「状況はだいたい理解した。天人種族は、地上を滅ぼした〝災厄〟を、天環に秘匿していたんだな? そのための封印の器がアナか?」
『然様。連中にとって我らは、同種の兵器を新たに生み出すための研究対象だったようだな。そんなことができるくらいなら、最初から地上は滅んではおらんだろうが』
「なんで当事者のおまえが評論家気取りなんだ?」
俺は呆れまじりに気怠く息を吐いた。
冷静に考えると相当に重要な情報を聞かされているはずなのに、なにもかもが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
「とにかく天人たちは、保管していたはずの〝暴食の悪魔〟を制御不能だと判断したわけか。だから地上に放逐して、ついでに軌道爆撃ミサイルで焼き払うことにした、と……」
『天人どもにとっての唯一の誤算は、ミサイルが着弾する前に、地上の生徒であるお主が〝災厄の魔女〟と接触して、彼奴の使い魔になったことであろうな。それがなければ、封印されたままの我に爆撃を防ぐ手段はなかった。我はともかく、あの娘は死んでいたはずだ』
「そうか」
黒犬の淡々とした解説を聞いて、俺はようやく納得する。
アナ一人では、自らの体内に封じた〝暴食の悪魔〟の能力は使えない。
彼女の肉体から〝災厄〟の力を引き出して操る使い魔──協力者の存在が不可欠なのだ。
喩えるなら、アナは膨大な電力を宿したバッテリーだ。外部の電気製品に接続しなければ、エネルギーを放出することはできない。
だから天人たちは、彼女を廃棄モジュールに閉じこめた上で焼き尽くそうとしたのだろう。
「アナが死んで、おまえの封印だけが解けた場合、地上はどうなっていた?」
俺が不機嫌な声で質問すると、ふむ、と黒犬は少し考えるような仕草をしてみせた。
『二十九年前の惨劇の再来だ。少なくともこの大陸にある〝学園〟は、跡形もなく滅びていたのではないか?』
「天人はそうなることを知ってたのか?」
『我が暴走する可能性は認識していただろうな。天環の中でアナセマを始末しなかったのは、それを恐れたからだろう』
「……天人を信用するなというのは、そういうことか」
俺は苦々しく唇を歪める。
天人たちは、アナが死ねば〝暴食の悪魔〟が暴走すると思っていた。
だから彼らはアナを地上に墜とした。
彼らは〝災厄〟を処分するためなら、最悪、地上が再び滅びても構わないと考えたのだ。
「逆に訊くが、アナが生きていれば暴走の危険はないのか?」
『それがあの娘との契約だからな』
「契約?」
『いくら聖属性魔法が使えるといっても、たかが人間の小娘一人に我が封印できると思うか?』
「……!」
ゼブの指摘に、俺は小さく息を吞む。
言われてみればそのとおりだ。世界を滅ぼすほどの力を持つ〝災厄〟を、たった一人の〝魔女〟が抑えこむことなどできるわけがない。
『我はアナセマと契約した。ゆえに我はあの娘に従おう。彼奴が、我との契約を忠実に履行している限りはな』
笑いを含んだ黒犬の言葉に、俺はぞくりと寒気を覚えた。
今の発言が真実なら、〝暴食の悪魔〟は封印されているというよりも、自らの意志でアナに従っているということになる。
実際、アナは最初からずっと〝暴食の悪魔〟のことを友達だと呼んでいた。彼女は掛け値なく本当に〝暴食〟の対等な契約者だったのだ。
「お待たせしました! ハルくん、さっきの魔法、すごいです! 下着までふわふわです!」
着替えを終えて戻ってきたアナが、制服のスカートやケープをヒラヒラとひるがえしながら興奮気味に報告する。放っておくと下着まで見せつけてきそうな勢いだ。
「お二人はなんの話をしてたんですか?」
俺と黒犬が仲良く世間話をしていたとでも思ったのか、アナはにこやかに微笑みながら訊いてくる。
「きみが〝暴食の悪魔〟の契約者という話だ。まあ、こいつが本当に〝暴食の悪魔〟なのかどうかはわからないが──」
俺は軽く顔をしかめて言った。なるほど、とアナは大きくうなずいて、
「うーん……契約というか、約束をしたんです。ゼブくんのお願いを叶えるって」
「悪魔の願い、か。きみはそいつになにを約束したんだ?」
俺は重々しい口調でアナに訊く。
制御不能といわれる〝災厄〟を縛りつけるほどに強力な契約だ。その対価は、相当に過酷なものになるはずである。
