「とにかくきみはここでじっとしていろ。動くなよ!」
「ハ、ハルくん……!?」
引き止めようとするアナを無視して、俺は岩場を滑り降りた。
空間魔法を発動して、亜空間収納から武器を取り出す。
五・五六ミリ口径のアサルトライフル。旧世界で使われていた軍用自動小銃のコピーモデルだ。
魔術的なギミックをなにひとつ持たないただの工業製品であり、普通なら高ランクの魔物に通用するような武器ではない。だが、俺にはこれで充分だった。要は引き金を引けば弾が出て、真っ直ぐに飛んでくれれば、それでいいのだ。
俺は着地すると同時にライフルを構え、こちらに突っこんでくる魔物へと銃口を向けた。
標的が大きすぎて外す気がしない。ろくに狙いもつけないまま、俺は無造作に弾丸を撃ち放つ。超音速で飛翔した弾丸は、期待どおりにフレイムボアの脚の付け根に着弾した。
もちろんその程度では巨大な魔物は倒せない。
自分が撃たれたことにすら気づいていないのかもしれない。
フレイムボアの全身を覆う深紅の毛皮は恐ろしく強靱であり、魔力強化の恩恵もあって、同じ厚さの鋼鉄の数倍の強度を持っている。戦車砲でも持ってくれば話は別だが、こんな対人用の小火器では魔物の肉体に傷ひとつ負わせることはできないだろう──本来ならば。
しかしそのフレイムボアの右脚が、突然、凍りついたように動きを止めた。
当然、加速中だったフレイムボアは、大きく姿勢を崩すことになる。
深紅の魔物は大きくよろめいて、つんのめるようにして地面に転がった。
大地が震えるほどの凄まじい轟音が鳴り響き、土煙がもうもうと立ちこめる。
突進の勢いを殺しきれずに、フレイムボアの巨体は、そのまま十数メートルも滑り続ける。
並の魔物なら、それだけで再起不能になってもおかしくないほどのダメージのはずだ。
『ほう……雷撃で魔物の筋肉を硬直させたのか。面白い使い方だな』
いつの間にか俺の背中によじ登っていた黒犬が、訳知り顔で解説する。
俺は横目で黒犬を睨んだ。
「どうしておまえがここにいる?」
『彼奴は我の焼き鳥を横取りしたのだぞ? 当然、その報いを喰らわせてやらねばなるまい?』
「その姿でおまえになにが出来るんだ?」
『貴様は我の契約者であるアナセマの使い魔だからな。その貴様があの野豚を誅すれば、それはすなわち我が手を下したも同然よ』
「誰が使い魔だ、駄犬が」
実に鬱陶しい自称〝暴食の悪魔〟を無視して、俺は視線を魔物に戻した。
激しく転倒したフレイムボアはごっそりと地面を抉り取っただけで、本体はほぼ無傷のまま立ち上がる。
醜悪に血走った魔物の瞳は、俺に対する怒りで燃えていた。なにが起きたのかはわからなくても、俺に攻撃されたことは理解できたらしい。
「どうした、デカブツ? 人間ごときに地面を舐めさせられたのが不服か?」
挑発するような口調で言い放つと、俺はフレイムボアに向けて再び発砲した。弾丸はこちらを睨み続ける魔物の眉間に命中。強靱な毛皮に喰い止められて、当然のように弾かれる。
だがその直後、フレイムボアの眉間で青白い閃光が弾けた。二百万ボルト以上の超高電圧と、一千万アンペアを超える大電流の雷撃。魔法的に再現された極小規模の落雷だ。
その衝撃はフレイムボアの外皮を貫通し、魔物の巨体を激しく痙攣させた。
神経を焼くような苦痛に襲われて、フレイムボアが苦悶する。
「さすがに雷に撃たれたのは初めてか? 自慢の毛皮も電撃までは防げないようだな?」
俺はセミオートで装塡された弾丸を次々に発射した。その弾丸の軌跡をなぞるかのように青白い雷光が迸り、魔物の巨体を絶え間なく襲う。
だが、目の前のフレイムボアは、その雷魔法を何発も喰らいながらも耐えている。
その事実に俺はむしろ感心した。さすが変異種。凄まじいタフネスだ。おまけに攻撃を喰らい続けているうちに、フレイムボアは、雷魔法への対策すら編み出したらしい。
