の様子を観察、撮影しているはずだ。


「会議室までご案内します」


 レナードが歩き出し、アルトスタの面々もそれに続く。

 サピンは立ち止まったまま、窓の向こうの、飛行艇の方を振り返った。


「サピンさん、どうしたんですか!」


 皆と距離が開き、ミアスがげんそうにサピンを呼ぶ。


「ああ、ごめん。今行く」


 サピンは笑顔を作ると、小走りで皆に追いついた。


「おお、こういう風になってるのか……」「意外と狭いんだな」「床、すごい薄そうだけど、抜けたりしないよな……」


 アルトスタの面々は、帝国軍人の案内で、要塞の内部を進んだ。皆、今は恐ろしさよりも興味が勝っているようで、キョロキョロと周囲を見回している。

 要塞の廊下は、要塞自体の大きさに反して、大人がすれ違うのがやっとの狭さだった。床も壁も鉄板がしで、安っぽい印象を受ける。

 入り組んだ道順は複雑で、迷ったら自力で帰れそうにない。分かれ道やドアは無数にあるが、厳しい顔をした兵士が立って塞いでおり、機密をのぞることは無理そうだ。

 やがて、先導の軍人が立ち止まり、一つのドアを開いた。レナードが振り返り、わざとらしい笑みを浮かべる。


「こちらです」


 中に入ると、そこは要塞の中とは思えない、広々とした、大きな机のある会議室だった。壁の一つは全面が窓になっていて、外の景色を見渡せる。机の一方には、既に帝国の外務省関係者が整列していた。


「いかがでしたかな、大使。我が軍最新鋭の魔石要塞は」


 低く艶のある声が響き、サピンは声の方を見る。帝国側の席のもっとも上座に、ルー・バタイユがいきようが立っていた。しわの刻まれた顔に、自信に満ちた笑みが浮かんでいる。


「はい、実に壮観ですな。お招きいただきありがとうございます」


 エンシュロッスも笑顔で答えた。サピンは緊張で脇に熱い汗がにじむのを感じる。他の面々も、皆顔をこわらせていた。正直言って、心は揺らいでいる。魔石式空中要塞ノヴァ・テクタ・ルウェンティスの、圧倒的な迫力のせいだ。実際に搭乗して受ける威圧感は、映像とは全く違った。こんなものを手に入れた国と、正面から対立などしていいのだろうか? ラジャの言う通り、尻尾を巻いて、どこか遠くに逃げた方がよかったのではないか?

 サピンは自分の弱気をいさめるように、爪が食い込んでてのひらが痛むほど、強く拳を握り締める。


おじくな……俺は、俺の仕事をする!)



「操縦席から観察したところで、情報なんて取れるもんなのかね」


 ノヴァ・テクタ・ルウェンティスの飛行艇発着デッキの出入り口に隣接した、兵士の詰所。当番の兵士たちが、窓から、停泊するアルトスタの交渉団の飛行艇を監視していた。

 現状、ノヴァ・テクタ・ルウェンティスは試験段階にあり、ほとんど研究所の上空に浮いているだけである。乗員の交代やゴミの回収などしか用がないため、地上と行き来する飛行艇も少ない。普段は警備らしい警備などしていないが、今日はさすがに警戒を強化し、小隊規模の兵力が投入されているのだった。だが、たかだか外交官を乗せてきた飛行艇への警備としては、多すぎるくらいだ。


「馬鹿なやつらだよ。もう少し待てば、こっちから攻め込んでやるのにな」

「違いない」


 兵士たちはそう言って笑い合う。発着デッキから、要塞内部に続く出入り口は、彼らが厳重に見張っている。操縦席にいる兵士たちが突破するなど不可能であった。