聖女と暴食

第二章 オクトローパーのパープル味噌煮込み ②

 たんりよくしよくかみの美少女が、ティルティを見つめたままゆっくりと首をる。


「ハル・タカトーは、学食部にせきしたそうです。学食部からはそくじつで彼の入部が受理されています」

「……はい? 学食……部?」


 今度こそ完全に混乱したティルティは、ユミリの前であることも忘れて、素の口調でぼうぜんつぶやいた。


「……学食なんてありましたっけ、第七学区アザレアスに」


 そう。それもまたティルティの混乱のもうひとつの原因だ。


〝重商生徒会〟という通り名が表しているように、第七学区アザレアスでは商業がさかんだ。部活動の名目で多くの学生たちがぎようてんを経営しており、その中には飲食店も少なくない。


 その一方で、いわゆる学生食堂というものは第七学区アザレアスには存在しない。

 代わりに学区内には給食委員会が運営する大規模なフードコートがいくつか設置されており、それが実質的な学食の役目をになっている。学食部などというあやしげな集団が、そこに入りこむ余地はないはずだ。


「あまり知られてはいませんが、学食部──学生食堂経営研究部は、第七学区アザレアスに古くからある正式な部活動です。彼らが経営するてんも実在します。あつかっているのは主にイカ……いえ、こくせき創作料理ですね」

「創作料理……ですか……」


 そう言われてもティルティには、やはりピンと来なかった。

 ハルが創作料理に興味を持った? 訓練と任務とせんとうにしか興味がない、あの無愛想なぼくねんじんが? あり得ない。なんのじようだんだ。


「生徒会は今回の出来事を、大変ゆうりよしています。ハル・タカトーという一個人の経歴のみならず、第七学区アザレアスの戦力という側面においても看過できない大問題です」

「そうですね」


 それはそうだ、とティルティはなおに同意した。


〝学園〟最強の一角といわれる〝いなずま〟ハル・タカトーは、第七学区アザレアスの力のしようちようだ。彼がけたら、特殊執行部隊インビジブル・ハンズおおはばな戦力低下はけられない。

 それは第七学区アザレアスの生徒会が、武力という外交における重要な手札を失うことを意味している。


「それにしても……どうしてハルは学食部なんかにせきしたんでしょうか?」


 少なくともティルティの知る限り、ハルと学食部とやらの間につながりはなかった。


 ハルは食事にこだわるタイプではない。たとえ学食部の料理が特別にしかったとしても、その味にれこんでせきを決意した、などというちんなストーリーは成り立たないわけだ。


 そもそも学食部の料理がそんなに美味ならば、もっと早くから彼らの存在がうわさになっているはずである。ティルティが十年間一度も名前を聞かなかった時点で、味のほうもお察しだ。


「ハル・タカトーのせきの理由は不明です」


 ユミリ・アトタイルが、ものげな表情でためいきをついた。

 常にちようぜんとしたふんの彼女が、初めて見せた人間らしい仕草だ。


「ですから、ティルティ・カルナイム……あなたにそれを調べて欲しいのです」

「私が……ですか?」


 思いがけない生徒会長の言葉に、ティルティは目をしばたく。

 彼女がティルティを名指しで呼び出した理由が、ようやくわかった。


 幼なじみであるハルの学食部へのせき理由をさぐること。たしかにそれが目的なら、ティルティは適役かもしれない。


「ハルにいてみるのはいいですけど、なおに教えてもらえなかった場合はどうしましょう? 無理やりにでも聞き出しますか?」


 らつわんの生徒会長として知られるユミリが、ハルのせき理由を調べていないとは思えない。


 それなのにティルティにまで話が回ってきたということは、ハルは自分のせき理由を秘密にしているということだ。今さらティルティが理由をいたところで、なおに答えてくれるとは思えない。むしろしつこくめ過ぎて、彼を余計にかたくなにさせる可能性がある。


 その危険性には、ユミリも当然気づいていたのだろう。りよくはつの生徒会長は、ティルティの質問にも表情を変えることなく静かに首をった。


「残念ですが、これまでの彼の対応を見る限り、ハル・タカトーがあなたに真実を打ち明ける可能性は、きわめて低いと言わざるを得ません。そこでこのようなものを用意しました」


 そう言ってユミリ・アトタイルは、ティルティの前に一通の書類を差し出してくる。

 書類の正体は辞令だった。ティルティの氏名と新たな役職が書かれただけの簡素なものだ。


かん官……ですか?」

「学食部はこれまで六期連続で赤字を計上し、生徒会への上納金を納めていません。多額のさいかかえているという情報もあります。彼らの経営改善指導のために生徒会がかん官をけんするのは、おかしなことではありません」

