聖女と暴食

第二章 オクトローパーのパープル味噌煮込み ①

 かべ一面にめこまれた窓からは、都市の全景が一望できた。


〝学園〟の生徒の何割が、卒業までに一度でも、この風景を目にすることができるだろうか? きんちようまぎらわすためにそんなことを考えて、ティルティは少しだけほこらしい気持ちになる。


 地上八十八階建て、高さ四百二十メートルのちよう高層ビル──〝ケインズの杖ケインズケイン〟の最上階。第七学区アザレアス〝重商生徒会〟のほんきよたる生徒会長のしつ室だ。


 けいかい厳重なこの場に入ることが許されているというだけで、ちがいなくティルティは、〝学園〟の生徒でもほんのひとにぎりのエリートということになる。


「ティルティ・カルナイムかん委員──」


 きよだいなデスクの向こうに座る〝第七学区アザレアス生徒会長〟ユミリ・アトタイルが、そんなティルティにおだやかな口調で呼びかけた。静かだが、やけによく通る声だった。

 その声で不意に現実を思い出し、ティルティは無意識に姿勢を正す。


 生徒会下部組織の一員に過ぎないティルティが、こうして生徒会長室をおとずれたのは、ほかならぬ会長本人に直々に呼び出されたからだった。

 罪に問われるようなことをした覚えはないが、なにしろ相手は第七学区アザレアスの最高権力者だ。まったく不安がないと言ってしまえばうそになる。


 それはそれとして間近で目にした生徒会長は、想像していたよりもがらな女性だった。

 うっすらととおるようなたんりよくしよくかみと、いだ湖面を思わせる水色のひとみ。どこか現実感と実在感にとぼしい、ようせいめいたふんの人物だ。ひと言で表せばちようぜつ美少女というやつである。


 しかしはかなげな外見とは裏腹に、彼女からは言葉にできない圧力を感じた。

 空気が重いというかめているというか、まるで高ランクのものまるごしたいしている気分になる。


 これが生徒会長を務める人間のカリスマ性というやつなのだろうか。たんてきに言っておそろしい。

 せんじよう慣れした武装かん委員のティルティにすら、そう思わせるなにかが彼女にはあった。決しておこらせてはいけない種類の人間だ。


 そんなふうに内心ふるがっているティルティを見つめて、ユミリはたんたんと言葉を続けた。


「三週間におよへの出張、おつかれさまでした。こうしよう結果についての報告書は受け取っています。学区境界線の確定だけでなく、上級回復薬ハイポーシヨンの優先供給けいやくていけつできたのはぎようこうでした。おがらでしたね、ミス・カルナイム」

「ありがとうございます。しつこう部のみなさまのサポートのおかげです」


 けんそんの言葉を口にしつつも、ティルティはひそかにあんの息をく。どうやらこのりよくはつの生徒会長は、ティルティをしつせきするためにここに呼び出したわけではないらしい。


 実際、りよう生徒会〟と、第七学区アザレアスこうしようをまとめるのは苦労した。


 へいかんきよう都市〝学園〟は、それぞれが独立した自治権を持つ七十二の学区によってぶんかつ統治されている。異なる学区の生徒会とのこうしようは、場合によっては戦争の引き金にもなりかねない危険な任務なのだ。


