3
「──引き継ぎの書類は以上です。それでは、あとのことはよろしくお願いいたします」
翌日、どうにか残務処理を終えたティルティは、上司である武装監視委員長に最後の挨拶をしていた。委員長は黒縁の眼鏡をかけた、気の弱そうな風貌の男子生徒だ。
「ありがとう、たしかに受け取ったよ。はあ……生徒会長の指名だから出向は仕方ないけど、カルナイムさんにはなるべく早く戻ってきて欲しいよ。〝虹の戦乙女〟がいなくなったら、うちの戦力はガタ落ちだ……」
「誰が〝虹の戦乙女〟ですか」
ティルティは、不満そうに唇を尖らせて委員長を睨んだ。
武装監視委員会の主な役目は、学区内の紛争に第三者として介入し、平和的な解決に導くことである。場合によっては他学区との折衝の役割を担うこともある。
そして任務の性質上、監視委員会には、時として紛争への武力介入が求められる。平和的に解決ができないなら、殴って大人しくさせるしかない、というわけだ。
そんなときに監視委員会の主戦力として投入されてきたのがティルティだった。
〝虹の戦乙女〟というのは、全属性の攻撃魔法を使いこなすティルティの異名である。ハルの〝稲妻〟やヒオウの〝炎聖〟に匹敵する痛々しさだ。もちろんティルティが望んで名乗っているわけではない。
監視委員会室を出たティルティは、その足で学食部へと向かうことにした。
時刻はちょうど正午前だ。学食部の活動状況を確認するにはベストな時間帯だろう。
「ティルティ先輩!」
しかし生徒会ビルの廊下を歩いていると、不意に声をかけられる。
パタパタと足音を立てて駆け寄ってきたのは、顔見知り程度の後輩女子の四人組だ。
「──あの、ティルティ先輩。学食部に出向されるというお話は本当なのでしょうか?」
先頭に立っていた女子生徒が、挨拶もそこそこにティルティに話しかけてくる。名前は思い出せないが、ハルの取り巻きをやっていた美化委員会の一年生だったはずだ。
「ええ。本当だけど……」
「生徒会長に頼まれて、ハル様を連れ戻しに行かれるんですよね?」
「誰に聞いたの?」
ティルティが出向の辞令を受けて、まだ二十四時間も経っていない。それなのに噂が拡散している事実に驚く。ハルの去就に対する注目度が、それだけ高いということなのだろう。
「よかった……ティルティ先輩が帰ってきてくださったからには安心だわ。ユミリ会長もそのことをお認めになったのね」
「私もハル様に憧れてましたけど、ティルティ先輩がお相手なら文句はありませんわ。あの第三学区の女なんかより、よっぽど──」
「当たり前でしょ。比べるのも失礼よ。なんといってもハル様とティルティ先輩のお二人は幼なじみなんだし」
目の前にいるティルティ本人を無視して、後輩たちがきゃあきゃあと勝手に盛り上がる。うざったいと思わなくもないが、ハルと自分の仲を応援してくれているのは素直にありがたい。
しかしここでも第三学区の女か、とティルティは複雑な感情を抱いた。
後輩たちの反応を見たところ、その転入生はよほど目障りに思われているらしい。
あのハルに限ってないとは思うが、もしやところ構わずイチャついていたりするのだろうか。想像しただけで気分が悪くなってくる。
「ティルティ先輩」
後輩たちの中で唯一無言だった女子生徒が、意を決したようにぼそりと口を開いた。
あまり目立たないが、可愛らしい顔立ちをした茶髪の少女だ。
彼女が着ているのは、特殊執行部隊の女子の制服である。名前はたしかリィカ・タラヤ。ハルの部隊の隊員だったはずだ。
「お願いします、ティルティ先輩。ハル先輩を生徒会に連れ戻してください……」
半泣きの表情でティルティを見上げて、リィカが言う。
後輩としてハルのことを特別に慕っていただけに、彼の移籍にショックを受けているのだろう。今にも泣き崩れそうな彼女のことを、友人たちが懸命に慰める。
「わ、わかったわ。どこまで力になれるかわからないけど、生徒会長にも頼まれてるし、ハルのことを説得してみるわね」
「うう……お願いじまずぅ……」
ティルティの返事を聞いたリィカが、平伏するような勢いで頭を下げてくる。
思い詰めたようなリィカの反応にドン引きしつつ、自分に課せられた責任の重さを痛感するティルティだった。
4
出発前からかけられた想定外のプレッシャーに消耗しつつも、ティルティは学食部が運営する食堂へと向かった。
学生食堂〝躑躅亭〟総本店というのが、その店の名前らしい。
支店なんて一軒もないのに総本店とは、ふざけた名前だ、とティルティは思う。
躑躅亭があるのは、第七学区の繁華街の裏通りだ。学区内外を隔てる〝門〟や〝港〟が近く、治安は悪いが活気に満ちたエリアである。
食堂の造りは木骨石造のいわゆるハーフティンバー様式。どちらかといえば食堂というよりファンタジー世界の酒場に近い見た目で、ティルティは店に入るのを躊躇した。下手に足を踏み入れると、厳つい先輩冒険者に絡まれそうな雰囲気なのだ。
昼食時ということもあって、店内はそれなりに賑わっているらしい。
