亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~
第四章 神なき地で交わす約束 ⑫
ラジャは、肩で息をしながら周囲の気配を探る。どうやら、戦える兵士はもういないようだ。機関室は完全に制圧した。歩き出そうとして、痛みに顔を
ラジャは防具のポケットから魔石を取り出し、傷に近づけた。
「
魔石が輝き、傷が塞がっていく。【
ほとんど負傷をせずに、ここまで来ることはできた。目標はもう目の前だ。
だが、順調などとは言えない。前を向くと、無数の機械で入り組んだ通路が続いている。この先に、この要塞の、そして【
自分は、間に合わなかった。
【
空中要塞『ノヴァ・テクタ・ルウェンティス』の会議室は、沈黙に包まれていた。熱気と狂騒を無理やり押さえつけた、爆発寸前の沈黙である。
【
サピンは、手の中のコップに半分ほど入った水を見つめる。手が震えているのか、要塞全体が揺れているのかわからないが、水は小さく波打っていた。
「【
隣に座ったミアスが、
「これで、私たちの交渉は完全に破綻しましたね」
ミアスはそう言ってサピンを見た。顔には、やけくその笑いが浮かんでいる。
「だってそうでしょ? 私たちは、『泥沼の長期戦になれば、帝位継承争いを抱える帝国の方が不利』という前提に立って、理論を組み立てていた。でも、【
そこまで言って、ミアスは口をつぐんだ。続きを言うのが恐ろしくなったのだ。サピンは返事をせず、正面を見る。
「では、皆様。時間も迫っておりますので、そろそろ交渉を再開できますかな?」
バタイユが穏やかな声で言った。エンシュロッスは
「これから申し上げるのは、我々の
サピンは、周囲のアルトスタの同僚たちを見回した。皆、目を見開き、固唾を
まずいな……。
サピンはコップを握りしめる。皆、完全に
「私たちは、こんな恐ろしいものを、相手にしようとしてたんですね」
ミアスが誰に言うでもなく
「サピンさん。国外逃亡するときは、私もご一緒しますよ」
サピンは目を閉じる。普段のミアスなら絶対に言わない言葉だった。もう限界だ。
そのときだった。部屋全体がガクンと揺れ、一瞬、尻が椅子から浮いた。コップの水がこぼれ手が
「な、何……?」
隣で、ミアスが不安そうに
「な、なんだ?」「まだ動くのか?」と他の皆も不安そうに声をあげる中、サピンはあることに気づいた。コップに残った水が、傾いている。水面が、斜めになっているのだ。
だが、それは間違いであった。斜めになっているのは、水ではない。自分たちの方だ。
再び、今度はもっと大きな揺れが来た。サピンは椅子にしがみつき、コップが床に落ちて水がぶちまけられる。そして会議室は、もう勘違いのしようがないほど完全に斜めになっていた。皆が悲鳴をあげ、それぞれ机や壁につかまっている。
「な、何なのですかこれは! 何が起こったのです!」
エンシュロッスが叫ぶが、誰も答えなかった。帝国の面々も、この事態に動揺しているのだ。バタイユも、顔を
また要塞が大きく揺れ、傾きがさらに激しくなった。窓の向こうには、人工湖の
いや、その考えは逆だった。
自分たち、つまりこの要塞の方が、大地に近づいていっているのだ。
サピンは立ち上がった。
「この要塞……落ちてるぞ!」
その叫びで、皆が現実を認めた。会議室は騒然となった。
「だ、誰か、状況を報告せよ! どうなっているのだ!」
バタイユですら取り乱して叫ぶが、軍人含め、状況を把握している者は誰もいない。皆があたふたする間に、地面は近づいてくる。
サピンはしゃがんで椅子につかまり、隣のミアスを気遣った。
「ミ、ミアス、大丈夫か!?」
「この状況で大丈夫な人なんています!?」
ミアスも壁に身を寄せて叫ぶが、サピンの顔を見て、表情を引きつらせる。
「なに……笑ってるんですか?」
「え?」
自覚はなかった。サピンは、据わった目で、笑みを浮かべていたのだ。
また激しい揺れがあり、地面の迫る速度が上がった。会議室に悲鳴が飛び交い、幹部たちも床に転がっている。窓の外には、発着用の人工湖の
サピンは椅子を握りしめて固く目を閉じた。
永遠と思えるような一瞬の後。
激しい振動で、体が浮いた。上下が逆になり、頭上に床が見える。血液が逆流するような不快感が体をかけ巡ったかと思うと、直後、全身が床に
「いっ……!」
金属の
どれくらいの長い時間、そうしていたのかわからなかった。



