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「食事といっても、そんなに凝った料理を用意する気はないぞ。携帯用の食器と調味料は用意してあるから、あとは適当に魔物を狩って煮るなり焼くなりするだけだ」
俺はアナたちに説明しながら、支給品の携帯端末を起動する。
端末の機能は生きているが、通信可能圏内に味方は当然いない。魔導弾頭がまき散らした残留魔力が多すぎて、このあたりではしばらく魔導通信は不可能だろう。救難信号もかき消されて届かないはずだ。
もっともそれは悪いことばかりではない。
残留魔力の影響が消えるまでは、ほかの学区の生徒会も調査部隊の派遣を控えるはずだからだ。
第七学区に敵対している学区の部隊に遭遇して、いきなり戦闘になる心配だけはしなくて済む。
幸運なことに、この付近の地形データは端末の中に残っていた。
落下物の調査に向かう途中に、執行部隊のヘリから撮影したものだ。
川や森などの位置がわかれば、その周囲に棲む魔物たちの行動も予測できる。効率よく魔物を狩るためには貴重な情報だ。
「魔物料理ですか。私、魔物を食べるのは初めてです!」
アナが気合いのこもった口調で言う。
天環出身のはずなのに、魔物を食べることに不満はないらしい。やる気が空回りしそうな不安はあるが、前向きなのはいいことだ。
「そういえばさっきから気になっていたんだが、きみはなぜ俺のジャケットを着てるんだ?」
「あ……すみません、勝手にお借りしてしまって」
自分の身体を見下ろしながら、アナが俺に頭を下げた。
今のアナが着ているのは、もともと俺が着ていた防弾仕様のタクティカルジャケット──特殊執行部隊の制服だ。
しかも彼女はなぜか裸足である。すらりとした細いふくらはぎも、真っ白な太腿も剝き出しだ。
「もしかしてハルくん、寒かったですか?」
「べつにそういうわけじゃないが、きみの服はどうした?」
「干してます」
「は?」
意外すぎる答えに、思わず間の抜けた声が出た。
アナは黙って手を伸ばし、少し離れた岩場を指さす。
夕陽のよく当たる平たい岩の上には、彼女が着ていた制服が上から順番に並べられていた。靴や靴下、それに下着もだ。
「ぬるぬるして気持ち悪かったので、洗って乾かしているところです」
「……ああ、そうか。そういえばきみは大気圏突入用のカプセルに入ってたんだったな」
俺は廃棄モジュールの中で目にした、天人種族の救命カプセルのことを思い出す。
カプセルの中を満たしていたのは、人体を保護するための液体呼吸溶液だった。
耐熱・耐衝撃機能を持つ薄水色の液体は、その性質上、水などよりも粘度が高い。濡れたままだと、たしかに肌がベタついて不快だろう。洗い流したくなる気持ちはまあわかる。
「どうやって服を洗ったんだ? どこか近くに水源があるのか?」
「それは、魔法で。こんなふうに」
俺の質問に答えるように、アナは両手の掌を上に向けた。
その掌の中に液体が一瞬で溜まって、たちまち溢れ出していく。
銀色の淡い光を帯びた、透き通った液体だ。水魔法の【水生成】に似ているが、彼女が生み出した魔力の流れは、俺の知っている水魔法とはまったくの別物だった。
「……待て。まさか、それは聖水か? きみは聖属性魔法の適性持ちだったのか?」
「あ、はい。この浄化水は凄いんですよ。頑固な泥や油汚れもすっきりです」
アナはどこか得意げに胸を張る。
だろうな、と俺は投げやりな気分で考えた。
これだけの純度の聖水ならば、油汚れどころか、猛毒や呪いを除去することだって容易だろう。聖水──すなわち聖属性の魔力を帯びた純水には、それほどの力があるのだ。
しかし、俺たちが聖水の実物を目にする機会はあまり多くない。
なにしろ聖属性の魔力の持ち主自体が稀少な上に、聖属性魔力の付与ができるのは十メガオームを超える超純水だけ。一流の聖魔法使いと水魔法使いを駆り出して、それでも一日に数リットル作り出すのがせいぜいなのだ。
