亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

第四章 神なき地で交わす約束 ⑩

 その瞬間、ガタン、と部屋全体が揺れた。ミアスは驚いてサピンを見るが、大きな揺れが収まると、今度は小刻みな振動が続く。


「一体何だ? この揺れ」

「あ、あれ……」


 ミアスはぼうぜんと窓の方を指差した。窓の外の景色が、ゆっくり動いている。が回るように、要塞がその場で回転しているのだった。

 バタイユはおもむろに立ち上がると、窓の方に歩いていった。


「エンシュロッス大使のご意見は、帝国とアルトスタが戦争になった場合、泥沼の長期戦になる、という前提に組み立てられている。確かに、その通り長期戦になれば、我々は内憂外患を抱える厳しい状況に追い込まれるでしょう。だが我々は、貴国との戦争が、そう長引くとは思っていないのです」


 要塞の回転が止まった。窓の外には、土と懲罰地帯がまだらの平地が延々と続く。


「皆様に、お見せしたいものがあります」

「見せたいもの?」


 エンシュロッスが言うと、会議室の扉が開き、帝国軍人が数名入ってきた。彼らは、席を順々に回り、何かを配って歩く。サピンにもその順番が回ってきた。差し出されたものを受け取ると、それは、黒眼鏡だった。遮光用のサングラスだ。

 バタイユはまどぎわに立ち、一同を振り返った。


「我々は、伝説の兵器、【ちようばつ】の魔石技術を復活させました。これより、その試射をご覧に入れます」

「ちょ、【ちようばつ】ですと!?」


 アルトスタ側の出席者が騒然となる。

ちようばつ】の魔石技術。かつて、世界を焼き尽くし、大地の大半を黒い砂漠に変え、人類を滅ぼしかけた、伝説の魔石技術である。だが、それはあくまで伝説の中の技術であって、開発に成功したという話は聞いたことがなかった。


「【ちようばつ】なんて……そんなもの本当にあるんですか?」


 ミアスも驚くより困惑している様子だが、サピンは答えなかった。


「強い光がございます! 皆様、お配りした黒眼鏡の着用をお願いいたします!」


 軍人の一人が叫んだ。帝国陣営は当たり前のように黒眼鏡をかけ、アルトスタ陣営も慌てて続く。サピンも、震える手で、黒眼鏡をかけた。緊張で、心臓が怪しく高鳴る。

 ノヴァ・テクタ・ルウェンティスは、えんすいけいの中央塔に、四枚の平衡翼が付いた、巨大な花のような形状をしていた。

 会議室で、サピンたちに黒眼鏡が配られたのとほぼ同時。その中央塔の底の部分が、ゆっくりと音を立てて、開き始めていた。完全に開放されると、えんすいの最下部は空洞になっていて、洞窟を思わせる深い闇が広がっていたが、暗闇の中からゆっくりと、六角形の巨大なプレートが降りてくる。プレートは、支柱によって塔からるされ、地面に対して垂直になる。

 プレートの片面は、うつすらと青く光っていた。表面に、無数の魔石が埋め込まれているからだ。数百、いや数千でも足りぬ量の魔石がプレートに埋め込まれ、不気味な輝きを放っている。

 魔石たちは、ゆっくりと、その輝きを増していった。平衡翼の陰になって薄暗かった要塞下部は、やがて周辺を上回る光量を発し、やがて直視できないほどの光が地上を照らす。

 そして、そのときがきた。限界までめた水が、あふすように。

 強烈な光が、プレートの表面でぜた。

 光は一筋の線となって彼方かなたに走った。そして遠く離れた大地に突き刺さると、太陽を直視したときに似た白い光が爆発し、周囲を塗り潰した。

 輝きは、一瞬であった。人々の視力が戻る頃には、大地には、巨人のような煙の柱が立ち上っていた。続いて、低く内臓を揺さぶるごうおんが響く。

ちようばつ】の魔石技術。

 それは、かつて世界を滅ぼした、神の懲罰の再現であった。


「これが、【ちようばつ】……」


 サピンは、黒眼鏡を外し、窓の外、はる彼方かなたに立ち上る、巨大な煙をぼうぜんと見つめた。悪夢のような光景だった。要塞から発した光の線が、地平線付近に着地したと思うと、巨大な爆発が起こった。その後、雷鳴のように、僅かに遅れてごうおんが響いた。


