「ヒオウ。あなたの風除けに、私を利用するのはやめてもらえるかしら?」
「いやいや、助かったよ、ティルティ。いつも感謝してる」
苦々しい口調で抗議するティルティに、ヒオウは悪びれもせずに礼を言った。
長く伸ばした金髪と甘い顔立ち。見るからに女性の扱いに慣れた優男という雰囲気の男子である。
しかし見た目の印象とは裏腹に、ヒオウ・レイセインは武闘派だ。火と土の属性魔法を操り、剣の腕では他者の追随を許さない。〝稲妻〟ハル・タカトーと対等に競い合える数少ない生徒の一人であり、女子生徒からの人気もハルに勝るとも劣らない。
同時に彼はハルの親友であり、〝炎聖〟という二つ名とともに特殊執行部隊第二小隊の隊長を務めていた。そしてハルと同様に、ティルティの幼なじみでもある。
もっともすべてを見透かしたような態度で、なにかと自分をからかってくるこの男のことが、ティルティは少し苦手だったりするのだが。
「まあいいわ。私もあなたに訊きたいことがあったの」
「へえ? なにかな?」
ティルティの言葉を聞いたヒオウは、愉快そうに片眉を上げてみせた。
彼のその態度でティルティは理解する。この男、ティルティが訊きたいと思っていることを見抜いた上で、わざとはぐらかしているのだと。
「ハルが執行部隊を辞めた理由は、なに? どうしてあいつが学食部なんかに移籍したわけ?」
「ああ、そのこと。いやあ、驚いたよね。いきなりだったからさ」
ヒオウが深々と息を吐く。芝居がかった態度だが、彼のその言葉に噓があるとは思えない。
少なくともハルが特殊執行部隊を辞めたことは、ヒオウにとっても青天の霹靂だったのだろう。
「そういうのはいいから、訊かれたことにだけ答えて」
「悪いけど、ハルの目的は僕にもわからない」
「本当に?」
「もちろん」
ティルティに半眼で睨まれて、ヒオウは小さく肩をすくめた。
「ハルたちが天環の廃棄モジュールの調査に行ったのは知ってる?」
「天人種族がその落下物を爆撃したという話は聞いたわ」
「うん。熱爆魔導弾頭が使われたみたいでね。廃棄モジュールの中は原形が残らないくらいにグチャグチャになっていたらしいよ」
ヒオウがさらりと口にした情報に、ティルティの表情が強張った。
軍事はティルティの専門外だが、その兵器の名前は知っている。
旧世界で多用されたサーモバリック爆弾の代替品。地下施設や建物の内部にいる人間を殲滅するために使われる、凶悪な破壊兵器だと聞いた。今更ながらにハルたちの任務が命懸けだったという事実を思い知る。
「ハルたちは……大丈夫だったのよね?」
「そうだね。特殊執行部隊の一般隊員には負傷者が出てるけど、ハルは無事だ。一時は生存が絶望視されてたみたいだけどね」
「は?」
ティルティは驚愕に目を剝いた。
生存が絶望視されていたということは、ハルは死にかけていたということか。それはもはや危険というレベルですらなく、無謀な任務と呼ぶべきではないのか?
「なにそれ? どういうこと? そんな話、生徒会長から聞いてないんだけど!?」
「教えたら、きみがそんなふうに動揺すると思ったからじゃないかな」
「私のせいだって言うの!?」
「落ち着いて、ティルティ。とにかくハルは無傷で生還してるから。あいつの捜索と回収には僕もつき合ったし、そこは信頼して欲しいな」
いきり立つティルティを、よしよしとヒオウが冷静に宥めた。
パニックになりかけていたティルティは、それでどうにか怒りを自制する。たしかにここでヒオウに文句を言っても意味がない。
「ただ、そのときなんだよね。ハルが特殊執行部隊を辞めるって言い出したのは」
「え……?」
ティルティは、表情を消してヒオウを凝視した。
「待って。任務から戻るときには、ハルはもう学食部に移籍する意志を固めてたってこと?」
「そうなるね」
「どうして? やっぱり死にそうな目に遭ったから?」
「どうだろうねえ。あいつがそれくらいで怖じ気づくような性格かな?」
ヒオウが曖昧に首を振る。ティルティは反論できずに、む、と唇を曲げた。
とにかくひたすらプライドが高くて負けず嫌いなのが、ハル・タカトーという男だ。任務で少しばかり危険な目に遭ったくらいで、特殊執行部隊の隊長職を投げ出そうとするとは思えない。むしろ逆にやる気を出すタイプのはずだ。
「ヒオウ、ほかになにかハルの移籍理由に心当たりはないの? そもそもあいつはどうして学食部なんかに行ったのよ?」
「心当たりというか、気になることはあるけどね」
「勿体ぶらないで早く答えなさい」
ティルティに答えを急かされて、ヒオウは薄く苦笑した。なにやら含みのある表情だ。
「うーん、これは言ってもいいのかな?」
「うるさい。いいから、さっさと言え!」
「女の子だよ」
「はい?」
想定外だったヒオウの言葉に、ティルティはきょとんと目を瞬いた。
「女の子って、なに?」
「だからハルが学食部に移籍した理由。ハルが廃棄モジュールの調査から戻ってきたときに、女の子を一人連れてたんだよね。第三学区からの転入生らしいんだけど」
「第三学区……?」
ティルティは眉間にしわを寄せて考えこむ。
同じ〝学園〟に所属していても、学区が違えば、そこはもう敵国も同然だ。
「なんで? どこでハルはその子と知り合ったの?」
「それは教えてもらえなかった。なんでも第三学区で儀式魔術の生贄にされそうになったところを逃げてきたらしいけどね」
「儀式魔術の生贄……第三学区ならありそうな話だけど……」
魔術至上主義の生徒会が統治する第三学区では、非人道的な魔術実験が繰り返されて、たびたび問題になっている。
さすがに学区ぐるみで違法な研究に手を染めるようなことはないだろうが、一部の暴走した部活や研究室が、生徒を人体実験の材料にするくらいのことは普通にやりかねない。
しかしヒオウの説明を聞く限り、その転入生の素性は、執行部隊の廃棄モジュール調査任務とは関係ないはずだ。だとすると、ハルは任務と無関係な場所で彼女と知り合ったということだろうか。どういう状況なのか、さっぱりわからない。
「もしかして、その子も学食部に入ったの?」
「そうみたいだね。たぶんハルはその子のために執行部隊を辞めたんじゃないかな? 学食部の寮で一緒に暮らしてるみたいだし」
「な……!?」
頭を殴られたようなショックを受けて、ティルティは小さくよろめいた。
これまで異性に対してなんの興味も示さなかったハル・タカトーが、知り合ったばかりの転入生のために執行部隊を辞めて、彼女と同居を始めたのだというのか。
その事実にティルティは激しく動揺していた。酷い目眩がして真っ直ぐに立っていられない。
「一緒……ハルが女の子と一緒に暮らして……」
「ティルティ? だから、同じ寮に住んでるって意味だからね? ティルティ?」
ふらふらと歩き出したティルティに、ヒオウが声をかけてくる。
ティルティはそんなヒオウを振り返ることなく、呆然と生徒会ビルを出て行くのだった。