「【懲罰】の魔石技術、発射されたらしいぞ」
「本当ですか!?」
「少尉に聞いたんだけど、今日、アルトスタの外務省の連中に見せるために、試射が行われたらしいよ。見たかったなあ」
先輩は恍惚とした表情を浮かべるが、後輩が顔を強張らせているのを見て、眉を顰めた。
「なんだ、お前は見たくないのか?」
「じ、自分は、少し恐ろしいです」
「なんで。これで帝国が強くなり、憎き統一政府の支配から抜け出せるんだぞ?」
「それはそうですが、【懲罰】の魔石技術はさすがに……」
二等兵の故郷は田舎で、家族は熱心な教会の信者だった。帝国が強くなるのは嬉しいが、【懲罰】を使うことまではさすがに抵抗がある。
「頭の固い奴だな。真面目に教会なんて信じても、戦争には……ん?」
先輩兵は、違和感に言葉を止めた。轟音に交じって、カン、カン、と、何か硬い物が床を転がる音がする。音は、二人から少し離れた場所で止まった。音の方を見ると、拳大の半透明の青い石が、通路の中程に落ちている。魔石だ。
次の瞬間、魔石が爆発するように閃光を放った。
「うわっ! な、何だ!」
慌てて顔を覆うが遅く、強烈な光で視界が真っ白になる。【閃光】の魔石技術。目眩ましに用いられる、非致死性の戦闘用魔石技術だ。
め、目が! 前が見えない! 何が起きた! 状況を報告しろ!
投げ込まれた【閃光】は一つではなかったようで、機関室の至る所で光と悲鳴が上がる。二等兵は、慌てて魔石武具を構えながら、痛む目を何とかこじ開ける。
「敵襲! 敵襲だ! 総員警戒! 機関士は近くの出入り口から退避!」
小隊長の怒鳴り声が聞こえた。おいマジかよ、と、隣で先輩兵が呟く。二等兵も同じ気持ちだった。まさか、空飛ぶ要塞の中で戦闘が発生するなど、想像もしていない。アルトスタの交渉団が刺客を連れてきたのか? だが仮にも外交交渉の場で、そんなことをするだろうか?
塊のような強風が、顔の真横を通り過ぎた。驚きで身をすくめると、強く肉を叩くような音が鳴り、先輩兵がうめき声と共に半回転して床に倒れる。
「せ、先輩!」
先輩兵が立っていた方向を見る。パイプを隔てた隣の通路に、人影があった。
「エ、風刃!」
悲鳴をあげるように詠唱し、魔石武具を人影の方向に向ける。魔石から【風刃】が発射されたが、人影には届かず、パイプに傷をつけただけだった。影は走り去る。
「大丈夫ですか! 先輩!」
先輩兵を抱き起こすと、口から血を流して気を失っていた。頰が殴られたように赤い。おそらく、空気の弾を発射する魔石技術、【空弾】の直撃を受けたのだ。命に別状はないが、しばらく起き上がれまい。
新米兵は唾を飲み込み、立ち上がる。これは現実だ。侵入者が、自分たちに攻撃を仕掛けている。気になるのは、今見えた人影が、かなり小柄だったことだ。
「まさか……子供?」
が、その疑問を検証している暇はなかった。
エ、風刃! 風刃!
う、うわあ!
そっちに行ったぞ! 気をつけろ!
敵は速いぞ! 単発では無理だ! 散弾型を使え!
戦闘が始まっていた。機関室の轟音に、兵士の悲鳴、怒号、【風刃】と【空弾】が飛び交う風切り音が響き交ざり合う。新米の彼は、指示を乞う先輩を失い、完全に混乱していた。機関室は見通しが悪く、状況が把握できない。しかし、少しずつ味方が減っているのは雰囲気でわかった。恐怖で心臓の鼓動が速まる。敵は何人いるのだ? 装備は? 今どこにいる?
その場から動けぬまま時間が過ぎ、気づいたときには戦いの気配は無くなっていた。周囲には、機関室の轟音だけが淡々と響き、あたかも静寂だと錯覚しそうになる。二等兵は荒い呼吸をしながら周囲の気配を探る。誰の声も聞こえない。味方は皆やられてしまったのだろうか?
二等兵は走り出した。戦うためというより、恐怖でじっとしていられなかったからだ。通路の端まで行くと、角を回り、隣の通路に躍り出る。倒れている味方の体を飛び越えて走る。それを繰り返す。
そして彼は、目の前に現れた光景に立ち止まった。通路の中間辺りに、二人の兵士が倒れている。その先に、長い黒髪の少女が立っていた。顔は見えない。だが、彼の中では、一つの認識が繫がっていた。こいつは、さっき一瞬だけ見えた子供だ。やはり、攻撃してきた侵入者はこいつだったのだ。
「風刃・散弾型!」
詠唱と共に魔石武具を構えると、魔石から細かい無数の風の刃が放出された。散弾型に修飾された【風刃】である。
少女は腕で顔を覆い守りの姿勢になった。刃の突風はその上半身に直撃し、長い黒髪がなびき、切断された細かな毛が散らばる、が、少女は倒れない。二等兵は、少女が前腕と胴体に魔石戦闘用の防具を装着していることに気づいた。これでは散弾型風刃は通らない。
今度は、少女が魔石武具を口元に近づけて詠唱し二等兵に向けた。二等兵は身構えるが、少女の魔石からは何も出てこなかった。魔力切れである。魔石の持つ魔力が枯渇し、魔石技術が発動しないのだ。少女は魔石武具を捨て、こちらに向かって走り出す。
「風刃!」
二等兵は詠唱し魔石武具を構えた。今度は散弾ではない通常の【風刃】で、あの程度の防具なら貫通する。この狭い通路では回避も無理だ。魔石が青く輝いて、彼は勝利を確信する。
二等兵の魔石から、風の刃が射出された。
が、次の瞬間、信じ難いことが起こった。少女は、【風刃】を、避けた。疾走の勢いを止めることなく、首を微かにかがめて刃をやり過ごし、そのまま走り続ける。
それは、詠唱のタイミングと魔石武具の角度から計算した、圧倒的な動体視力と反射神経の為せる業だったが、そんなことを彼が知ることはなかった。少女は、腰から別の魔石武具を取り出し、口元に近づけ詠唱した。
「電撃」
魔石に、雷に似た閃光が走った。少女は二等兵の懐に入り、電流を帯びた魔石をその腹部に押し当てる。
全身に電流が流れて筋肉が硬直し、二等兵は棒のように床に倒れた。薄れゆく意識の中で、せめて敵の顔を見ようと視線だけ動かす。そこには、まだ十代半ばにしか見えない少女が、無表情に自分を見下ろす姿があった。この子供は、一体何者なのだ? これが、たった一人で機関室を制圧した敵なのか? そんなことが、あり得るのか?
そのとき、ある一つの考えが彼の頭に閃く。
彼女はもしかすると、【懲罰】という禁忌の技術を使った自分たちを戒めに来た、神の使者なのではないだろうか。
その考えは、敬虔な彼にとって自然なものであった。その妙な納得感に、抵抗の意思も、恐怖すら覚えることなく、彼は意識を失った。
機関室に、機械が駆動する轟音だけが鳴り響いていた。