亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

第四章 神なき地で交わす約束 ⑮

 次の交渉の会場は、魔石式空中要塞、ノヴァ・テクタ・ルウェンティスの会議室を指定されていた。いつも通りのブラフだと考えていたが、それだけではなかったのだ。帝国はいざとなったら、アルトスタの交渉団に【ちようばつ】を見せるつもりなのではないだろうか? どのような魔石技術なのかはわからないが、調整不足だとしても、恐ろしい威力をもった兵器なのは間違いない。そんなものを見せられたら交渉にならない。


「ラジャの言うことはわかった。なら……その事実を、とりあえずエンシュロッス大使に伝えないか? アルトスタも、帝国が【ちようばつ】を持っている前提で対応を練り直さないと」

「ダメ!」


 ラジャは珍しく語気を強め、サピンは驚いて言葉をむ。


(……アルトスタにも、【ちようばつ】や、私の正体は伝えたくありません。もし現代の人々が、【ちようばつ】の存在を知ったら、絶対に利用しようとするでしょう。あの技術は、あくまで、これ以上誰にも知られることなく、消し去らなければいけません)


 ラジャらしからぬ強い口調だった。サピンはラジャが、大使館で自分の正体を語ろうとしなかった理由を理解する。自分の話をすれば、【ちようばつ】に話が及んでしまう危険があったからだ。【ちようばつ】の存在を世に知らせないため、ラジャは、自分の正体も、抱えた重い使命も、誰にも話すことはできなかったのである。

 そう考えたとき、サピンの頭を、ある疑問がよぎる。


「それなら……俺には、伝えてよかったのか? ラジャの秘密を」


 ラジャは一瞬うつむいて何かを考えていたが、やがて顔をあげ、一歩サピンに近づいた。大きな瞳でサピンを見上げる。


「サピン、ナラ、イイ」


 そう言って、ラジャはサピンに抱きついた。


「お、おい……!」


 サピンは動揺するが、ラジャは離れようとはしなかった。服越しに、ラジャの身体からだの柔らかさと温かさが伝わってくる。そのうちに、サピンの驚きは収まり、むしろ、どこかなつかしい、心地よさを覚えた。この抱擁は、男女のそれではない。家族のような、いやもっと広い、人のきずながさせたものだ。

 ラジャは、サピンの胸に顔をうずめたまま言った。


(大使館で過ごした日々は、楽しかったです。使命を終えて死ぬはずだった私がこんな日々を送れるなんて、仲間たちに申し訳ないくらい。それに、大きな希望をもらいました)

「希望?」

(はい。今の世界は、私が生きた頃とは違うんだって。争うことはあっても、新しい仕組みと、それを扱うあなたのような人のおかげで、話し合いで解決できる。人間は、少しずつでも、平和な世界に向かって進んでいるんだって、思えたんです)


 ラジャはうれしそうに言うと、体を離し、決意をこめた瞳でサピンを見上げる。


(でも、今はまだ、その途中です。今の世界に【ちようばつ】を渡したら、また争いで滅んでしまう。だから【ちようばつ】は、私が責任を持って消去します。でも、失敗したら世界はおしまいです。誰も帝国を止められない。だから、あなたは遠くに逃げてください。帝国が見向きもしないような、遠くへ)

「でも……【ちようばつ】を消し去るって、どうやるんだ? あの要塞に一人で乗り込んで、魔石技術の構文を消去するのか? お前の力ならできるかもしれないが、脱出は無理だ。無事に逃げられるはずがない」

(それは仕方がありません。私の使命ですから)


 断ち切るような言葉に、息をむ。ラジャの瞳には、僅かな躊躇ためらいもなかった。

 もはや聞くまでもないことだった。ラジャは、生きて帰ることを計算に入れていない。命をして、【ちようばつ】を消し去るつもりなのだ。

 サピンはラジャからを離すことができなかった。

 ただ、人類の再生のためだけに作られた存在。最後は自ら命を絶つことすら予定された、人類のための捨て駒。それが、ラジャたちフォンスヴィーテだ。そんな存在は間違っていると思うし、フォンスヴィーテを生み出した誰かに怒りすら覚える。だがサピンは、胸の片隅に、ほんのひと欠片かけらだけ、場違いなある感情が芽生えるのを感じていた。それは、サピンの心を小さな炎のように照らし、ほのかな暖かさをもたらす。

