亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

第四章 神なき地で交わす約束 ⑦

 だが、しかし。アルトスタの飛行艇には、帝国も、アルトスタのメンバーすら知らない、もう一人の人間が乗り込んでいた。

 機体の後部、ほこりっぽい貨物室の中。荷物の隙間で、小柄な少女が、息を潜めている。

 ラジャである。

 ラジャは、窓のない貨物室で、外の気配に静かに聞き耳を立てていた。

 サピンが、要塞へ行く際にアルトスタの飛行艇を使用するよう主張したのは、情報収集のためではなかった。ラジャを連れていくためだ。サピンとラジャは、前日のうちに飛行艇に行き、貨物室にラジャを潜入させていたのである。このことは、他の交渉メンバーも、操縦席の軍人たちも知らない。

 皆が出て行ってから、それなりの時間がすぎていた。ラジャは、ポケットから一枚の紙を取り出す。それは、この要塞、ノヴァ・テクタ・ルウェンティスの図面だった。要塞は、えんすいけいの中央塔に、扇形の四枚の羽根のようなブロックが接続された形をしているが、図面には、その中央塔の正面と側面の断面図が記載されている。

 これは、以前開催されたノヴァ・テクタ・ルウェンティスの初飛行式で、来賓に配布されたものだ。サピンが、要塞に入るなら最低限の情報が必要だと大使に進言し、入手させたものらしい。初飛行式に招かれたのは帝国の上流階級であり、大使館の外交官とは顔見知りが多く、入手は難しくなかったとのことで、そこはさすが外交官である。図面は、交渉メンバーだけに渡されるものだったが、サピンは一部多く複製してラジャに渡した。

 中央塔は、上から十の階層に分かれていた。図面には、それぞれの階層の部屋や機能、不時着時に外に出るための非常口が描かれている。ただ、機関部など重要な設備が集中している下層は情報が少なく、特に第九階層と第十階層はほぼ空白だ。

 今飛行艇が停泊しているデッキは、第三階層に当たる。ラジャはこれから、要塞の最下部、第九階層より下を目指すことになっていた。

 ラジャは図面をポケットに突っ込むと、かたわらの大きなバックパックから、防具と、いくつかの魔石、そして魔石をセットする金属の棒、魔石武具を二本取り出した。防具は、薄い鉄板と分厚い絹を重ねた対魔石戦闘用で、ベスト、前腕用、すねように分かれており、それぞれを素早く装着する。魔石には、護身用の魔石技術が記術されていた。二本の魔石武具に、それぞれ魔石をセットして腰にるし、残りの魔石はベストのポケットに入れる。再びバックパックを背負い、荷物を踏み台にして天井の非常用ハッチを開き、飛行艇の屋根から顔を出す。

 吹き付ける風に、長い髪がなびいた。そこまで高空ではないが、遮るもののないデッキは強風にさらされている。

 ラジャは、兵士に見つからないよう髪を押さえ、周囲を観察した。デッキの停泊スペースは、合計四機分あり、二機分が二列並んでいる。アルトスタの飛行艇は、要塞から見て右の列の奥で、他に停泊中の一機は、ラジャの右斜め前にある。

 要塞への入り口の窓からは、数名の兵士がこちらを監視しているのが見えた。あそこから入るのは無理だ。強行突破しようと思えばできるが、戦闘はできるだけ避けるようにサピンに言われている。

 ラジャは、魔石武具を口元に近づけた。


空弾エル・ブレ


 魔石を、対角線上に止まっている飛行艇に向ける。魔石が青く輝き、空気の弾が発射され、飛行艇の操縦席に直撃しガラスが砕け散った。空気の塊を射出する、攻撃系魔石技術、【くうだん】である。


「なんだ! 何が起こった!」「ガラスが割れたのか?」「船の故障か?」


 兵士たちが騒ぎ出し、入り口から数名が飛行艇に駆けつける。

 ラジャの胸が、青く光った。

 ラジャは飛行艇から飛び降りると、着地と同時に、中央塔に向かって駆け出した。が、入り口は目指さず、デッキの端に向かって斜めに疾走する。デッキの端に着くと、手すりを飛び越え、そのままデッキから中央塔を目掛けて跳躍した。

 全身が浮遊感に包まれ、たたきつける強風で何も聞こえなくなる。次の瞬間、ラジャは激突するように中央塔の外壁に取り付いた。が、えんすいけいの塔の傾斜は思ったより急で、ラジャの体は斜面を滑り落ちていく。胸の内側の光が強くなり、ラジャは鋼鉄の外壁を握り潰すかのように指を立てた。指先が外壁との摩擦で熱くなり、滑落は止まる。

 強い風に吹かれ、ラジャの長い黒髪がなびいた。

 眼下には、要塞の発着用の巨大な人工湖が、茶色いみなを波立たせている。斜め上を見上げると、発着デッキがひさしのように空を隠し、大きな影を落としていた。


「お、おい……今、アルトスタの船から、走っていく人影が見えなかったか?」


 詰所の中で、一人の兵士がつぶやくように言った。同僚の兵が驚いて振り返る。


「人影? じゃあやっぱり、今ガラスが割れたのはアルトスタの仕業か? どんなやつだ?」


 すると、兵士は急に自信なさげな態度になった。


「それが、小さな、髪が長い、多分女の子で……」

「子供? ……で、どこだよ、その子供は?」

「それが……飛び降りた」

「はあ?」

「いや、本当に。あっちの端まで走っていって、柵を乗り越えて、そのまま下に降りた」

「……お前、疲れてるんじゃないか?」


 同僚は明らかに信じていなかった。それに、目撃した兵士自身、半信半疑だったのである。アルトスタが工作員を紛れ込ませることはあり得るが、まさか子供を連れてくることはないだろう。まして、デッキから飛び降りるなどありえない。運良く中央塔に取り付けたとしても、急斜面の外壁に止まることなど不可能だ。

 それから、兵士は一応この件を上官に報告し、数名で発着デッキの下をのぞんだが、当然ながら、子供の姿など見つかるはずもなく、見間違いとして処理されたのだった。



 ラジャは、要塞中央塔の壁に張り付いて、息を潜めていた。位置は、先程の地点から少し移動した、飛行艇発着デッキの真下である。ここなら、デッキの上からは、かなり身を乗り出さないと見ることはできない。

 しばらく様子を見ていたが、発見された様子はなかった。

 そろそろ大丈夫かな……。

 ラジャは視線を横に向けた。視線の先には、えんすいの中央塔の外壁が、緩やかに湾曲しながら続いている。ラジャは、ここよりずっと下、第九階層にある、ある部屋を目指していた。まずは外壁を水平に移動して、図面から推測したその部屋の直上に行き、それから壁を下っていく。

 外壁の傾斜は、六十度から七十度くらいで、普通の人間ならその場にとどまるだけでも厳しい角度だった。だがよく見ると、装甲と装甲の間の隙間や、露出した配管など、外壁には意外と凹凸があり、ラジャの身体能力なら移動は難しいことではない。そもそも要塞の下は湖なので、落ちたところでラジャにとっては危険ではなかった。

 だからラジャは、警備の厳重な要塞の中ではなく外を通るルートを使うよう、サピンに指示されているのである。

 もっとも、仮に強行突破しか侵入する方法がなかったとしても、ラジャはそれを選択していただろう。ラジャには、この要塞の最下層で、何としてもやらねばならないことがあった。

 ラジャは、慎重に、一歩足を踏み出す。

 自分は、自分の使命を果たすだけだ。