亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

第四章 神なき地で交わす約束 ⑭

「ふふふ、いや、失礼。いいだろう、認めよう。話を聞こうではないか。そこに座りたまえ」

「が、がいきよう!? そんな!」


 レナードが制止するが、バタイユは無視してサピンに自分の向かいの席を示した。

 う、うそ……。ミアスが小声でつぶやくのが聞こえる。サピンは小さく息を吸うと、歩き出し、バタイユの向かいに座った。

 床が傾き、机も椅子もぐちゃぐちゃになった会議室。斜めになった机を挟んで、巨大な帝国のがいきようと、小国の落ちこぼれの若手官僚が、向かい合った。


「名前を聞こうか?」


 バタイユが顎をしゃくると、サピンは笑みを浮かべて言った。


「在帝国アルトスタ大使館総務部庶務班、サピン・アエリスです」



 時は遡り、十日前。

 深夜、大使館の食堂のテラスで、サピンはラジャと向かい合っていた。アルトスタは負ける。だから遠くへ逃げろ。サピンは、ラジャにかけられた言葉の真意を測りかねていた。


「どういうことなんだ? ……アルトスタが、負けるというのは」


 ラジャは感情の読めない瞳でサピンを見据えた。


(帝国は、皆さんが言う【ちようばつ】の魔石技術と、その運用のための、空飛ぶ要塞を持っています。今の国家では対抗できません。戦いになったら負けます)


 さすがにアルトスタ語では伝えきれないのか、ラジャは古語で言い、サピンは理解に少しの時間を要した。古語だったからではない。むしろ、古語は勉強し直していたので、言葉自体は聞き取れていた。問題は、内容があまりに荒唐無稽だったことだ。


「【ちようばつ】って……なぜ? いや、どうやって? 帝国が、そんな、伝説上の存在を開発したっていうのか?」

(開発したんじゃありません。発掘したんです。帝国は、【ちようばつ】の魔石技術と、要塞の設計図を発掘し、実用化を目指しています。まだ実戦には使えませんが、きっと時間の問題です)


 鼓動が速まっているのが、自分でわかる。サピンは唾を飲み込んだ。


「……じゃあ聞くが。ラジャは、なぜそんなことを知っている」

(私も、一緒に発掘されたモノだから)


 ラジャは、取るに足らない身の上話でもするように答えた。サピンは僅かにあと退ずさりして、ラジャの無表情な顔を見つめる。さまざまな疑問が沸騰して頭を埋め尽くすが、言葉にできたのは、ごく単純な、一つの質問だけだった。


「ラジャ……お前は一体……何者なんだ?」


 ラジャは、唐突に上着のボタンを外し始めた。サピンは驚くが、ラジャは構わずに胸をはだける。そして現れたものに、サピンは目を見開いた。ラジャの胸の中央、喉の下辺りの肌が円く切り取られ、青い石が埋め込まれている。魔石だ。


(この胸の魔石には、筋力の増強、傷の治癒、代謝の制御、免疫力の強化などの魔石技術が記術されています。どの技術も、現代には残っていないものです)


 サピンは吸い寄せられるように、ラジャの胸の魔石を見た。一見するとアクセサリのようだが、よく見ると、魔石周辺の肉は生々しく盛り上がり、摂理に逆らってねじ込まれた異物であることがわかる。透き通っているはずの青い石の奥は、夜より暗く、見通せない。


(私は、現代の人間ではありません。生きていたのは、今から数百年前……同じように、魔石で体を強化された仲間たちと、『フォンスヴィーテ』という組織に属していました)

「フォンス、ヴィーテ?」


 その言葉には聞き覚えがあった。確か古典教会語で、〝命の泉〟という意味だ。


(当時は、人々が【ちようばつ】の魔石技術を撃ち合って戦い、世界が滅びかけていた頃で……フォンスヴィーテの使命は、砂漠化した過酷な世界で、滅亡寸前の人類が生きていくのを助けることでした。私たちは、魔石の力を使って、土地を耕し、町を造り、時には、国も法律も無くなった世界で、秩序を守るために戦っていました)


 サピンは何も言えず、ぼうぜんとラジャを見つめる。それは、帝国が【ちようばつ】を発掘したという以上に非現実的な話だったが、疑う気にはならなかった。むしろ色々なことがつながる。数日前、大使館前で襲われたときに見せた異常な戦闘能力。胸の青い光。なぜ、古語しかしやべれなかったのか。

 ラジャは、現代の人間ではなかった。古代に生まれ、古代の魔石技術によって強化された人間だったのだ。


「そうか……すごい話だが……なんと言うか、に落ちた気はする。でも、発掘されたっていうのは? その胸の魔石の力で、冬眠でもしてたのか?」

(いえ。元々私たちは、使命を終えたら、全員、自ら命を絶つことになっていました)

「……え?」


 ラジャの口調があまりに淡々としていたため、サピンは一瞬聞き違いかと思った。ラジャは、サピンの戸惑いに気づく様子もなく続ける。


(私たちは、この胸の魔石をはじめとして、昔の優れた魔石技術を沢山持っていました。その中には、【ちようばつ】のような強力なものも含まれていて……それらを当時の人類に渡すのは、危険すぎました。だから私たちは、人類が私たちなしでも生きていけるようになったら、危険な技術と一緒に、この世界から消えることになっていたんです)


 ラジャはあくまで当然のように語り、その姿は、サピンには、熱病のときに見る夢のようにゆがんで見える。ラジャは、そっと自分の胸の魔石に触れた。


(あの日、私は……【ちようばつ】を含む、全ての魔石技術を消して、仲間たちと一緒に死んだはずでした。でも、なぜか私だけ、死ねなかった。胸の魔石技術が消えておらず、長期の生命維持が働いてしまって、生き残ってしまった。しかも、消したはずの【ちようばつ】まで不完全ながら残っていて、帝国が発掘してしまった……帝国は、【ちようばつ】を使えるようにするために、一緒に発掘した私に、調整させようとしました。協力を拒否すると拷問されましたが、なんとか隙をついて逃げ出し、アルトスタ大使館に保護を求めたんです。そして私は、ここにいます)


 そこまで語ると、ラジャは口をつぐんだ。サピンは、ボタンを留め直すラジャを見ながら、どうが激しくなり、吐き気が込み上げるのを感じる。

 フォンスヴィーテ。【ちようばつ】によって滅びかけた世界で、人類を助けるために作られた組織。〝命の泉〟を意味する名前の通り、砂漠化した世界で、人々のどころになるようにと願って生み出されたのだろう。

 だがその泉から湧き出るものは、文字通り、ラジャたちの命だった。フォンスヴィーテは、人類再生のためだけに生き、涸れることまであらかじめ予定された、使い捨ての泉なのである。

 ラジャは、今後の人生でやりたいことも希望も持っていなかったが、そんなのは当然だ。ラジャたちは、そもそも自分の人生を生きるという発想を持っていないのである。彼らにとっては、使命の終わりが、命の終わりをそのまま意味するのだから。

 大使館前の戦いで、表情一つ変えずに敵を殺したのは、命の奪い合いが当然の環境に生きていたからだろう。崩壊した世界で、秩序を守るために戦うというのはそういうことだ。

 赤の他人のために、そんな過酷な使命に身を投じ、役目を終えたら自ら命を絶つ。

 そんな組織も、そのことに疑問を抱く様子もないラジャも、何もかもが、おかしい。

 サピンは大きくため息をついて、頭をかいた。はるか昔の話をどうこう言っても仕方がないし、自分にそんな資格はない。今はとにかく、帝国が【ちようばつ】を発掘し保有している、という事実と向き合わなければならなかった。