7
「結局、残ったのはこれだけか……」
バラバラになったフレイムボア変異種の肉片を集め終え、俺はぐったりと息を吐いた。
全長約八メートル。体重十トンを超えていたはずの魔物の肉体は、今や半分以上も消し飛んで見る影もない。かろうじて元の姿を残しているのは、四肢と臀部くらいのものだった。
「カシラとミミはダメですね。肩とロースもほとんどなくなってしまってます……」
俺の隣で、アナがしょんぼりと肩を落とす。
しかし彼女は、すぐに気を取り直したように顔を上げ、
「でも、大丈夫です! バラ肉とスネはそっくり残ってますし、ヒレとモモも大半は無事です! 叉焼や角煮は出来ますよ。あとヒレカツも!」
「そうか」
アナの前向きな発言に、俺は半ば呆れつつも感心した。たとえ原動力が食欲だとしても、なかなかたいした精神力だ。
「急いで血抜きをしたほうがいいですね。できれば傷口を聖水で洗って、内臓も取り出してしまいたいんですけど……」
「きみがこいつを解体する気か?」
積み上げられた変異種の身体を一瞥して、俺は、やめておけ、と首を振る。
「気持ちはわかるが、俺たちだけでこれを解体するのは無理だろ。そもそもこんなデカブツの解体に使える道具がない」
「そ、そうですね……」
アナが困ったように眉尻を下げた。さすがにここまで大型の魔物が相手だと、俺の持っているコンバットナイフ程度では歯が立たない。専用の解体道具が必要だ。
「とりあえず血抜きを済ませたら、あとは俺の亜空間収納に突っこんで持ち帰るしかないだろうな。第七学区まで戻れば、魔物の解体を専門にやってる部活があるから、そこに依頼すればいいだろう」
「わかりました。じゃあ、それまでぼたん鍋はお預けですね」
やや落胆した素振りを見せつつも、アナは提案を素直に受け入れた。
しかし俺の表情は晴れないままだ。
「問題は、きみが第七学区に入れるかどうかだな」
「え? もしかして私がお肉を受け取るのはなにかまずいですか?」
「肉のことはどうでもいいから、とりあえず忘れろ」
どれだけ猪肉にこだわってるんだ、と俺は弱々しく首を振り、
「生徒以外の部外者は〝学園〟に入れない。生徒として登録されてない人間が門をくぐろうとすれば拘束される。そうなれば、きみが天人種族ということもすぐにバレるだろうな」
「そ、それは困ります」
アナの顔がサッと青ざめた。俺はうなずいて溜息をつく。
「だろうな。地上に降りてきた天人を保護した場合、〝学園〟の生徒にはそれを天環に報告する義務がある。だが、きみが今も生きてることを知ったら、天環がどう出るか……」
『くくっ。当然、徹底的な爆撃が行われるだろうな。地上の生徒が〝災厄〟を手に入れるのを、天人どもは絶対に見過ごすわけにはいかないだろうからな』
「厄介事の元凶が偉そうに……」
無責任な口調で語る黒犬を、俺は苛々と睨みつけた。
「だが、その犬コロの言うとおりだ。天人に命を狙われているきみを、俺は第七学区に連れ帰るわけにはいかない」
「う……そ、そうですね……」
アナは頼りなく微笑んでうつむいた。アナにとっては酷な話だが、彼女には自分が置かれている状況を早めに伝えておく必要があったのだ。
『だったらどうする? ここにアナセマを見捨てていくか?』
黒犬が、試すような視線を俺に向けてくる。
『だが、魔物どもがうろつく場所に放置していれば、いずれ其奴は命を落とす。そうなれば、我が解放されることに変わりはないぞ?』
「そうだな」
俺は黒犬に反論しなかった。アナを第七学区に連れ帰ることができないのは事実だが、だからといって、彼女をここで見捨てれば、結果的に〝学園〟は滅ぶのだ。
おそらくこの問題の解決には、アナの学籍の偽造が必要だ。それなら余所の学区からの転入生ということにして、堂々とアナを第七学区に連れこめる。
