聖女と暴食

第一章 ラプトルのパチャマンカ ④

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「食事といっても、そんなにった料理を用意する気はないぞ。けいたい用の食器と調味料は用意してあるから、あとは適当にものってるなり焼くなりするだけだ」


 俺はアナたちに説明しながら、支給品のけいたいたんまつを起動する。


 たんまつの機能は生きているが、通信可能けんないに味方は当然いない。どうだんとうがまき散らした残留りよくが多すぎて、このあたりではしばらくどう通信は不可能だろう。救難信号もかき消されて届かないはずだ。


 もっともそれは悪いことばかりではない。


 残留りよくえいきようが消えるまでは、ほかの学区の生徒会も調査部隊のけんひかえるはずだからだ。

 第七学区アザレアスに敵対している学区の部隊にそうぐうして、いきなりせんとうになる心配だけはしなくて済む。


 幸運なことに、この付近の地形データはたんまつの中に残っていた。

 メテオライトの調査に向かうちゆうに、執行部隊ハンズのヘリからさつえいしたものだ。


 川や森などの位置がわかれば、その周囲にものたちの行動も予測できる。効率よくものるためには貴重な情報だ。


もの料理ですか。私、ものを食べるのは初めてです!」


 アナが気合いのこもった口調で言う。

 天環オービタル出身のはずなのに、ものを食べることに不満はないらしい。やる気が空回りしそうな不安はあるが、前向きなのはいいことだ。


「そういえばさっきから気になっていたんだが、きみはなぜ俺のジャケットを着てるんだ?」

「あ……すみません、勝手にお借りしてしまって」


 自分の身体からだを見下ろしながら、アナが俺に頭を下げた。


 今のアナが着ているのは、もともと俺が着ていたぼうだん仕様のタクティカルジャケット──特殊執行部隊インビジブル・ハンズの制服だ。

 しかも彼女はなぜか裸足はだしである。すらりとした細いふくらはぎも、真っ白なふとももしだ。


「もしかしてハルくん、寒かったですか?」

「べつにそういうわけじゃないが、きみの服はどうした?」

「干してます」

「は?」


 意外すぎる答えに、思わず間のけた声が出た。

 アナはだまって手をばし、少しはなれた岩場を指さす。


 ゆうのよく当たる平たい岩の上には、彼女が着ていた制服が上から順番に並べられていた。くつくつした、それに下着もだ。


「ぬるぬるして気持ち悪かったので、洗ってかわかしているところです」

「……ああ、そうか。そういえばきみはたいけんとつにゆう用のカプセルに入ってたんだったな」


 俺ははいモジュールの中で目にした、てんじん種族の救命カプセルのことを思い出す。

 カプセルの中を満たしていたのは、人体を保護するためのベンチレーシヨンリキツドだった。


 たいねつたいしようげき機能を持つうす水色の液体は、その性質上、水などよりもねんが高い。れたままだと、たしかにはだがベタついて不快だろう。洗い流したくなる気持ちはまあわかる。


「どうやって服を洗ったんだ? どこか近くに水源があるのか?」

「それは、ほうで。こんなふうに」


 俺の質問に答えるように、アナは両手のてのひらを上に向けた。


 そのてのひらの中に液体がいつしゆんまって、たちまちあふしていく。


 銀色のあわい光を帯びた、とおった液体だ。みずほうの【水生成】に似ているが、彼女が生み出したりよくの流れは、俺の知っているみずほうとはまったくの別物だった。


「……待て。まさか、それは聖水か? きみは聖属性ほうの適性持ちだったのか?」

「あ、はい。このじよう水はすごいんですよ。がんどろや油よごれもすっきりです」


 アナはどこか得意げに胸を張る。

 だろうな、と俺は投げやりな気分で考えた。


 これだけの純度の聖水ならば、油よごれどころか、もうどくのろいを除去することだって容易だろう。聖水──すなわち聖属性のりよくを帯びた純水には、それほどの力があるのだ。


 しかし、俺たちが聖水の実物を目にする機会はあまり多くない。

 なにしろ聖属性のりよくの持ち主自体がしような上に、聖属性りよくができるのは十メガオームをえるちよう純水だけ。一流の聖ほう使つかいとみずほう使つかいをして、それでも一日に数リットル作り出すのがせいぜいなのだ。


