聖女と暴食

第一章 ラプトルのパチャマンカ ⑧

「あの……ハルくん? なにか困ってることがあるなら、相談に乗りますよ? 私、こう見えても聖職者なので」


 ちんもくを続ける俺を見上げて、アナが心配するように言った。


「そうか。気持ちだけ受け取っておく」


 俺はあいまいにうなずいて首をる。

 なやみのげんきようはほかならぬきみ自身なんだが、とはさすがの俺も言いづらい。


『この焼きラプトルはもうえるのか?』


 俺ののうなど気にもめずに、の上の肉を見つめて黒犬が言った。


「いちおう火は通ってますけど、もう少し焼き色をつけたいですね。ついでに味付けもしちゃいましょう。塩とタレ、半分ずつでいいですか?」

『うむ、任せる』


 えらそうな黒犬の許可を得て、アナは、白焼き状態の焼き鳥にまずは塩をっていく。

 ただの塩しようだけではなく、みりんや油、ニンニクなどを混ぜこんだ塩ダレだ。


 続けてアナはしようダレの準備に移った。

 たっぷりとりこまれたタレがしたたちて火の粉が散り、こうばしいにおいが周囲にただよい出す。

 食欲をそそる暴力的なまでのにおいだ。


「まずいな……」


 の明かりに照らし出された肉を見て、俺は小さくつぶやいた。

 せっせとタレをっていたアナは、ショックを受けたように動きを止めて、


「ええ……!? でも、さっき、味見をしたときにはハルくんもしいって……」


ちがう。そうじゃない。これだけのにおいがただよっているのに、この近くにいるものが、それに気づかないってことがあり得ると思うか?」

『む……』


 俺のてきに、黒犬が鼻をヒクつかせた。


 火をきらうのは、野生の動物もものも同じだ。ただ肉が焼けるにおいだけなら、むしろ彼らを遠ざける効果があったかもしれない。


 しかしアナが作ったタレのにおいはまずい。

 なにも知らないものたちの興味をくのにじゆうぶんな、きようれつゆういん力がある。


ものに気づかれると、どうなるんでしょう?」


 アナがこんわくしたように首をかしげる。


 そんな彼女のけもの耳が、なにかに反応したようにピクリとふるえた。

 いつしゆんおくれて俺も気づく。えんらいのようなかすかなひびきが聞こえる。きよだいものの足音だ。


「当然、こうなるだろうな」


 うすやみおおわれた夕暮れのこうに、小さなしんかがやきがともった。

 それは全身にほのおのような毛皮をまとった、きよだいものの姿だった。


6


 新たに出現したものまでのきよはおよそ二キロメートルといったところか。それでも肉眼ではっきりとその姿が見える。単純にラプトルなどよりも、はるかに大型の個体なのだ。


 ずんぐりとした四足歩行のものだ。


 体高は四メートル前後。全長は八メートルに近いかもしれない。陸生型の生物としては、かなりきよだいな部類に入る。この付近ではちがいなく最大級のものだろう。強敵だ。


「ど、どうしましょう!? せっかくお肉が焼き上がったのに……!」


 近づいてくるものと目の前の焼き鳥を見比べて、アナがおろおろとうろたえる。


 きよだいものわきらずに、俺たちのいる方角へとしつそうしていた。どう見ても、焼き鳥のにおいにきつけられてきたとしか思えない。


「落ち着け。相手が一体きりなら、ここで片付ければ済む話だ」


 ろうばいしているアナに向かって、俺はたんたんと言い放つ。その足元で、黒犬も同意した。


『くくっ……そうだな。新しい食材が自分からやってきたと思えばいい』

「食材……なるほど……」


 アナが落ち着きをもどしてうなずいた。

 まだう気か、と俺はさすがにあつにとられる。


「とはいえ、動きが速いな。ここは危険だ。退たいするぞ」


 近づいてくるものの速度を目算して、俺はアナになんうながした。


 どんじゆうそうなきよたいにもかかわらず、しんものの動きは速い。このままの速度で走り続ければ、おそらく一分もかからずに俺たちのところまで辿たどくはずだ。


「え!? でも、焼き鳥は……」


 いい具合に焼けた焼き鳥を見つめて、アナが情けない表情をかべた。


