亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

エピローグ たまには、わがままを ②

 サピンはラジャにそう言った。【ちようばつ】は消え去り、ルジュエル地方の危機も去ったが、まだ世界には争いの火種がくすぶっている。ラジャの思いを遂げるのであれば、サピンは逃げるべきではなかった。


「じゃあ、私、そろそろ行きますね。私も、この件でしっかり結果を出して、評価を得ないといけませんから」

「そうか……それは……頑張って」


 サピンの歯切れの悪い返事を聞き流し、ミアスは立ち上がった。そのまま歩き出しかけて、一瞬迷うそぶりを見せ、もう一度、サピンの方を振り返る。


「私……サピンさんの手腕は認めますが、やはり、考え方は好きではありません」

「はあ?」


 突然の批判に、サピンは素っ頓狂な声をあげた。ミアスは続ける。


「今回の帝国との交渉は、他に方法が無かったことは認めますが、相手の弱みを突くようなやり方は平和的な外交とは言えません。あれはもはや、単に武力を使っていないだけの戦争ですよ。あんなだまいのようなやり取りの先に、恒久的な平和があると思いますか?」


 サピンは何も言えなかった。ミアスの言う通りだったからである。今回の交渉でサピンがやったことは、言うなれば、国同士の力のパズルの組み替えだ。主要国たちの力を利用して帝国をけんせいしてはいるが、根本的な解決ではないし、そのような危ういバランスは、いずれ崩れる。


「……だから、私は私のやり方で、世界の秩序というものを考えます」


 あつに取られるサピンを、ミアスは挑発するような笑顔で見下ろした。


「私、あなたには負けませんよ」


 日々は、淡々と過ぎて行った。サピンは、意外にも真面目に経済特区計画の仕事に励んだ。国外逃亡の準備は、しなかった。仕事が忙しかったのもあるが、それよりも、もうどうでもよくなっていたのかもしれない。ラジャのことは、たまに思い出して苦しくなったが、日を追うごとに、その回数は減っていった。

 ある日、出勤すると、執務室の一角に同僚たちが集まって何やら話していた。


「どうしたんですか?」


 サピンが輪に近づいていくと、同僚の一人が興奮した面持ちで振り向いた。


「おお、アエリス君……そうか! 君は乗ったことがあるんだったな!」

「なんのことですか?」

「これだよこれ! 見ろよ!」


 そう言って同僚が見せた帝国の新聞を見て、サピンは言葉を失った。

 帝国の誇る、魔石式空中要塞『ノヴァ・テクタ・ルウェンティス・ミリオス』試験飛行。

 見出しにはそうあり、空飛ぶ要塞の写真が掲載されている。前とは若干形状が異なるが、確かに、宙に浮く巨大な花、ノヴァ・テクタ・ルウェンティスだ。


「前、君たちの交渉の日に墜落したんだろ? それを修理して、ごくごく短い距離だけど、飛行に成功したらしいよ!」

「そんな……」

「写真だとわからんが、実際の乗り心地はどんなもんなんだい?」


 同僚に尋ねられても、サピンは何も言うことができなかった。黙っていると、同僚たちはサピンを無視して会話に戻る。


「しかし、こんな大きなもの飛ばして、なんに使うんですかね」

「【ちようばつ】の運用専用ってことだろ? じゃあ【ちようばつ】もまた作れるってことなのか?」

「でも、それができるならルジュエルの経済特区化なんてやろうとしないでしょ」

「新聞には、物資や旅客の輸送に使うって書いてあるけど、うそだよね」


 皆の言葉は、もうサピンの耳には届いていなかった。酔客のような足取りで自分の席に戻り、倒れ込むように椅子に座る。

 どうが激しくなり、胃に締め付けられるような不快感を覚える。

 帝国は、再び、ノヴァ・テクタ・ルウェンティスを飛行できるところまで修繕した。ただ、あの空中要塞は、そもそも【ちようばつ】運用のための古代の技術だったはずだ。ラジャは一緒に消去したはずだし、そうなれば帝国に再生はできないはずである。

 百歩譲ってそれができたとして、理由は? 空中要塞を復活させるということは、【ちようばつ】を復活させる可能性があるということなのではないか? 確かに、ルジュエルの経済特区計画案をみ、今もにしていないところを見ると、直ちに実戦投入ができるわけではないのだろう。しかし、ラジャが考えるように、一度消去したら二度と再生できない、という状況ではなかったのではないか。

 手が、震えていた。机に肘をついて、頭を抱える。


「だとしたら……ラジャ、お前は、なんのために……」


 始業の時間がきたが、仕事が手につくはずもなかった。サピンは、逃げるように庁舎の屋上に行き、手すりにもたれて官庁街を見下ろす。歴史を感じさせる建造物が並ぶ広い通りに、人々と魔石軌道車が行き交っている。

 ラジャの死は、無駄だったのかもしれなかった。帝国は、【ちようばつ】を失った。だが、それを自力で再建する手段を持っている可能性が高い。複製していたのか、複製はできないまでも、なんらかのノウハウを得ていたのか。そうなれば、ルジュエルの経済特区も、結局、時間稼ぎの意味しか持たなかったことになる。

 目を閉じて、大きく息を吐く。人々は、ラジャの思いなど知ることはなく、これからも争い続け、そして、いつか【ちようばつ】を作り出してしまうのだろう。結局こうなるのだ。この世界に、命をかけてまで救う価値など、なかった。

 ぼんやりと、街並みを見つめる。


「やっぱり、逃げるか」


 笑みを浮かべてつぶやく。【ちようばつ】のような兵器があるのなら、どこへ逃げても同じだろう。だが、行けるところまで行ってみるのも面白いかもしれない。

 そのとき、背後で、屋内へのドアが開く音がした。若い女性事務員が出てきて、サピンを見つけて駆け寄ってくる。


「サピンさん、何サボってるんですか、こんなところで」

「ああ、すいません、やる気出なくて。俺に用事ですか?」

「はい。司法省から呼び出しですよ」


 サピンは、意外な名前に眉をひそめる。


「司法省? 何か悪いことしたかな」

「はは、思い当たることあるんですか? でも、呼び出しは、司法省の入国管理局ですよ。帝国からの亡命希望者が移送されてきたから、通訳してくれって。これ、命令書」


 サピンは命令書を受け取り、封を開く。


「そういうことか。基本的な会話くらいは入管でできるようになって欲しいもんだな。でも、何で俺なんだろう? 一課で一番暇そうにしてるからかな」

「何かその亡命者、帝国標準語にうとい人らしくて。大使館から、アルトスタ移送後の担当者に、サピンさんを指名してきたらしいですよ」

「え……?」


 サピンは硬直した。帝国標準語をしやべれない亡命者。サピンの呼び出し。その一連の流れには、覚えがあった。

 司法省からの命令書には、別の手書きのメモが同封されていた。封を切ると、それはエンシュロッス大使直々の手紙であった。書かれていたのは、大使館で保護したある亡命者の対応を、サピンに頼むむね。そしてそれは、エンシュロッスの希望というより、亡命者本人の願いだということだった。手紙を持つ手が、震え出す。

 事務員は、サピンの様子がおかしいことに眉をひそめ、命令書をのぞんだ。


「どうしたんすか、サピンさ……これ大使直々の手紙じゃないですか! サピンさん、帝国で何かあったんですか? 昇進したみたいだし、偉くなって……うわっ!」