「そうですね。それはたしかに……」


 ユミリの言葉に、ティルティはうなずく。


 第七学区アザレアス〝重商生徒会〟の運営理念は、『経済活動による人類の救済』だ。

 富という共通の価値感は、異なる立場の人々を結びつけ、より快適で豊かな生活を求めて、人類は文明を進歩させてきた。そのため第七学区アザレアスにおいて勤労は生徒の義務であり、ちくざいこそが正義であるとされている。


 当然、第七学区アザレアスの生徒会長であるユミリは、赤字を垂れ流す学食部を放置するわけにはいかない。生徒会のかん官を送りこむには、じゆうぶん過ぎるほどの大義名分だ。


「つまり私の本当の任務は、学食部のないていということですか?」

「そうなりますね。ハル・タカトーがせき先として学食部を選んだことには、なにか理由があるはずです。ミス・カルナイム、あなたはかん官として学食部に出向し、彼の目的を暴いてください。もちろん表向きは学食部の経営指導ということで」

「──ティルティ・カルナイム、辞令を拝受いたします」


 ティルティは姿勢を正して敬礼した。


 正直、悪くない任務だと思った。ハルが生徒会しつこう部をめたと聞いたときは絶望したが、これで再び彼といつしよにいられる。それも生徒会の任務として、堂々と。学食部にけんするかん官としてティルティを指名してくれたユミリには、感謝のいのりをささげたい気分である。


「お願いします、ミス・カルナイム。わたくしたちの目的は、ハル・タカトーを生徒会しつこう部に復帰させることです。そのことをくれぐれも忘れないでくださいね」


 りよくはつの生徒会長がおごそかな口調でティルティに告げる。

 ティルティはくちびるを固く引き結びながら、重々しくうなずいたのだった。


2


 学食部への出向が決まった。


 だからといってティルティが、すぐにハル・タカトーに会いに行けたわけではない。

 出向にまつわる雑多な手続きと、これまでの仕事の残務処理。その両方をやらなければならないのが、生徒会のしたのつらいところだ。


 そんなわけでティルティは、にちぼつ後も生徒会ビルケインズケインもって、仕事のぎに追われていた。主だった部署へのあいさつまわりをどうにか終えて、かん委員会のオフィスにもどる。


 つかれた身体からだを引きずりながらとぼとぼとろうを歩いていると、そうぞうしい生徒たちの集団が目についた。六、七人ほどの女子生徒が、一人の男子生徒を取り囲んでいる。


 取り囲むといっても、険悪なふんではない。

 ややきんちよう気味の女子生徒たちからの質問を、長身の男子生徒がじよさいなくにこやかに受け流している。あこがれの男子一人に、女子が徒党を組んで話しかけているという構図である。


 その男子生徒の姿を見て、ティルティは無意識に足を止めた。

 このじようきようでは、あまり関わりたくない相手だったのだ。

 だが、どうか気づかないで欲しいというしんけんな願いもむなしく、男子生徒はティルティと目を合わせ、わざとらしくおおに手をった。


 彼を包囲していた女子生徒たちが、いつせいにティルティへとけいかいの視線を向けてくる。


「やあ、ティルティ。久しぶりだね。に行ってたんだって?」

「……ごきげんよう、ヒオウ様。おいそがしい執行部隊ハンズの部隊長とこのようなところでお目にかかれるとは思いませんでしたわ」


 親しげに声をかけてくる男子生徒に、ティルティはにんぎようあいさつを返した。


 おいこら仕事をサボってんじゃねえぞ、と遠回しに圧力をかけたつもりだが、残念ながら、それは逆効果だったらしい。男子生徒──ヒオウ・レイセインは我が意を得たりといわんばかりにうなずいて、周囲の女子生徒たちにほほみかける。


「ごめんね、きみたち。今日はあまり時間がなくてね。彼女に急いで伝えないといけないことがあるんだ。悪いけど通してくれるかな」


 やさしげな表情とは裏腹のわせぬヒオウの言葉に、女子生徒たちはあらがおうとはしなかった。失礼しました、と名残なごりしげにほほんで、あっさりとヒオウに道をゆずる。


 もっとも立ち去る直前に、じや者であるティルティをにらみつけていくのは忘れない。

 少女たちのとげとげしい視線にさらされながら、ティルティは深々とためいきをついた。