「そんなものを気にしてる場合か!」

「は、はい!」


 ちらちらとのほうをかえるアナをかして、俺は近くの岩場へと彼女を追い立てた。


 人間でもがるのになんするようなきゆうしやめんの上だ。あのものきよたいでは、簡単には登れないだろうし、とりあえずアナの安全が確保できるならそれでいい。


 結局、高さ二十メートルほどの岩場をアナがどうにか登りきったのは、ものの前まで辿たどくのとほぼ同時だった。


「ああっ……! わたしたちの焼き鳥が……!」


 きよだいものらし、その上で焼けていたラプトル肉をらす。

 それを見て、アナが悲鳴を上げた。


「フレイムボア……! しかも変異種か!」


 ほのおに照らされたものの全容をかくにんして、俺は小さく舌打ちする。


 フレイムボアは、〝学園〟付近のこうに多く出現するものである。


 とくちよう的なしんの毛皮は火属性のほうを帯びており、ぼうぎよ力がきわめて高い。こうげき的で力も強く、そのきよたいからとつしんは強力な武器だ。


 しかも目の前のものきよたいには、本来のフレイムボアには存在しない、かいじゆうめいた三本の角が生えている。平均的なフレイムボアより二回り以上もきよだい身体からだといい、なんらかの理由で出現した一代限りの変異種にちがいないだろう。


「ボア……もの化したいのしし、でしょうか? ぼたんなべが出来ますね。あとはかくとヒレカツも」

『でかいな。なかなか食い出がありそうだ。変異種のものは通常種よりもいと聞くしな』


 変異種のせんとう能力をしんけんきわめようとしている俺のとなりで、アナと黒犬がのんな会話をわしている。

 だつりよくしそうになるのを必死でこらえて、俺は小さく首をった。


「悪いが、非せんとう員をかばいながら戦うほどのゆうはなさそうだ。あいつは俺が一人で仕留めてくる。アナと犬コロはここにいろ」

「一人でだいじようなんですか? あの、私の……じよの力、使いますか?」


 自分のむなもとをぎゅっと押さえて、アナが俺を見つめてくる。

 彼女が持つというじよの力。つまりそれはふういんした〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟の力ということだろう。


 たしかにどうだんとうちよくげきすらそうさいするあの黒いけんの力なら、たかだか全長七、八メートル程度のものほうむるのは造作もないはずだ。だが、


「きみがはらだいしようはなんだ?」

「え?」


 俺のとうとつな質問に、アナがきょとんと目をしばたいた。


「たとえきみが〝暴食の悪魔〟のけいやく者だとしても、〝さいやく〟の力を使うには、相応のだいしようが必要なんじゃないか? 力を受け取るだいしようはなんだ? きみはそいつになにを差し出した?」

「それは……その、ハルくんにはないしよです」

「あ!?」


 俺は思わずイラッとして、アナのこめかみをこぶしはさみこむ。


 たしかに俺が気にしているのは〝さいやく〟の力を使う危険性であって、彼女の身をづかっているわけではない。だとしても、ここで情報をしぶる意味がわからない。


「だって、せっかくハルくんが忘れてるのに……いたたたたた、それ本当に痛いから、やめてくださいぃぃ……!」


 アナが情けない悲鳴を上げる。だが、それでも彼女はだいしようについての秘密を明かすつもりはないらしい。

 そしてもんするアナを見かねたように、黒犬がやれやれと息をき、


『心配せずとも、我がアナセマからげるもつは一時的なものだ。寿じゆみようやらたましいやらをうばうわけではないから安心せよ』

「そんなものをほいほい差し出されてたまるか!」


 ぶつそうなことを言い出した黒犬をりつけ、俺はアナを解放した。


 俺たちの眼下には、今も変異種のものがいる。

 そのきよだいしんひとみが、岩場の上にいる俺たちに向けられた。


 ものの多くは人間をう。彼らが好むのはりよく保有量の多い人間。特に聖属性のりよく持ちだ。ラプトルの肉を食べくした変異種が、俺たちをおそってくるのは時間の問題だろう。こんなところでくだらない言い争いをしている場合ではない。