「皆様、遅れて衝撃波がきます! 近くのものにおつかまりください!」


 帝国軍人の一人が叫んだ。サピンは慌てて周囲を見回すが、つかまるものなどないので、しゃがんで椅子をつかむ。やがて、遠くの爆発地点を中心にして、白い円のような模様が広がっていき、徐々にこちらに近づいてくるのに気づいた、次の瞬間。

 要塞が揺れた。


「わっ!」


 ミアスが後ろで小さく叫んだ。サピンも、椅子をつかんで床に足を踏ん張る。揺れはそれほど大きくはなく、カタカタと小さな揺れが続き、やがて止まった。バタイユは、つえをついているとはいえ、平然とまどぎわに立ったままだ。


「おお……何度見ても素晴らしいですな!」「帝国軍、万歳!」「万歳! 万歳!」


 帝国側の人間は興奮した様子で叫び、拍手が巻き起こる。アルトスタ陣営は、ぼうぜんとして固まることしかできなかった。異様な光景であった。ある光景を、一方は称賛し、一方はこの世の終わりのように受け取っている。

 バタイユは、自分の席に戻ってくると、周囲の拍手を手で制した。


「いかがでしたかな? 【ちようばつ】の魔石技術は。人類のえいを感じるでしょう」


 エンシュロッスは、バタイユの言葉に応えられなかった。ただ、おびえた様子で目を見開いている。バタイユは、返事を待たずに続けた。


「しかし、あれは強力だが、金がかかるのが玉にきずでしてね。さっきの試射一発で、『外縁』の小国の国家予算並の金がかかっている。できれば使いたくなかったのですが、あなた方が、間違った前提で議論を進めようとしているのは、訂正する必要がありますからな」


 バタイユは、ゆっくりと自分の席に座る。


「あなた方は、帝国とアルトスタの戦争が、泥沼の長期戦になると思っている。だから、帝位継承という弱みを抱える我々が、戦う選択肢を選ばないと思っているのでしょう? だが、我々はそんな段階にはいない。【ちようばつ】があれば、ルジュエル地方を手に入れることなど……いや、アルトスタの首都、インタレッセを落とすことすら一瞬なのですよ」


 エンシュロッスは唾を飲み込んだ。バタイユは無表情にエンシュロッスを見下ろす。


「ではエンシュロッス大使、もう一度聞きます。まだ我々の要求……ルジュエル地方の返還を拒みますか?」


 ノヴァ・テクタ・ルウェンティスの中央塔は、上から十の階層に分かれているが、第十階層は、【ちようばつ】の発射プレートの格納に使われているためほぼ空洞だった。巨大な建造物を飛行させる各種技術や魔石は、第九階層にある機関室に集約されている。

 機関室は、無数のパイプ、計器、魔石を格納した機器が敷き詰められ、機械が発するごうおんで、会話もままならない空間だった。第九階層の大半をぶち抜いて造られた部屋だが、物が密集しているので広さを感じない。

 中では、作業をする機関士たちに加え、小隊規模の兵士が見張りについていた。と言っても、実戦に出ているわけでもなく、敵や侵入者が来るはずもなく、緊張感はない。

 ある二等兵は、先輩兵とペアになり、パイプとパイプの間の狭い通路に立っていた。先輩兵が、興奮した面持ちで話しかけてくる。


「さっきの音と振動、気付いたか?」

「はい、変わった動きをしたようですが、何なのですか?」