当然ながら、聖水にはものすごい高値がつく。聖水単体でも解呪や浄化などの効果を持つし、上位の回復薬の製造にも聖水は欠かせない。
つまり聖水とは極めて重要な戦略物資なのである。
そんな貴重な聖水を、こともあろうにアナは洗濯に使ったのだという。非常識という言葉すら生温いデタラメな暴挙だ。その損失額を想像するだけで溜息が洩れる。
「服を持ってきてくれ」
弱々しく首を振って、俺は告げた。アナは怪訝そうに目を瞬いて、
「服ですか?」
「もうすぐ陽が暮れる。きみのほうこそ、そのジャケットだけじゃ寒いだろ。乾かしてやる」
「あ……はい!」
裸足のままパタパタと駆け出したアナは、すぐに自分の制服を持って戻ってくる。
俺は彼女からその制服を受け取ると、その繊維から強制的に水分を抜いた。ついでに温風を送ってシワを取る。衣類乾燥機の代わりになる水属性と風属性の複合魔法だ。
この手の生活補助魔法は一般の生徒からは低く見られがちで、逆に特殊執行部隊の隊員たちのような、戦闘職の生徒の評価が高い。
精密な魔力制御の技術が要求されるから、というのはもちろんだが、それ以上に長期間の作戦行動中に衣服が汚れることの不快さを、彼らは実体験としてよく知っているからだ。
「すごい……! あの、これもお願いしていいですか?」
瞬く間にふかふかに乾いた自分の制服を見て、アナは瞳を輝かせた。彼女が差し出してきたのは女性物の下着。純白のパンツとブラである。フリルつきの意外に凝ったデザインだ。
「……まあ、きみがいいのなら乾かすのは構わないが」
これらは洗濯済みであり、要するにただの布きれだ。自分自身にそう言い聞かせながら、俺は彼女の下着を乾燥させた。特殊執行部隊では男女共同で何日も続く過酷な訓練が行われるが、さすがにここまで明け透けな依頼をされるのは初めてである。
しかしアナはなんの戸惑いも見せずに乾いた下着を受け取って、
「ありがとうございました。じゃあ、この上着、お返ししますね」
「おい、待て。ここで脱ぐんじゃない!」
俺のジャケットをその場で脱ごうとしたアナを、俺はさすがに制止した。
ジャケットのファスナーを下げかけたまま、アナは不思議そうに俺を見返して、
「え? でも……」
「そこら辺の岩陰にでも隠れて着替えてくればいいだろ」
「あ、はい……そうですね?」
納得したのかどうか曖昧な表情を浮かべながらうなずいて、アナは岩場の陰へと移動する。
彼女の背中が見えなくなるのを待って、俺は深々と嘆息した。
「なんなんだ、あの女は。警戒心はないのか?」
『まあ、そう言ってやるな。天環育ちで常識に疎いのだ』
契約対象の〝魔女〟を庇うように、黒犬──ゼブがそう言って笑った。
アナの突飛な振る舞いに振り回される俺を、明らかに面白がっている態度である。
「天環にも生徒はいるのか?」
『あまり数は多くないが、アナセマのように天環で暮らしている子供はいる。其奴らは生徒ではなく、主に聖女と呼ばれているがな』
俺の質問に、ゼブが答える。
「聖女?」
『強い聖属性の魔法が使える娘は、地上に堕とされることなく天環で育成されるのだ』
「天人たちの治療のためか?」
『そうだな。それもある』
「それ以外の理由というのはなんだ?」
ゼブの含みのある言い回しを聞いて、俺は目つきを険しくした。
聖属性魔法は、適性者の少ない貴重な魔法属性だ。主な役割は治療と回復。病気や精神系の状態異常や部位欠損のような大怪我は、この属性でなければ癒やせない。
そして聖属性魔法の役割はもうひとつ──呪いの除去や封印だ。
「まさか〝災厄〟を封じるためか?」
『天人などと名乗っている連中のことを、あまり信用しないことだ。なにせ彼奴らは、我ら〝災厄〟を生み出した者どもの末裔なのだからな』
黒犬が、他人事のような口調で俺に忠告する。
アナが天環で暮らしていた事情を理解して、俺はかすかな苛立ちを覚えた。
彼女は、地上の学生たちの誰もが憧れる、天環の住人だった。
だがそれは、本人が望んだことではない。天人種族の道具として利用されるために、アナは天環に幽閉されていたのだ。聖属性魔法が使えるという、ただそれだけの理由で。