亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~
エピローグ たまには、わがままを ①
『ノヴァ・テクタ・ルウェンティス』での交渉から、一ヶ月後。
アルトスタが、フェルザ帝国にルジュエル地方の領有権を返還することが、両政府の共同声明として発表された。一年後の返還に向けて、両国は準備を進めていくことになる。
声明において、ルジュエル地方北部の魔石鉱床地帯は、経済特区となり、国籍に
こうして、アルトスタはルジュエル地方を失ったものの、帝国との間に広大な非武装地帯と、列強が利権を分け合う、緩衝地帯を手にすることになった。無論、相手が帝国だけに油断はできないが、単独で
そして、その発表の直後。フェルザ帝国皇帝、フォンドーシュ四世の崩御が報じられた。帝位は順当に第一皇子が継承し、宰相は現職ツフロが続投する。内閣のメンバーもほとんど変わらず、その顔ぶれの中には、ルー・バタイユ
全てがサピンの描いた通りの結果だったが、簡単に進んだわけではなかった。あの交渉のあと、エンシュロッスは慌てて本国に連絡し、後付けで、『経済特区』案を提案し、承認させた。帝国も正式に申し出を受け入れ、計画が動き出したが、大変なのはむしろそこからだった。元々存在してもいなかった、サピンの思いつきのような壮大な計画を、現実のものとしなければならないのだ。両国の間に立つアルトスタ大使館には、関係省庁への連絡、膨大な量の調整の仕事──それも全て短納期──が待っていたのだった。特に大使のエンシュロッスは、あまりの多忙に、この数ヶ月で一気に
ともかく、話はまとまり、実現に向けて動き出した。具体的な実現に向けて、今も、計画は急ピッチで進められている。
*
アルトスタ王国首都、インタレッセ。質実を好むこの国では、首都の風景も、帝国に比べると地味だ。だが、都市機能を重視した街並みは、よく見ると、無駄のない、絞った肉体のような美しさに
そんなインタレッセに、アルトスタ外務省はあった。
サピン・アエリスは、在帝国大使館の任を解かれ、本省勤務に戻っていた。
ノヴァ・テクタ・ルウェンティスでの交渉で
「お疲れ様でーす」
サピンが陰気な挨拶をして執務室に入ると、数名がポロポロと小声で挨拶を返す。バタイユの希望通り、ルジュエル地方の経済特区計画は、表向きは帝国側の発案ということになっていた。サピンの交渉の現場での立ち回りも、上層部はともかく、現場には伝わっていない。よって、省内でのサピンの評価は、以前と同じく低いものだったが、サピンもそれに異を唱えることなく、重い仕事を振られないから幸運程度に思っていた。
自席に着くと、日課の情報収集を行う。外務省帝国第一課には、帝国関連の情報が集められるので、サピンは、帝国の政府広報、経済誌、軍事誌などを中心に確認する。見たところ、【
帝国が【
雑誌を開いたまま、かといって読みもせず、サピンは誌面を見るともなく見つめる。
それで、いいのだと思う。ラジャは、その命と引き換えに、この世界から【
「何、暗い顔してるんですか」
突然、背後から声をかけられ、サピンの思考は中断した。振り返ると、すらりと背の高い女が立っていた。ミアス・レゲールであった。
「今、
ミアスは、庁舎の休憩スペースで、薄いコーヒーを飲みながら言った。確かに、ミアスの顔には、整った造形だけでは誤魔化せない疲れが
「そういうときこそ、ミアスみたいな人間がいないと組織は回らないからな」
サピンは本心から褒めたつもりだったが、ミアスは、ただの雑用ですよ、と渋い顔をする。
「サピンさんはいいですよね。経済特区なんてアイデアだけ出して、里帰りして有給休暇なんですから」
「
「利害関係者にこんなこと言うわけないでしょ。普段猫
「俺で発散するな。俺も、今は一応計画には関わってるぞ。少しだけど」
ひとしきり近況報告が済み、会話が途切れる。ミアスは遠い目で空を見た。
「ラジャちゃん……どこ行っちゃったんでしょうね」
「……さあな」
「どこかで、幸せに生きてるといいですね」
その言葉は、小さなトゲのようにサピンの胸を刺す。コーヒーカップを口に運んだが、もう中身はなかった。
ラジャは、大使館から突如姿を消したことになっていた。本来なら大きな問題になるはずだが、帝国との領土交渉に一定の解決が見え、経済特区計画の準備で目の回るような忙しさだったため、自然と忘れられることとなった。
「
唐突にミアスが言い、サピンは即答できずにミアスを見返す。
「任は解かれているし、辞めるなら今がチャンスだとは思いますが……昇進したんでしょ?」
「それは、まあ」
サピンは、ルジュエルに関する交渉の後、昇進していた。エンシュロッスの強い後押しもあり、ルジュエル関連の交渉で大きな役割を果たしたサピンを無視することはできなかったのだ。と言っても、元の階級が低いので、ようやく同期のクルンバンに追いついたというだけだが。
「悔しいですが、あなたの利害交渉能力は優秀です。頭一つ抜けてるなんてレベルじゃありません。平和なときならともかく、今のような世界には、必要な人だと思います」
「それはどうも」
「国外逃亡なんて、本気で考えてはいないんでしょ?」
ミアスはサピンの目を見た。サピンは言葉に詰まる。
【