 ラジャは、【ちようばつ】さえ消去すれば、人類は平和に向かっていくと、心から信じていた。今も世界に争いがなくなったわけではないが、いずれ永遠の平和がやってくることを、疑ってもいない。ラジャの犠牲的な行動の土台には、人類の未来への、無条件の信頼がある。

 かつて、サピンもそうだったように。

 父が、他人にざんに裏切られ、命を失うまでは。

 本当に悪い人などおらず、人と人は共に生きていけるのだと、本気で思っていた。

 本当はサピンも、ラジャのようでありたかったのだ。

 サピンがラジャに抱いた感情は、羨ましさだった。

 その事実に気づいたとき、サピンは、体の内側が、ゆっくりと熱を帯びていくのを感じた。長く閉ざされていた硬い岩盤が割れ、湧水があふし、サピンの体の中を巡る。


「俺の父親は……多分少しラジャに、いや、ラジャたちフォンスヴィーテに、似てたんだ」


 つぶやくように言うと、ラジャは、その真意を読み取ろうとするようにサピンを見つめた。


「もちろん、ただの田舎の弁護士で、ラジャたちに比べれば背負ったものは全然大したことはないけどさ。本当に悪い人はいない、っていうのが口癖で、いつも人の役に立つことばかり考えて、自分が犠牲になっても気にしなくて、それで結局、潰れてしまった」


 目を閉じると、まぶたの裏を、故郷の小さな弁護士事務所と、元気だった父と母の姿がよぎる。そして、それを断ち切るように、サピンは目を開け、ラジャを見据えた。


「俺は、おやみたいになる人間を、もう見たくないんだ。だから、ラジャが犠牲になろうとするのを、黙って見ていることはできない」


 普段感情が読めないラジャの顔に、はっきりと、驚きがにじんだ。

 サピンはうつむいて、何かを追い出すように大きく息を吐くと、顔をあげた。その表情には、もう甘い感傷は存在せず、かすかに笑みを浮かべた口元に、冷静な交渉者の自信が戻っている。


「じゃあここからは、交渉といこうか」

「コウ、ショウ?」

「そうだ。実は、次の帝国とアルトスタの交渉は、ラジャの言う空飛ぶ要塞、ノヴァ・テクタ・ルウェンティスで行われるんだよ。そう向こうが指定してきた。間違いなく、劣勢に立たされたとき、脅しとして俺たちに【ちようばつ】を見せるつもりだろう。まだ調整ができていないとのことだが、デモンストレーションで撃つならできるだろうし、それだけで、アルトスタのメンバーは萎縮して交渉にならなくなる。だから、ラジャは、俺たちと一緒に来てくれ」


 意図がめないのか、ラジャは無言でサピンを見た。


「アルトスタ交渉団の中に紛れて、ラジャも、ノヴァ・テクタ・ルウェンティスに潜入するんだ。ラジャは別行動を取って、【ちようばつ】を消去すればいい。もちろん、そのことは他のメンバーには言わないし、ラジャの生存確率を上げるためにできる限りの協力はする。ラジャが【ちようばつ】をなんとかしてくれたら、俺たちの交渉も有利に進む。利害は一致している」


 ラジャは困った様子でうつむいた。


(でも……)

「別に、【ちようばつ】の消去をいつやるかは決めてないんだろう? なら、タイミングを合わせても損はないはずだ。状況を整えるのは全て俺がやる。俺はお前を利用する。だから、ラジャも俺を利用して欲しい」


 サピンは柔らかい笑顔を浮かべる。


「今までさんざん、人類再生のためにがんばってきたんだろ? 偶然拾った命くらい、自分のために使ってもいいんじゃないか?」


 サピンは、ラジャの細い肩をつかんだ。


「だから、ラジャ。生きて、一緒に、アルトスタへ行こう」