亡命天使 ~窓際外交官は如何にして終末戦争を阻止したか~

エピローグ たまには、わがままを ③

 サピンは返事をせずに走り出していた。階段をり、外に出る。表通りに出て、周囲を見回す。魔石軌道車に乗るべきかと思ったが、司法省なら外務省から徒歩で行ける。サピンは走り出した。官庁街を行き交うビジネスマンや政府関係者たちの中を、みっともなくシャツをはみ出させながら駆け抜ける。

 司法省庁舎に着くと、息を切らしながら受付で用件を説明し、クシャクシャになった命令書を見せる。じっとしていられず、ロビーを行ったり来たりしながら待っていると、やがて係の者が来て、部屋まで案内される。

 心臓が、激しく胸の内側をたたいていた。係員のノロノロした歩調がもどかしい。やがて係員は、入国管理局の保有する一室にサピンを案内した。ゆっくりと、ドアが開かれる。

 ほとんど独房のような狭い部屋だった。正面に窓があり、逆光の中で、その亡命者は粗末な椅子に座っている。

 亡命者は、サピンに気づいて顔をあげた。胸まである長い黒髪。何も語らない大きな瞳。民族衣装のような独特の白いドレス。

 目の前にいるのは、他でもない、ラジャだった。大使館で過ごした日々と変わらない、感情の読めない目で、サピンを見つめている。

 係員は、ドアを閉めて出ていった。

 心臓が、暴れている。聞きたいことは山ほどあるのに、喉が目詰まりを起こし、何も言葉が出てこない。今日までどこにいたのか? 帝国兵からは逃げ切れたのか? 生活はどうしていたのか? 体は無事なのか?

 先に口を開いたのは、ラジャだった。


(……サピンさん、お久しぶりです)


 サピンは、身構えて続きの言葉を待つ。


(私、その……何と言えばいいか……)


 そして、そう言ったきり言葉を詰まらせる。

 小さな部屋を、再び沈黙が満たした。

 黙ってしまったラジャを見て、サピンは困ったような笑みを浮かべる。

 ラジャが考えていることは、何となくわかる気がした。

 ラジャは、使命のためだけに生きてきた人間だ。ノヴァ・テクタ・ルウェンティスでの別れのときも、相当固い決意をしていたはずである。それが、何の理由もなしに戻ってくるはずがない。そして今、ラジャがやらねばならないことは、一つしかなかった。


「ノヴァ・テクタ・ルウェンティス、また建造されたらしいな」


 ラジャははじかれたように顔をあげる。


「あれがあるということは、帝国は、まだ【ちようばつ】を作る技術を持っているのかもしれない。そのことで、俺に協力を頼みたくて、戻ってきたんだろ?」


 ラジャは、逃げるようにサピンから目をらした。


(自分がひどいことをしてるって、わかってます。あんな別れ方をしたのに、またこうやって、自分の都合であなたのところに戻ってきて。でも私には、他に頼れる人がいなくて……)

「ラジャが背負っているものの大きさは、わかっているつもりだよ。だから俺に罪悪感を感じる必要はない。ラジャは生きていて、こうやってまた会えたんだ。今はそれだけでいい」


 ラジャの何も語らない瞳が、少しだけ、涙をこらえるようにゆがんだ。

 ラジャは、はるか昔、人類の再生のために作られた、フォンスヴィーテという組織の人間だ。そのラジャが、現代でやらねばならないこと。

 それは、【ちようばつ】の魔石技術の消去だ。それ以上に重要なことなどありはしない。帝国が、まだ【ちようばつ】を持っている疑惑があるなら、彼女はそれを消すために行動する。文字通り、自分の命を懸けて。

 ラジャは、たった一人で人類の運命を背負っているのだ。そんな相手に自分への配慮を求めるほど、サピンは傲慢にはなれなかった。

 サピンは、近くにあった椅子を引き寄せて座った。


「何で、帝国はまたあれを造れたんだ? あの要塞の技術も、ラジャが消去したんだろ?」

(はい。私は確かに、【ちようばつ】も、あの要塞が飛ぶための魔石技術も消去しました。だから、もう一度帝国が造れたのだとしたら、多分……私の、仲間のせいです)

「仲間?」

(私たちの仲間の中で、生き残って帝国に発掘されたのは、私だけだと思っていました。でも、違ったのかもしれない。私の他にも誰かが生きていて、そして、帝国に協力している)


 サピンは体を貫かれるような衝撃を感じた。

 フォンスヴィーテの生き残りは、ラジャ一人ではなかったのだ。


「思い当たるやつがいるのか?」

(いえ、人数も多かったですし。そんな子はいないと信じたいですが……)

「協力者がいるってことは、帝国はすぐに【ちようばつ】を完成させてしまうということか?」

(わかりません。ただ、私たちの仲間の中でも、【ちようばつ】の建造技術を持っているのはごく僅かです。私は技術部隊で、中でも、重要なものを任せていただいていましたから)

「技術部隊ね……」


 サピンは、大使館前の戦いで見せたラジャの戦いぶりを思い出し、引きつった笑いを浮かべる。ラジャの仲間たちは、相当に強力な力を持った者たちだったらしい。そんな力が必要になるほど、【ちようばつ】によって、世界は荒廃し切っていたということだろう。


「まあ考えてみれば、その協力者がいるとして、そいつが【ちようばつ】に精通しているなら、帝国はラジャの身柄にこだわる必要はなかったはずだしな。すぐに危険というわけではないだろうが、楽観はできんか……」


 サピンは顎に手を当てて考える。難しい状況になってしまった。ラジャは、そんなサピンを黙って見つめていたが、やがて、硬い声で言った。


(サピンさん。改めて、お願いさせてください)


 ラジャの雰囲気が変わり、サピンは身構える。


(あなたの力で、帝国に協力しているのが誰で、今どこにいるのか、突き止めてもらえませんか? あなたは、政治の世界で、人を動かす力を持った人です。サピンさんなら、帝国の秘密に近づいて、一人の人間を探し出すようなことも、できると思うんです)


 ラジャは言い切ると、一瞬目を閉じて息を吸い、サピンを見据えた。


(そして、私が、決着をつけます。絶対に、この世界に、【ちようばつ】が生まれるのを防ぎますから。だから、お願いします)


 ラジャは頭を下げた。サピンは黙ってその後ろ頭を見ていたが、やがて、大きくため息をつく。


「そういうのは、断る」


 ラジャは顔をあげ、こわった顔でサピンを見つめる。


「決着をつけるって、ラジャの手で、昔の仲間を殺すってことか? どうせ、刺し違えてでも、とか思ってるんだろう」

(それは……)

「それに、運良くそいつを殺したあとは? 結局前と同じで、ラジャ自身が死なないと終わらない、ということになるんじゃないか? 俺はもう、そういうことには協力しない」


 サピンの容赦ない言葉に、ラジャは力無く視線を落とした。


「俺の考えは、前にも言った通りだ。たとえラジャが消し去っても、人間はいずれ【ちようばつ】を造る。だから、【ちようばつ】に対処するには、【ちようばつ】があっても使う必要がない、平和な世の中を作るしかないんだ。それが一番確実な方法だ」

(でも、それには時間がかかりすぎます。いくらサピンさんに力があっても、あなたの人生全てを使って、できるかどうか……現代に【ちようばつ】を持ち込んだのは、私たちの責任です。サピンさんを、そこまで巻き込めない)

「それは違うよ。これは、俺のためなんだ」