淡緑色の髪の美少女が、ティルティを見つめたままゆっくりと首を振る。
「ハル・タカトーは、学食部に移籍したそうです。学食部からは即日で彼の入部が受理されています」
「……はい? 学食……部?」
今度こそ完全に混乱したティルティは、ユミリの前であることも忘れて、素の口調で呆然と呟いた。
「……学食なんてありましたっけ、第七学区に」
そう。それもまたティルティの混乱のもうひとつの原因だ。
〝重商生徒会〟という通り名が表しているように、第七学区では商業が盛んだ。部活動の名目で多くの学生たちが企業や店舗を経営しており、その中には飲食店も少なくない。
その一方で、いわゆる学生食堂というものは第七学区には存在しない。
代わりに学区内には給食委員会が運営する大規模なフードコートがいくつか設置されており、それが実質的な学食の役目を担っている。学食部などという怪しげな集団が、そこに入りこむ余地はないはずだ。
「あまり知られてはいませんが、学食部──学生食堂経営研究部は、第七学区に古くからある正式な部活動です。彼らが経営する店舗も実在します。扱っているのは主にイカ……いえ、無国籍創作料理ですね」
「創作料理……ですか……」
そう言われてもティルティには、やはりピンと来なかった。
ハルが創作料理に興味を持った? 訓練と任務と戦闘にしか興味がない、あの無愛想な朴念仁が? あり得ない。なんの冗談だ。
「生徒会は今回の出来事を、大変憂慮しています。ハル・タカトーという一個人の経歴のみならず、第七学区の戦力維持という側面においても看過できない大問題です」
「そうですね」
それはそうだ、とティルティは素直に同意した。
〝学園〟最強の一角といわれる〝稲妻〟ハル・タカトーは、第七学区の力の象徴だ。彼が抜けたら、特殊執行部隊の大幅な戦力低下は避けられない。
それは第七学区の生徒会が、武力という外交における重要な手札を失うことを意味している。
「それにしても……どうしてハルは学食部なんかに移籍したんでしょうか?」
少なくともティルティの知る限り、ハルと学食部とやらの間に繫がりはなかった。
ハルは食事にこだわるタイプではない。たとえ学食部の料理が特別に美味しかったとしても、その味に惚れこんで移籍を決意した、などという陳腐なストーリーは成り立たないわけだ。
そもそも学食部の料理がそんなに美味ならば、もっと早くから彼らの存在が噂になっているはずである。ティルティが十年間一度も名前を聞かなかった時点で、味のほうもお察しだ。
「ハル・タカトーの移籍の理由は不明です」
ユミリ・アトタイルが、物憂げな表情で溜息をついた。
常に超然とした雰囲気の彼女が、初めて見せた人間らしい仕草だ。
「ですから、ティルティ・カルナイム……あなたにそれを調べて欲しいのです」
「私が……ですか?」
思いがけない生徒会長の言葉に、ティルティは目を瞬く。
彼女がティルティを名指しで呼び出した理由が、ようやくわかった。
幼なじみであるハルの学食部への移籍理由を探ること。たしかにそれが目的なら、ティルティは適役かもしれない。
「ハルに訊いてみるのはいいですけど、素直に教えてもらえなかった場合はどうしましょう? 無理やりにでも聞き出しますか?」
辣腕の生徒会長として知られるユミリが、ハルの移籍理由を調べていないとは思えない。
それなのにティルティにまで話が回ってきたということは、ハルは自分の移籍理由を秘密にしているということだ。今さらティルティが理由を訊いたところで、素直に答えてくれるとは思えない。むしろしつこく問い詰め過ぎて、彼を余計に頑なにさせる可能性がある。
その危険性には、ユミリも当然気づいていたのだろう。緑髪の生徒会長は、ティルティの質問にも表情を変えることなく静かに首を振った。
「残念ですが、これまでの彼の対応を見る限り、ハル・タカトーがあなたに真実を打ち明ける可能性は、極めて低いと言わざるを得ません。そこでこのようなものを用意しました」
そう言ってユミリ・アトタイルは、ティルティの前に一通の書類を差し出してくる。
書類の正体は辞令だった。ティルティの氏名と新たな役職が書かれただけの簡素なものだ。
「監査官……ですか?」