 そのこうしようしゆく乗り切ったのは、ちがいなくこうしよう責任者であるティルティのがらである。今期のかくとくGPAポイントは、それなりに期待してもいいだろう。


 とはいえ、その程度の用件で、生徒会長が貴重な時間をティルティ一人にくとも思えない。

 つまりユミリの目的はほかにある。ティルティと彼女の面談は、おそらくここからが本番だ。


「ところで、ミス・カルナイム。あなたはタカトー隊長の友人だそうですね」

「タカトー隊長? 特殊執行部隊インビジブル・ハンズのハル・タカトーのことですか?」

「ええ。〝第七学区アザレアスいなずま〟、です」


 うなずくユミリを見返して、ティルティは軽くこんわくした。


 ハル・タカトーは、ティルティたちと同じ第七学区アザレアス所属の高等部二年生。

 生徒会直属の特殊執行部隊〝インビジブル・ハンズ〟で部隊長を務めているせんとう職の男子で、〝学園〟全体でも最強と呼ばれる生徒の一人である。


 固有能力である空間ほうだけでなく、風と水の二重属性を使いこなし、その特異なせんとうスタイルからつけられた二つ名は〝あおいなずま〟──

 せんとう技術だけでなく学力面もゆうしゆうで、定期試験の成績では常に学年上位をしゆの音楽や絵画でも芸術科の生徒から一目置かれているという実力者だ。


 そんな文武両道のかんぺきちようじんであるがゆえに、当然モテる。

 男子にとってはきようせんぼうの対象で、女子にとってはあこがれの的。それがハル・タカトーだ。


「友人といいますか、ハルは幼なじみです。たまたま地上に降りてきたときのクラスが同じで、それ以来のくさえんみたいなものです。それ以上でもそれ以下でもありません」


 内心のどうようを気取られまいと、ティルティはいきぎ無しの早口で説明する。


 うそである。地上に降りる際の班がいつしよだったのは事実だが、そこからは彼の近くにいられるように、ティルティはそれはもう必死に努力した。


 る間をしんで勉強し、運良く適性があったほうきたげるために、なみだぐましい訓練を続けた。そのあって、ティルティは同じ学年の生徒の中では頭ひとつけた好成績をたたし、ハルと対等に話ができる数少ない女子という地位を確保。今ではハルのパートナーに相応ふさわしい彼女候補として、真っ先に名前が挙がる程度には認められていたりする。


 だからといってそんな無責任なうわさしんを確かめるために、ぼうな生徒会長がティルティを呼び出したわけではないだろう。ティルティとハルの関係が、生徒会で問題視されているとも思えない。


「──三週間前、あなたがこうした直後ですが、〝学園〟西方のアストキク高原に天環オービタルはいモジュールが落下しました」

「はい」


 その事件はティルティも知っている。

 落下するモジュールのかがやきで夜空が真昼のように明るくなったし、モジュールのざんがいが地上にげきとつしたしようげきは、遠くはなれたにも伝わってきた。


「では、地上に落ちたはいモジュールをかいするために、てんじんどうばくげきミサイルを発射したことはご存じですか?」

どうばくげきミサイル……? モジュールのざんがいくそうとしたということですか?」


 ティルティが思わずらしたつぶやきを、ユミリは無言でこうていした。


「わたくしたち第七学区アザレアス生徒会しつこう部は、はいモジュールの調査のために特殊執行部隊インビジブル・ハンズけんしていました」

執行部隊ハンズを? まさか、ハルは……」

「安心してください。少なからず負傷者は出ましたが、特殊執行部隊インビジブル・ハンズに人的な損失はありません。ハル隊長も無傷です。いえ、元隊長というべきですね」


 ハルが無事だというユミリの説明に、ティルティはあんした。同時に疑問がいてくる。


「あの……ハルが元隊長というのはどういうことなのでしょうか?」

「ハル・タカトーは、メテオライト調査任務からのかん後すぐに、特殊執行部隊インビジブル・ハンズからの除隊をしんせいしました」

「は? 除隊?」


 無傷だったにもかかわらず、ハルは執行部隊ハンズめたというのだろうか?

 部隊に損害を出したことで、責任を問われたわけでもないのに?


執行部隊ハンズの総隊長はりゆうしたそうですが、すでに除隊の手続きはかんりようしています。現時点ですでにハル・タカトーは、生徒会しつこう部の管理下にはありません」

しつこう部をめた……? ハルが……どうして?」


 ユミリ会長の前であることも忘れて、ティルティはぼうぜんつぶやいた。


 生徒会のしつこう部員というのは、だれもが選ばれるような立場ではない。それが特殊執行部隊インビジブル・ハンズの現場指揮官ともなればなおさらだ。なぜなら生徒会役員のかたきは、〝学園〟の生徒にとってきわめて大きな意味を持つからだ。

 いずれ〝学園〟を卒業して天環オービタルかんしたあとに、各学区の生徒会関係者は、優先的に上位の役職にけるといわれている。生徒会しつこう部員とは、いわばてんじん支配階級へのとうりゆうもんなのだ。


 なのにハルは、そのめぐまれた立場をあっさり投げ捨てたのだという。

 あのだれもが認めるちようエリートのハル・タカトーが。


「ハルは……ハルはどうなったんですか?」


 ティルティは、ユミリにるように身を乗り出した。