亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

第四章 神なき地で交わす約束 ㉑

「……ラジャ?」

(ごめんなさい……一緒には、行けません)


 サピンは驚いてラジャを見上げる。何を言っているのか理解できなかった。


(私は、この世界にある、最後の【ちようばつ】を消さなければいけません)

「何言ってるんだ? 帝国が、発掘したものは、消したんだろ?」

(はい、でも、まだ【ちようばつ】はあります……私の、頭の中です)


 サピンは言葉を失った。ラジャは淡々と続ける。


(私は【ちようばつ】の情報を知っています。設備があれば、ゼロから作り出すこともできます。帝国は私を狙い続けるでしょうし、秘密が知られたら、他の国も、きっと私を利用しようとする)


 サピンは何も言えなかった。この先ラジャが言おうとしていることを、予想し始めていたのだ。が、感情がそれを拒否している。


(発掘されたものを消すだけではダメです。私がこの世から消えることで、初めて【ちようばつ】はなくなったと言えるんです)

「そんな……でも……」

(アルトスタに行く約束、守れなくてごめんなさい。でも、あなたがこれからも生きていく世界に、【ちようばつ】みたいなものを残したくない)


 そう言うと、ラジャはいつくしむように、サピンの額に泥水で張り付いた髪をかす。


(今まで、ありがとうございました……さようなら)


 ラジャは立ち上がり、サピンに背を向ける。


「ちょ、ちょっと待て! ラジャ!」

(私は、生きていてはいけない人間だから)


 頭が真っ白になり、傷の痛みも忘れていた。言葉が出てこない。ラジャが言っていることは、正論だと思ったからだ。

 ラジャは、誰もいない荒野に向かって、ゆっくりと歩き出す。湖の波音と、要塞のけんそうが妙に大きく聞こえる。

 ラジャの言っていることは正しいかもしれない。しかし、納得できるかと言うと別だった。ラジャをこのまま行かせたくない。そして、【ちようばつ】と引き換えに死なせ、その上に成り立った世界で生き続けるなど、絶対に御免だった。

 だからそれは、頭で考えた言葉ではなかった。


「……ご立派だな」


 サピンは気づくと、つぶやくように言っていた。


「人類の平和のために、自分が犠牲になるのか。ラジャも、ラジャの仲間たちも、立派だよ。でもな、そんなのは無駄だぞ。どうせ人間は、これからも争い続ける。勝つための努力は惜しまない。ラジャがいなくなったとしても、いつか【ちようばつ】を開発するだろう。百年か、五十年か、もっと早いかもしれない。そういうもんだ」


 ラジャは歩みを止めていた。サピンは、胸の奥からあふる言葉をただ吐き出し続ける。


「残酷だけどな、誰かの犠牲の上に成り立った安定は、絶対に長続きはしないんだよ。人は、他人の力で得たものにがたみを感じたりしないし、敬意を払ったりもしないからな。それどころか、与えられて当然の権利だと勘違いして、使い潰して、それで終わりだ」


 起き上がろうとしたが、脚に力が入らなかった。上半身の力だけで、ってラジャに近づく。


「でもな……そうやって全てをダメにしてしまったとしても、他人の犠牲にタダ乗りする連中は、悔い改めたり、感謝したりしないぞ。そいつらが言うことはこうだ。なんでもっと丁寧な仕事をしなかった。なんでもっと頑張らなかった。お前のせいで台無しになった。それだけだ! 自分たちのために犠牲になった誰かを平気で責めて、そして、次のいけにえを探す! 考えるのは、次が自分の番じゃありませんようにってことだけだ! そういうもんなんだよ! そんなものは……そんなものは、俺は認めない!」


 気づくと、サピンは涙を流していた。その言葉は、ラジャというより、サピンの記憶の中の父親に向けられていたのかもしれない。他人のために尽くしながら、感謝もいたわりの言葉も向けられず、すり減って死んでいった、父に。


「俺は……俺は、誰も犠牲にしないぞ! ラジャも、俺自身も、統一政府も帝国の連中も、全員だ! 【ちようばつ】があっても使い道がない、争う必要がない世界を、作るから! だから、ラジャだけが死ぬことなんてない! お前も生きてていいんだよ! だから行くな、ラジャ!」


 ラジャは、歩き出した。振り返ることもなかった。


「ラジャ、待て!」


 サピンは叫んだ。ラジャを追いかけようと泥の中でもがくが、体はついてこなかった。

 ラジャの背中は、徐々に小さくなっていく。

 ラジャ!

 実際に声を出したのか、心の中の祈りだったのか、判別がつかなかった。体力の限界がきて、サピンは、そのまま、気を失った。

 その後、しばらくして。

 巡回に来た帝国の兵士に発見され、サピン・アエリスは保護された。