亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

第四章 神なき地で交わす約束 ⑬

「……サピンさん? 大丈夫ですか?」


 声に目を開けると、すぐ隣に、ミアスの頭があった。こんなときでも整った美しい顔が、サピンを見つめている。サピンは体を起こした。全身が痛む。脚の傷も開いているようだ。


「あ、ああ、大丈夫……ミアスは?」

「わ、私も大丈夫です。体をぶつけましたけど。いったい、どうなったんでしょう」


 もう、要塞の動きは止まり、平衡も取り戻していた。周囲では、皆も不安そうに起き上がり始めている。部屋は薄暗くなっていた。魔石系統が壊れて明かりが消えたのだ。視界の端で、エンシュロッスの長身が体を起こすのが見えた。


「が、がいきよう、ご無事ですか!」

「う、うむ……」


 バタイユは、若い士官に支えられて起き上がっている。帝国の人間も皆、事態をめずにぼうぜんとしていた。

 部屋の外で、けたたましい警報の鐘が聞こえた。兵士たちの叫び声や、走り回る足音も聞こえてくる。

 誰にも、疑う余地はなかった。

 ノヴァ・テクタ・ルウェンティスは、墜落したのだ。

 けんそうの中、サピンだけは、冷静に周囲の様子を窺っていた。至る所で人々が痛みを訴えている。骨折して起き上がれない者もいるようだが、この部屋には、死者や重傷者はいないらしい。

 バタイユは、苦々しい表情でエンシュロッスに頭を下げている。


「すみません、エンシュロッス大使。アルトスタの皆様に、おはございませんか?」

「わ、私は大丈夫です。バタイユ殿もご無事で何より……いったい、何が起こったのです?」

「詳しいことはわかりません。お招きしておいてこのような失態、お恥ずかしい限りです」

「そんな……帝国軍も完全無欠ではないと知れただけで、収穫ですよ」


 エンシュロッスの言葉に、バタイユは一瞬不快そうに眉をひそめるが、すぐに表情を殺した。


「何をしている! 早く外に避難させろ!」


 怒鳴り声に振り返る。会議室の入り口付近で、怒鳴り散らす帝国の官僚を、軍人が必死に止めていた。


「お待ちください! 皆が一度に移動すると危険です!」

「ならいつまで待てばいいのだ! 要塞が沈んだらどうする!」

「被害状況の確認ができるまでは……それに、脱出のボートの用意も必要です!」


 どうやら、すぐに外には出られないようだ。交渉メンバーは、しばらくこの部屋で待機することになる。サピンは口元にゆがんだ笑みを浮かべる。


「サピンさん……?」


 ミアスに話しかけられ、サピンは振り返った。


「だ、大丈夫ですか? 顔色が……」


 言われて、サピンは初めて自分がすごい顔をしていたことに気づく。手が震えていた。自分がこれからしなければならないことは、わかっていた。ただ、実際にそれを行うことは、さすがに勇気が必要だった。

 バタイユも入り口の様子を見て、エンシュロッスに振り返った。


「とにかく、交渉は続けられませんな。崩落や火災の危険もありますし、準備ができ次第、外に避難いたしましょう」


 出入り口付近では、軍人たちが忙しなく行き来していた。状況確認が済み、ボートの用意ができたら、要塞の外へ避難が始まるのだろう。そうなれば、なし崩しで交渉は終わる。

 やるしかない。サピンは、大きく息を吸った。


「バタイユがいきよう! 少しよろしいでしょうか!」


 会議室にいる全員が、サピンの方を振り返った。バタイユは驚いた表情でこちらを見つめている。兵士たちすら、一時作業を中断してサピンを見ていた。


「やはり、帝国の言い分はめません! 我々は、ルジュエル地方を譲ることはありません」


 会議室が、静寂に包まれた。サピンは唾を飲み込み、続ける。


「そう何度も同じ手は通じませんよ、がいきよう。これまであなたの戦略は一貫しています。圧倒的な軍事力によってアルトスタを脅し、戦わずして要求をませる。あなたにとっては、『戦わずに済ませる』ことこそが最優先であり、これ見よがしに並べられた武器は、全て虚仮おどしなのです。『ノヴァ・テクタ・ルウェンティス』の威容も、【ちようばつ】の魔石技術の圧倒的な威力も、その延長に過ぎなかった……」

「な、何を馬鹿な!」


 割って入ったのは、レナード参事官だった。


「墜落はたまたまだ! 帝国の力をもってすれば、こんなものすぐに再建でき……」

「いえ、それは無理だ」

「な……!」

「なぜなら……このおおな空中要塞も、【ちようばつ】の魔石技術も、帝国が自力で開発したわけではないからです。要塞は発掘した設計図を元に見よう見まねで作っただけのハリボテで、【ちようばつ】だって、撃つことはできても、構文の解析すらできていないんでしょう?」


 サピンの言葉に、会議室は爆発するようなけんそうに包まれた。ある者は驚き、ある者は怒りでサピンを糾弾する。それら全てをサピンは無視した。


「たまたま発見した【ちようばつ】は、不具合だらけだった。我々をだますための試射はできても、実戦に使えるようなものではなくその調整もできない。兵器としては使い物にならない状態だ」


 サピンはそう言い切ると視線をバタイユに戻す。バタイユの表情からは何の感情も読み取れないが、反論もしてはこない。


「サ、サピン! 何を言っているんだ!」


 慌てて駆け寄ってきたのは、エンシュロッスだった。


「自分のやっていることがわかっているのか! 何を勝手なことを!」


 エンシュロッスはサピンの肩をつかむ。サピンは冷や汗をかきながら、真剣な表情でにらかえす。


「自分がしていることはわかっているつもりです。その上で、お願いします、大使」


 エンシュロッスは言葉に詰まる。サピンの瞳は、理性をたたえていた。やけくそになったわけでも、錯乱しているわけでもない。


「勝算はあります。少しでいいから、俺に話させてください」


 サピンは祈るようにエンシュロッスを見つめる。


「し、しかし……」

「この状況を見てください。帝国に、要塞や【ちようばつ】を扱う技術がないのは明らかです。でも今引いたら、もうばんかいのチャンスはありません。アルトスタ政府は、【ちようばつ】を恐れて弱腰な対応をするでしょう。だから、今この場で、帝国に【ちようばつ】を扱う力がないことを認めさせないといけない」


 エンシュロッスは言い返さず、硬直した。サピンの肩をつかんだ手が震えている。

 そのまましばらく目を閉じて何かを考えていたが、やがて、笑顔を作って振り返る。


「バタイユがいきよう。こちらはうちの若手なのですが、中々面白いやつでしてね。少々失礼ではありますが、優秀な外交官です」


 バタイユは眉をひそめる。エンシュロッスのこめかみにも、一筋の汗が流れていた。


「どうです? 交渉は中断していて、どうせ議事録にも残りません。扉が開くまで時間がかかりそうですし、余興として、この男の話を聞いてみては!」


 再び議場がざわめく。ぜんだいもんの出来事だった。議事が止まっているとはいえ、今までかべぎわに座っていたような若造にしやべらせるなど、ありえない。


「ふふ、ふふふふ……」


 サピンは、一瞬何が起こったのかわからなかった。バタイユは、軽くうつむいて、喉の奥から空気の抜けるような音を出している。バタイユは、笑っているのだった。