ティルティが店の前で立ち止まっていると、店内からは騒々しい声が聞こえてくる。その声がどことなく悲鳴に似ていたのが気になるが、少なくとも客がいないわけではなさそうだ。
「こんにちは……」
分厚い木製の扉を押して、ティルティは店内に足を踏み入れる。
外見から想像していたよりも、店の中は広かった。やはり学生食堂というよりも酒場っぽい雰囲気だ。店内には四十人くらいの客がいる。そのほとんどが男子生徒たち。それも妙に荒っぽいというか、粗暴な雰囲気の連中だ。
「ぐおおおおおおお! キタァ! なんじゃこりゃあああああ!」
「くぅぅぅ……効くぅぅぅぅぅ!」
「ぐっはああああああっ!」
「おい、大丈夫か!? 息してるか!?」
テーブルに向かう生徒たちは、それぞれ奇声を発したり、ときには悶絶して床を転げ回ったりしている。とても食事をしているという風景ではない。
彼らの前の食器に載っているのは、ティルティが見たこともない料理たちである。
紫色の液体に浸かった謎の触手や、パンに挟まれた巨大な目玉のような物体など。果たしてそれが人間の食べ物なのかどうかすら定かではない。
「なに……なんなの、これ……?」
ティルティは、ただひたすらに困惑して立ち尽くす。
自分がなにかとんでもない場所に紛れこんでしまったような気がしている。
ここが本当に食堂なのかどうか、急に自信が持てなくなってきた。なにかの拷問か人体実験だと言われたほうがまだしっくりくる。
「いらっしゃいませー。あれ、お客さん、見ない顔ですね?」
半ば放心状態のティルティに気づいて、店員らしき女子生徒が声をかけてきた。エプロンドレス風の改造制服を着た、鮮やかなオレンジ色の髪の少女だ。
「まあまあ入って入って。そんなところに突っ立ってられると、ほかのお客さんの迷惑だから」
「え……あ……私は、その……」
「うちはこの時間、食券制ですけど、なんにします? おすすめは日替わり定食ですよ」
「あ……じゃあ、それで……」
押しの強い店員に流されるまま、ティルティはIDカードを出して食券の代金を支払った。今さら食事をしに来たわけではないとは言えない雰囲気だったからだ。
どうしてこんなことに、と悩みつつ、まあいいか、とティルティは気を取り直す。
どのみちどこかで昼食は取らなければならないのだ。現在の学食部の様子を知るためにも、客として食事をしてみるのは悪くないだろう。
「お水はセルフサービスでお願いしますね。日替わり一枚入りましたー」
ティルティを席に案内したあと、オレンジ髪の女子生徒は慌ただしく店内を移動していく。よく訓練された機敏な動きだ。
店のテーブルは古いが丁寧に磨き上げられており、独特の味わいを出している。調味料が置かれたトレイの上にも埃一つ見当たらない。赤字経営と聞いていたが、少なくとも衛生面では合格だろう、とティルティは客観的に評価する。
そうなってくると気になるのは、阿鼻叫喚としか表現できない周囲の客たちの反応だ。彼らはいったいなにを食べさせられていたのだろうか。
「日替わり定食……お待たせ……」
悩むティルティの目の前に、注文した料理が運ばれてくる。
運んできたのは、先ほどの店員と同じ制服を着た女子生徒だ。髪の色は淡いブルー。しかし、顔立ちはもう一人の店員と瓜二つである。おそらく双子なのだろう。
「ありがとう……って、なにこれ!?」
テーブルの上に置かれた料理を見て、ティルティは思わず悲鳴を上げた。
パンとスープ。これはいい。スープの色がショッキングピンクなのは気になるが、そういう色の果物もあるので、ギリギリ許容範囲だ。
問題はメインディッシュだった。例の紫色の液体に浸した謎の触手。それも時折思い出したようにグネグネと蠢いている。
「本日の日替わり定食……」
ティルティの疑問に店員が答える。まったく表情が変化しないせいで、彼女がどこまで本気で言っているのかわからない。
「どこが定食!?」
「オクトローパーのパープル味噌煮込み。当店の名物料理」
「名物料理!? こんなの人間の食べ物じゃないでしょ!?」
ティルティは立ち上がって声を荒らげた。しかし店員は、こてん、と不思議そうに首を傾げただけだ。なにを言われているのかわからない、という表情である。
「みんな食べてる」
「悶絶してるじゃない! むしろなんでそこまでして食べてるの、あの人たち!?」
ティルティは店内を見回して指摘する。
たしかに客の男子生徒たちは苦悶の表情を浮かべながらも、触手料理を必死で口に運んでいた。恋人や兄弟を人質に取られて脅されているとしか思えない光景だ。
「おいおい。なんだ、あんた。うちの料理になんか文句があるのか?」
大声で店員にクレームをつけるティルティに、店の奥から出てきた男子生徒が近づいてくる。
やたらにがっしりとした体格の男子だ。百九十センチに迫る長身に、広い肩幅。二の腕の太さはティルティの太腿くらいはありそうだ。〝学園〟の生徒ならまだ十代のはずだが、とてもそうは思えない。〝でかいドワーフ〟という言葉が、ティルティの脳裏を一瞬よぎる。
信じられないことにその男子生徒は、コック服に腰エプロンを着けていた。どうやら、彼がこの店の料理人らしい。