「学食部はこれまで六期連続で赤字を計上し、生徒会への上納金を納めていません。多額の負債を抱えているという情報もあります。彼らの経営改善指導のために生徒会が監査官を派遣するのは、おかしなことではありません」
「そうですね。それはたしかに……」
ユミリの言葉に、ティルティはうなずく。
第七学区〝重商生徒会〟の運営理念は、『経済活動による人類の救済』だ。
富という共通の価値感は、異なる立場の人々を結びつけ、より快適で豊かな生活を求めて、人類は文明を進歩させてきた。そのため第七学区において勤労は生徒の義務であり、蓄財こそが正義であるとされている。
当然、第七学区の生徒会長であるユミリは、赤字を垂れ流す学食部を放置するわけにはいかない。生徒会の監査官を送りこむには、充分過ぎるほどの大義名分だ。
「つまり私の本当の任務は、学食部の内偵ということですか?」
「そうなりますね。ハル・タカトーが移籍先として学食部を選んだことには、なにか理由があるはずです。ミス・カルナイム、あなたは監査官として学食部に出向し、彼の目的を暴いてください。もちろん表向きは学食部の経営指導ということで」
「──ティルティ・カルナイム、辞令を拝受いたします」
ティルティは姿勢を正して敬礼した。
正直、悪くない任務だと思った。ハルが生徒会執行部を辞めたと聞いたときは絶望したが、これで再び彼と一緒にいられる。それも生徒会の任務として、堂々と。学食部に派遣する監査官としてティルティを指名してくれたユミリには、感謝の祈りを捧げたい気分である。
「お願いします、ミス・カルナイム。わたくしたちの目的は、ハル・タカトーを生徒会執行部に復帰させることです。そのことをくれぐれも忘れないでくださいね」
緑髪の生徒会長が厳かな口調でティルティに告げる。
ティルティは唇を固く引き結びながら、重々しくうなずいたのだった。
2
学食部への出向が決まった。
だからといってティルティが、すぐにハル・タカトーに会いに行けたわけではない。
出向にまつわる雑多な手続きと、これまでの仕事の残務処理。その両方をやらなければならないのが、生徒会の下っ端のつらいところだ。
そんなわけでティルティは、日没後も生徒会ビルに籠もって、仕事の引き継ぎに追われていた。主だった部署への挨拶回りをどうにか終えて、監視委員会のオフィスに戻る。
疲れた身体を引きずりながらとぼとぼと廊下を歩いていると、騒々しい生徒たちの集団が目についた。六、七人ほどの女子生徒が、一人の男子生徒を取り囲んでいる。
取り囲むといっても、険悪な雰囲気ではない。
やや緊張気味の女子生徒たちからの質問を、長身の男子生徒が如才なくにこやかに受け流している。憧れの男子一人に、女子が徒党を組んで話しかけているという構図である。
その男子生徒の姿を見て、ティルティは無意識に足を止めた。
この状況では、あまり関わりたくない相手だったのだ。
だが、どうか気づかないで欲しいという真剣な願いも虚しく、男子生徒はティルティと目を合わせ、わざとらしく大袈裟に手を振った。
彼を包囲していた女子生徒たちが、一斉にティルティへと警戒の視線を向けてくる。
「やあ、ティルティ。久しぶりだね。第四学区に行ってたんだって?」
「……ごきげんよう、ヒオウ様。お忙しい執行部隊の部隊長とこのようなところでお目にかかれるとは思いませんでしたわ」
親しげに声をかけてくる男子生徒に、ティルティは他人行儀な挨拶を返した。
おいこら仕事をサボってんじゃねえぞ、と遠回しに圧力をかけたつもりだが、残念ながら、それは逆効果だったらしい。男子生徒──ヒオウ・レイセインは我が意を得たりといわんばかりにうなずいて、周囲の女子生徒たちに微笑みかける。
「ごめんね、きみたち。今日はあまり時間がなくてね。彼女に急いで伝えないといけないことがあるんだ。悪いけど通してくれるかな」
優しげな表情とは裏腹の有無を言わせぬヒオウの言葉に、女子生徒たちは抗おうとはしなかった。失礼しました、と名残惜しげに微笑んで、あっさりとヒオウに道を譲る。
もっとも立ち去る直前に、邪魔者であるティルティを睨みつけていくのは忘れない。
少女たちの刺々しい視線に晒されながら、ティルティは深々と溜息をついた。