だが、深刻な表情の俺とは裏腹に、アナはあっけらかんとした口調で告げた。
「ご飯です」
「……ご飯?」
「はい。ゼブくんがこれまで食べたことのない美味しいご飯をたくさん食べさせます! わたしはそのために地上に来たんです!」
誇らしげに言い切るアナの隣で、黒犬が、うむ、と厳かに首肯する。
そんな自称〝魔女〟と〝悪魔〟を見て、そうか、と俺は脱力して空を仰ぐのだった。
4
食材になりそうな魔物を求めて、俺とアナは荒野を徒歩で移動する。
目的地は直線距離で二キロほど離れた、水場のありそうな疎林地帯だ。
地上に不慣れなアナの体力が不安だったが、彼女は初めて訪れた地上の風景に興味津々で、むしろ子供のようにはしゃいでいた。綺麗な石を見つけて喜んだり、いい感じの木の枝を拾って振り回したりしているうちに、目当ての疎林が見えてくる。
「いませんね、魔物」
「いや、見つけた」
俺は岩場に屈みこみ、乾いた地面を観察する。
等間隔に刻まれた小さな窪み。よほど注意していないと見落としてしまいそうな、かすかな痕跡だ。
「足跡ですか?」
「ああ。魔鳥だな。ラプトルだ」
特徴的な足跡の形から、それを刻んだ魔物の種類を推定する。
体長三メートルから四メートルほどの獣脚類。飛行能力を持たない肉食の猛禽。敏捷で凶暴、そして知能の高い厄介な魔物だ。
『ほう? 美味いのか?』
黒犬が、興味をそそられたように訊いてくる。
「いちおう高級食材とはいわれているな」
最初に気にするのはそこなのかと、俺は内心で呆れながら答えた。
いくら凶暴でも、鳥は鳥。やや味わいは淡泊だが、ラプトルの肉は魔物肉の中では、比較的クセがなく食べやすい部類に入る。
ただしラプトルの魔物としての脅威度は高く、安全に狩るのは難しい。高額で取り引きされているのは、主にその入手性の悪さが要因だ。
「いました。ラプトルというのは、あれですか?」
足跡を追ってしばらく進んでいると、アナが不意に立ち止まって声を上げた。
彼女が見ている視線の先に、芥子粒ほどの大きさの魔物の姿がある。
全身を鮮やかな羽毛で覆った猛禽。ラプトルだ。
「よく見つけた。目がいいな」
俺は素直に感心した。
アナが見つけたラプトルまでの距離は八百メートルほど。肉眼でラプトルを視認するのは困難な距離だ。
「追いかけますか?」
「いや。ここで仕留める。警戒心の強いラプトルに、これ以上近づくのは危険だ。あいつらに気づかれて逃げられたら、人間の足で追いつくのはまず不可能だしな」
俺はそう言って亜空間収納から、一挺のライフルを取り出した。
七・六二ミリ口径でライフルスコープを装備したセミオート式の狙撃銃。中距離の狙撃に対応した、いわゆるマークスマンライフルだ。
専用の狙撃銃ほどの命中精度はないが、そのぶん連射性能に優れている。俊敏で知能の高いラプトルを狩るのに向いているのは、こちらだろう。
「魔法を使う。きみは少し離れていてくれ」
俺はアナに短く警告する。
どこからともなく突然出てきたライフルを不思議そうに見つめながらも、アナは素直に指示に従った。
俺はその場に膝を突き、二脚で銃を固定する。
照準器に映るラプトルの数は二体。
ラプトルの生態は狼に近く、家族群と呼ばれる群れで狩りをすることが知られている。
二体というのは、家族群を構成する最小単位だ。
もっと大規模な群れに遭遇する可能性があったことを思えば、運が良かったといっていいだろう。
俺は二体のラプトルのうち、距離の遠い一体に狙いをつけた。
ラプトルは比較的小型の魔物だが、対人用の銃器で倒せるような相手ではない。彼らの体表は強靱な羽毛で覆われており、ライフル弾の直撃にも耐えるのだ。
だからといって、魔法が届く距離でもない。魔法は標的までの距離に比例して魔力の消費量と制御の難易度が増大し、通常の攻撃魔法の射程はせいぜい拳銃と同程度だといわれている。
だがそれは、通常の攻撃魔法に限れば、だ。
俺は狙撃姿勢でライフルを構えて、無言のまま淡々と引き金を絞る。
距離約八百メートル。風速五メートル。高低差は約三十メートルほどの撃ち下ろし。狙撃としては、それほど難しい条件ではない。
「まず、一体──」
俺が放った弾丸は、狙っていたラプトルの首筋に正確に着弾した。