「なるほど……それがおまえの固有能力か」
琥珀色に輝き始めたフレイムボアの毛皮を眺めて、俺は、ほう、と息を吐いた。
魔物の周囲の大気が揺らめき、十数メートルも離れた俺のところにまで真昼の砂漠のような熱波が押し寄せてくる。
毛皮を輻射板代わりに使った炎の鎧。それがヤツの切り札なのだろう。通常種のフレイムボアには備わっていない変異種だけの特殊能力だ。
おそらく今の変異種の表面温度は、余裕で一千度を超えているだろう。
だがその炎は、魔物が展開した魔力障壁の副産物に過ぎない。
炎属性の障壁で全身を覆うことで、ただでさえ強靱だったフレイムボアの外皮はまさに鉄壁となった。ただのライフルの銃弾では、あの障壁は貫けない。たとえ攻撃したところで障壁に阻まれて、やつの肉体に届く前に弾丸が弾かれてしまうだろう。
それはつまり俺の雷撃が、やつには届かないということだ。
自分が優位に立ったと判断したフレイムボアが、勝ち誇ったように雄叫びを上げた。
そして俺に向かって真っ直ぐに突っこんでくる。
勢いに乗って加速する深紅の巨体を止めることはもはや不可能だ。
だがそれはフレイムボアもまた、俺の攻撃をよけられないということでもある。
「できればこいつは使いたくなかったんだが……」
本気の溜息を洩らしながら、俺は亜空間収納から新たな武器を取り出した。
俺が〝稲妻〟などという恥ずかしい二つ名で呼ばれる元凶にもなった、忌まわしき切り札。
大砲と呼ぶには精密すぎ、銃と呼ぶにはあまりにも巨大な代物。
二股に分かれた銃身を持つ、全長四メートルを超えるエレクトロマグネティックランチャー──
すなわち、電磁投射砲だ。
「悪いな、魔物。その命、いただくぞ……!」
俺は唇の端を吊り上げて、獰猛に笑った。
亜空間収納を開放して、溜めこんでいた大電力を一気に放出。電磁投射砲の銃身が青白く輝き、加速回路を形成する。
『待て! 小童!』
なにを血迷ったのか、俺の耳元で黒犬が叫んだ。だが、砲撃を止めるにはもう遅い。
雷魔法が生み出す膨大な電流が電磁気力を生み出し、弾丸代わりの金属の塊を射出する。
極超音速で飛翔した金属塊は炎魔法の障壁をあっさりと撃ち抜いて、フレイムボアの頭部に着弾。特徴的な角を一瞬で粉砕し、そのまま魔物の頭蓋をごっそりと消滅させた。
当然それだけの威力を生み出した電磁投射砲の発熱と反動は凄まじく、俺は自前の風魔法と身体強化を全開にして、どうにかそれを押さえつける。
そして極超音速の弾体が生み出す爆風がどうにか収まったときには、フレイムボアの巨体はもはや原形を留めていなかった。
「ハルくん! 無事ですか!?」
もうもうと立ちこめる土煙の中、岩場から降りてきたアナが、俺のほうへと駆け寄ってくる。
俺は、いまだに帯電している電磁投射砲を亜空間収納に戻しながらうなずいた。
「当然だ」
「あの……それで、猪のお肉は……」
「肉……?」
一瞬なにを言われているのかわからず、俺は怪訝な顔をした。
アナと黒犬が変異種の肉を楽しみにしていたことを、少し考えて思い出す。
もともと夕飯にする予定だったラプトル肉を、変異種のフレイムボアが食べてしまった以上、その代わりの食材をアナたちが期待するのは、当然といえば当然のことだ。
「だから待てと言ったのだ」
黒犬が、非難がましい視線を俺に向けた。
電磁投射砲の砲撃をまともに喰らった変異種の頭部は跡形もなく、胴体の大半も爆発四散している。可食部など半分も残っていないだろう。
どうやら黒犬はこうなることを恐れて、俺の砲撃をやめさせようとしたらしい。しかし、こうなってはもはや後の祭りである。
「ぼ、ぼたん鍋が……」
地面に散らばったフレイムボアの欠片を見回して、アナが地面に膝を突く。
そんな天人の少女の背中を、俺は気まずい思いで眺めるのだった。