5
枯れ枝を削って串を作り、適当なサイズに切った肉を刺す。
それだけでだいぶ焼き鳥らしく見えてくる。残る問題は肉の味付けだ。
「ハルくん、それはなんですか?」
「なにと言われても、調味料と野菜だが……?」
俺が亜空間収納から取り出した品を目敏く見つけて、アナが興奮気味に喰いついてきた。
ちょうど〝学園〟外での作戦行動中だったため、俺の亜空間収納には、特殊執行部隊用の補給品が入っていた。
芋やトウモロコシ、それに人参などの野菜類、そして調味料一式だ。
なんらかの理由で補給が断たれても作戦行動に支障が出ないように、武器や弾薬とともにあらかじめストックしておいたのだ。
「これを使っていいんですか?」
「……ああ。任せる」
アナの勢いに半ば圧倒されて、俺は取り出した物資をまとめて彼女に渡した。
肉の味付けなど塩と胡椒があれば充分だと思っていたが、アナが調理にこだわるというならそれはそれで構わない。要は食べられさえすればなんでもいいのだ。
しかしそんな無関心な俺でも、その次のアナの行動には絶句した。
彼女はいきなり聖属性の魔力をまき散らすと、大量の聖水を周囲にばら撒き始めたのだ。
「おい!? なにをやってるんだ!?」
「え? 使い終わった調理器具は、洗ったほうがいいと思ったのですが……」
「そんなことのために聖水を使うな。普通に煮沸消毒すれば充分だ」
俺は軽い頭痛に襲われながら首を振る。
「いいか、きみはわかってないかもしれないが、地上では聖属性魔法の使い手は貴重なんだ。聖属性が使えると知られたら、きみの身柄は多くの連中から狙われることになる」
「狙われる? 私が、ですか?」
「そうだ。きみをどこかに監禁して聖水を大量に作らせれば、それだけで大儲けできるからな」
「そ、それは困ります。ゼブくんとの約束が果たせなくなりますから」
アナが怯えたようにブルッと肩を震わせた。黒犬も、けしからん、というふうにフンと鼻を鳴らしている。
「だから俺が許可しない限り、聖属性の魔法は使うな」
「で、でも、わたしは聖属性の魔法以外は使えないんですけど……」
「だったら魔法は一切禁止だ」
「ええ……!?」
俺に命じられて、アナが情けない声を出す。
自分を取り巻く状況の深刻さを、彼女は今ひとつ理解できていないらしい。
「そもそもきみは天環からの脱走者だろう? きみが今も生きてることを天人種族に知られたら、あいつらはまた地上を爆撃しようとするんじゃないのか?」
「そ、そうでした……」
言われてようやく思い出したのか、アナは少しだけ表情を引き締める。
しかし彼女はすぐに元の緊張感のない顔つきに戻って、
「あ、ハルくん、お塩、取ってもらってもいいですか? お醬油とみりん……あ、料理酒もあるんですね。これなら焼き鳥のタレが作れます。ハルくんの魔法はすごいです」
「空間魔法は、それほど評価の高い魔法ではないんだが……」
「そんなことないです。こんなところでこれだけの調味料が使えるなんて、夢のようです」
渡された調味料を確認しながら、アナは嬉々としてタレの調合を始めた。
その間に俺は野菜を切り、焼き鳥の串を完成させる。見た目は焼き鳥というよりもバーベキューだが、それについてはアナや黒犬も特に不満はないようだ。
「ハルくん、ちょっと味見をしてもらえますか?」
「俺はいい。きみに任せる」
「わたしだけでは地上の人の好みに合ってるかどうかわかりませんから。あーんしてください。はい、あーん」
「…………」
アナの強引な要求に負けて、俺は仕方なく口を開けた。
小さな赤ん坊をあやすように、その口にスプーンをつっこんでくるアナ。口の中に広がったのは、甘塩っぱく、それでいて複雑な不思議な味わいだった。
「どうですか?」
「……美味いな。第七学区で出てくるタレよりもまろやかで、味に深みがある気がする」
「隠し味にハチミツを使ってるんです。あとは粉末ダシがあったので、それをひとつまみ」
嬉しそうに目を細めながら、アナがタレのレシピの種明かしをする。
「これが天環風の味付けなのか?」
「いえ。これは魔女の知識です」
「魔女の知識?」
「はい。院では、わたしの料理を食べてくれる人は誰もいなかったので、ハルくんと一緒に食事ができるのは嬉しいです」
アナが寂しげに微笑んで告げる。
院というのが、彼女が収容されていた天環内の施設の名前らしい。
女子修道院──たしか旧世界における宗教施設の呼び名だったはずだ。なるほど。聖女を閉じこめておく場所には相応しい名前だろう。
「アナの知識の出所は、おまえか?」
俺は、なぜか俺の背中にまとわりついている黒犬に訊く。
黒犬はそれを聞いてニヤリと笑い、
『知らなかったのか? 悪魔というのは、契約者に様々な知識をもたらすものだ』