問題は、学籍の偽造が重罪で、それ以上に難易度が高いということだ。
何通もの書類を偽造した上で他区の生徒会の担当者を騙し、さらには〝学園〟のシステムに侵入してデータを書き換える必要がある。他区の生徒に強力なツテがなければ、実現は絶対に不可能だ。俺一人では、どうすることもできない。
やはりここはリスクを承知で、生徒会長にアナの素性を明かすべきか、とも考える。
第七学区の生徒会長は、少々得体の知れない部分はあるが、人当たりが良く頭も切れる人格者だ。アナの安全を確保するだけなら、俺よりも彼女に任せたほうが確実だろう。
そんなことをぼんやりと考えていた俺は、遠くから近づいてくるモーターの音に気づいて、ハッと顔を上げた。目立たない迷彩色に塗られたオフロードバギーが、俺たちのいるほうへとゆっくりと接近してきていたのだ。
「アナ! 隠れろ!」
「は、はい?」
唐突に名前を呼ばれたアナが、驚いたように俺を見る。
近づいてくる車両は一台だけ。乗っているのもおそらく運転手一人だけだ。
俺たちに対する敵意はないのか、身を隠そうとする素振りはない。俺がこの距離まで相手の接近に気づかなかったのは、相手の車が低視認性の静音仕様になっていたせいらしい。魔物狩りに使われる車両によくある特徴だ。
「あの方は、ハルくんのお知り合いですか?」
俺たちに向かって手を振るオフロードバギーの運転手に、愛想良く手を振り返しながら、アナが訊いてきた。
「いや、知らない相手だ」
俺はいつでも魔法を発動できるように身構えながら返事をする。
それに気づいた黒犬は愉快そうに目を細め、
『殺すのか?』
「さ、さすがに人間のお肉を食べるのはちょっと……」
「誰がいつあいつを喰うと言った!?」
どこかズレたアナの言葉に、俺は思わず声を荒らげる。
「相手の目的がわからないから、いちおう警戒しているだけだ。どこかの学区の斥候というわけでもなさそうだが、なぜこんなところを一人でうろついてる?」
俺は半ば自問するように呟いた。
迷彩色のオフロードバギーは、俺たちのいる岩場に近づくとスピードを落とし、やがてゆっくりと停車する。幌で覆われただけの剝き出しの運転席から降りてきたのは、意外なことに女子生徒だった。
だらりとしたオーバーサイズのジャケットの下は丈の短いタンクトップで、豊かな胸の谷間と引き締まったウエストがのぞいている。恐ろしく短いスカートの下にはいちおうスパッツを着用していたが、それが逆にすらりとした太腿の白さを強調していた。
「あれぇ?」
バギーから降りてきた女子生徒は、俺の顔を見て、眠そうな目を一瞬だけ大きく見開いた。彼女がジャケットのフードを脱ぐと、特徴的なピンクブロンドの髪が現れる。
「あなた、もしかしてハル・タカトー? なんで特殊執行部隊の部隊長が、こんなところにいるのかな?」
「第七学区の生徒か? こんなところでなにをしている?」
俺は、女子生徒の質問に質問で答えた。
彼女のジャケットの胸元の刺繡は、第七学区の紋章だ。俺の顔と名前を知っていたことといい、第七学区の生徒で間違いないだろう。
「あ、そうそう。そうだった。ねえ、このあたりでフレイムボアを見なかった?」
「……フレイムボア?」
彼女に訊かれて、俺は困惑気味に目を細めた。さすがにその質問は想定外だ。
桃色の髪の女子生徒は、なぜか真剣な顔で俺を見返して、
「そう。三本角の変異種のやつ。あたしたち学食部は、四日も前からそいつのことをずっと追っかけてるんだよ」
「……その個体かどうかはわからないが、変異種のフレイムボアならそこにいるぞ」
「へ?」
俺の答えが意外だったのか、彼女はぽかんと目を丸くした。困惑しながら俺の指さした方角へと視線を向けて、地面に積み上げられていた変異種の肉片に気づく。