 当然ながら、聖水にはものすごい高値がつく。聖水単体でもかいじゆじようなどの効果を持つし、上位の回復薬ポーシヨンの製造にも聖水は欠かせない。

 つまり聖水とはきわめて重要な戦略物資なのである。


 そんな貴重な聖水を、こともあろうにアナはせんたくに使ったのだという。非常識という言葉すらなまぬるいデタラメな暴挙だ。その損失額を想像するだけでためいきれる。


「服を持ってきてくれ」


 弱々しく首をって、俺は告げた。アナはげんそうに目をしばたいて、


「服ですか?」

「もうすぐ陽が暮れる。きみのほうこそ、そのジャケットだけじゃ寒いだろ。かわかしてやる」

「あ……はい!」


 裸足はだしのままパタパタとしたアナは、すぐに自分の制服を持ってもどってくる。


 俺は彼女からその制服を受け取ると、そのせんから強制的に水分をいた。ついでに温風を送ってシワを取る。衣類かんそう機の代わりになる水属性と風属性の複合ほうだ。


 この手の生活補助ほういつぱんの生徒からは低く見られがちで、逆に特殊執行部隊インビジブル・ハンズの隊員たちのような、せんとう職の生徒の評価が高い。

 精密なりよくせいぎよの技術が要求されるから、というのはもちろんだが、それ以上に長期間の作戦行動中に衣服がよごれることの不快さを、彼らは実体験としてよく知っているからだ。


「すごい……! あの、これもお願いしていいですか?」


 またたにふかふかにかわいた自分の制服を見て、アナはひとみかがやかせた。彼女が差し出してきたのは女性物の下着。純白のパンツとブラである。フリルつきの意外にったデザインだ。


「……まあ、きみがいいのならかわかすのは構わないが」


 これらはせんたく済みであり、要するにただの布きれだ。自分自身にそう言い聞かせながら、俺は彼女の下着をかんそうさせた。特殊執行部隊インビジブル・ハンズでは男女共同で何日も続くこくな訓練が行われるが、さすがにここまで明けけな依頼をされるのは初めてである。


 しかしアナはなんのまどいも見せずにかわいた下着を受け取って、


「ありがとうございました。じゃあ、この上着、お返ししますね」

「おい、待て。ここでぐんじゃない!」


 俺のジャケットをその場でごうとしたアナを、俺はさすがに制止した。

 ジャケットのファスナーを下げかけたまま、アナは不思議そうに俺を見返して、


「え? でも……」

「そこら辺のいわかげにでもかくれてえてくればいいだろ」

「あ、はい……そうですね?」


 なつとくしたのかどうかあいまいな表情をかべながらうなずいて、アナは岩場のかげへと移動する。

 彼女の背中が見えなくなるのを待って、俺は深々とたんそくした。


「なんなんだ、あの女は。けいかい心はないのか?」

『まあ、そう言ってやるな。天環オービタル育ちで常識にうといのだ』


 けいやく対象の〝じよ〟をかばうように、黒犬──ゼブがそう言って笑った。

 アナのとついにまわされる俺を、明らかにおもしろがっている態度である。


天環オービタルにも生徒はいるのか?」

『あまり数は多くないが、アナセマのように天環オービタルで暮らしている子供はいる。やつらは生徒ではなく、主に聖女と呼ばれているがな』


 俺の質問に、ゼブが答える。


「聖女?」

『強い聖属性のほうが使えるむすめは、地上にとされることなく天環オービタルで育成されるのだ』


てんじんたちのりようのためか?」

『そうだな。それもある』

「それ以外の理由というのはなんだ?」


 ゼブのふくみのある言い回しを聞いて、俺は目つきを険しくした。


 聖属性ほうは、適性者の少ない貴重なほう属性だ。主な役割はりようと回復。病気や精神系の状態異常や部位欠損のような大は、この属性でなければやせない。


 そして聖属性ほうの役割はもうひとつ──のろいの除去やふういんだ。


「まさか〝さいやく〟をふうじるためか?」

てんじんなどと名乗っている連中のことを、あまり信用しないことだ。なにせやつらは、我ら〝さいやく〟を生み出した者どものまつえいなのだからな』


 黒犬が、ごとのような口調で俺に忠告する。


 アナが天環オービタルで暮らしていた事情を理解して、俺はかすかないらちを覚えた。


 彼女は、地上の学生たちのだれもがあこがれる、天環オービタルの住人だった。

 だがそれは、本人が望んだことではない。てんじん種族の道具として利用されるために、アナは天環オービタルゆうへいされていたのだ。聖属性ほうが使えるという、ただそれだけの理由で。