「旧世界の人間は、なにを考えておまえみたいなわけのわからない兵器を造ったんだ……」
俺は心底呆れて溜息をついた。
契約者に料理の知識を教える魔導兵器が存在するなんて、本気で意味がわからない。しかも旧世界の文明が滅びてしまった以上、その料理の知識を伝承しているのは彼らだけなのだ。
「ゼブくん、ここに穴を掘ってくれますか? パチャマンカを作るので」
『む……まあ、よかろう』
アナに頼まれた黒犬が、俺の背中から降りて地面に向かう。そしてせっせと穴を掘り始める。
その姿は、まさにただの犬そのものだ。
俺もアナも地属性の魔法が使えないので、ある意味、役に立っていると言えなくもないが。
「あとはこの石を穴に入れたいんですけど」
「それは俺がやろう」
焚き火で熱せられた焼け石を、俺はいったん亜空間収納に移して、それから黒犬が掘った穴の中へと放りこんだ。
「やっぱり便利ですね、ハルくんの魔法」
アナが羨ましそうな表情で呟き、俺は黙って肩をすくめた。
地味な補助魔法である自分の固有能力を、稀少な聖属性魔法の使い手に称賛されるのは複雑な気分だ。
焼け石を敷き詰めた穴の中に、アナは葉っぱで包んだ食材を放りこみ、その上に土を被せて蓋をする。そうやって土の中で蒸し焼きにするつもりなのだ。
「これで準備は終わりです。あとは火が通るのを待ちましょう」
満足そうな笑顔でそう言って、アナは再び聖属性魔法を発動した。そして自らが生み出した聖水で汚れた手を洗う。
俺はそんなアナの左右のこめかみに、両方の拳を押しつけた。
「だから、聖属性魔法は使うなと言っている……!」
「す、すみません。いつものクセで……あ、痛い。痛いです、ハルくん。それ、すごく痛い」
こめかみをグリグリと圧迫されて、アナが涙目で悲鳴をあげる。
それを無言で見下ろしながら、俺は彼女をどう扱うべきか真剣に悩み始めていた。
俺にとってもっとも無難な選択肢は、アナの身柄を第七学区の生徒会に引き渡すことだ。
そもそも俺がアナと出会ったのは、特殊執行部隊の任務中であり、その過程で手に入れたアイテムや情報はすべて提出する義務がある。
天人であるアナを保護するのも、本来は生徒会が果たすべき役割だ。執行部隊の小隊長に過ぎない俺が、いちいち悩むようなことではない。
だがそれは、あくまでアナが普通の天人だったときの話である。
アナはどう考えても普通ではない。
なにしろ肝心の天人種族に命を狙われている。彼女が生きていることが天環に知られたら、再び地上が爆撃されかねない。
そして生徒会関係者の口から、彼女の生存情報が天環に伝わる可能性は低くない。
なぜなら生徒会の役員たちは、将来の天人の幹部候補だからだ。
自分の成績評価を稼ぐためにアナの情報を売るくらいのことは、彼らなら平気でやりかねない。アナが天人であるという事実を、迂闊に広めるべきではないだろう。
そしてアナのことを報告できないもうひとつの理由は、彼女の正体が魔女だからだ。
アナが封印している〝暴食の悪魔〟を、生徒会は決して放ってはおかない。
強力な魔導兵器である〝災厄〟の能力の一部だけでも解明できれば、第七学区はほかの学区に対して、圧倒的に有利になるからだ。
もっとも天人たちですら扱いきれなかった〝災厄〟を、〝学園〟の生徒たちの技術で制御できるとは思えない。最悪の場合は〝暴食の悪魔〟の暴走によって、〝学園〟そのものが消滅する危険すらある。
そして最後にもうひとつ──たとえ彼女の正体と〝暴食〟の存在を隠し通したとしても、アナには強力な聖属性魔法がある。アナが文字どおり湯水のように聖水を生み出せると知ったら、学園中のあらゆる組織が彼女を確保しようとするだろう。
聖水があれば、回復薬が作れる。回復薬は重要な戦略物資であり、回復薬の備蓄量次第で学区の戦力バランスは大きく変動する。アナの非常識な聖属性魔法は、その微妙なバランスをぶち壊すのに充分だ。つまりアナ一人の存在が、戦争のきっかけになってもおかしくないということだ。
当然、第七学区の生徒会は、アナを保護しようとはするだろう。
ただしその場合の保護というのは、監禁と同義だ。生徒会の本部あたりに彼女を幽閉して、ひたすら聖水を生成させ続けるのだ。
それは最悪の選択だ。
どこかに監禁されてしまえば、アナは〝暴食の悪魔〟との契約が果たせない。つまり彼女の封印は無効化されて、魔導兵器〝災厄〟の一体が再び解き放たれることになる。そうなればやはり待ち受けている結末は〝学園〟の消滅だ。
「完全に詰んでるな……」
俺はぼそりと本音を口にした。
アナを危険に晒すわけにはいかない。しかし生徒会の保護も受けられない。〝学園〟側には彼女の正体と能力を隠しつつ、一方で〝暴食の悪魔〟との契約を果たすために美味い食材を集め続けなければならない。
どう考えても無理筋だ。