「これのどこが料理なのよ!? オクトローパーって思いっきり魔物じゃないの!」
男子生徒のガタイの良さに圧倒されそうになりながらも、ティルティは強気に反論した。
オクトローパーは湿地や洞窟に棲息する頭足類。見た目は地上を徘徊するタコそのものだ。強い麻痺毒を持ち、人間を含めたあらゆる動物を襲う。小型だが獰猛な魔物である。
「魔物肉なんか、べつにめずらしくもないだろうが。ワニやボアの肉は給食委員会のフードコートでも普通に喰えるぞ?」
「あれは見た目だってただの動物と変わらないし、そもそも毒を持ってないから! オクトローパーを食べるなんて訊いたことないわよ! なんでそんなものが出てくるのよこの店は!?」
「そりゃここが如何物料理店だからに決まってんだろうが」
ティルティの疑問に、コック服の男子が答える。
聞き慣れないその言葉に、ティルティはきょとんと目を瞬いた。ユミリ会長が学食部の店について、なにか言いかけてやめたことを不意に思い出す。
「如何物? なにそれ……?」
「普通の人間が喰わないような風変わりな食材だな。いわゆるゲテモノってやつだ」
「ゲ……ゲテモノ料理の専門店ってこと……?」
ティルティは呆然と目を見開いて訊き返した。
たしかにこのオクトローパーのパープル味噌煮込みとやらは、ゲテモノ料理としか言いようがない。そういうことなら、この料理に文句をつける客がいないことにも納得だ。
「だからって、なんでオクトローパーなんかを食べようと思ったのよ?」
「そりゃ美味いからだろ」
「美味しいの? これ?」
「そんなもの喰ってみりゃわかるだろ」
「う……」
コック服の男子の言葉に、ティルティは呻く。
たしかに彼の言葉は正論だ。ここが如何物料理の店である以上、料理に使われている食材にティルティがケチをつける権利はない。ましてや食べもせずに味に文句を言うのは論外だ。
ただの客なら「食べられません」と素直に謝って帰るのもアリだが、残念ながらティルティは生徒会から派遣されてきたこの店の監査官なのだ。食材に対する偏見を理由に店の料理人と対立したら、経営指導どころではない。今のティルティには選択の余地はなかった。
「わかったわよ。じゃあ、ひと口だけ……」
追い詰められたティルティは、仕方なく料理に手をつける。
まずは紫色の汁をスプーンですくい、覚悟を決めて口に運んだ。意外なことに、たしかにそれは味噌味だった。想像したよりもまろやかな味付けだ。
そしてティルティは問題の触手を箸で摘まんで、震えながら囓ってみる。
見た目どおりタコのような食感だ。しかしタコよりも味が濃厚で甘みが強い。身は引き締まって弾力があるが、硬すぎるということはなく、プリプリとした食感が心地好かった。魔物肉らしさのないスッキリとした味わいに、濃厚な味噌ダレがよく合っている。
「たしかに……美味しいかも……」
敗北感を覚えつつ、ティルティは味の感想を口にした。
当然だ、と言わんばかりに料理人の男子生徒が腕を組んでうなずいている。
「だけど……なんか舌が痺れるんだけど……手と脚の感覚も……あれ……?」
急に強烈な目眩を覚えて、ティルティは箸を取り落とした。そのままぐったりと脱力して、ズルズルと床に座りこむ。
「あー……やっちまったか……」
グルグルと回る視界の中で、料理人が自分の目元を覆っている。
どういうことよ、と問い詰めたいが、身体が痺れて声にならない。
「体質によって、オクトローパーを食べると麻痺する人間がごく稀にいる」
淡いブルーの髪の店員が、表情を変えることなく淡々と言った。ちょっと待って、とティルティは心の中だけで激しく反論する。それは普通に毒がある食材ということではないのか?
この店の客が悲鳴を上げて騒いでいたのは、そのせいか。
「なんで……みんな……そんなものを食べに来てるの……よ……」
「オクトローパーの肉には精力増強作用があるといわれている。あと育毛作用も」
なにそれ、とティルティは憤慨した。この店の客が男子生徒ばかりだったのは、間違いなくそれが要因だ。料理の味はたぶんまったく関係ない。なにが如何物料理だふざけるな。
こんな店、やはりハルのいるべき場所ではない。絶対に生徒会に連れ戻してやる。
息も絶え絶えに決意を新たにして、ティルティは意識を手放すのだった。
5
学園とは、大陸の各地に点在する直径二キロメートルを超える巨大なドーム型都市──通称〝学区〟の集合体だ。
現在、地上に存在する学区は全部で七十二。
第七学区はその中で七番目に作られた、比較的古い都市である。
学区の空をすっぽりと覆う半球型のジオデシックドームは、魔法によって強度を高めた高透過ガラスで構成されていた。空を見上げても目に映るのは、うっすらと白く浮かび上がる三角形のガラスの継ぎ目だけ。そのため〝学園〟の生徒のほとんどは、自分たちが閉鎖された空間内にいることを普段は意識せずに暮らしている。
それでも〝外部〟から帰還するたびに、俺たちは、そこが閉鎖環境都市であることを思い出す。学区とは、過酷な自然世界から生徒を守るための強固な要塞であり、そこに出入りするためにはいちいち面倒な手続きが必要だからだ。
「うー……やっと終わったねえ。いくらなんでも検疫に時間かかりすぎでしょ」
第七学区の入区ゲートを抜けたところで、リュシエラが気怠げに背伸びをする。
食材の仕入れという名目の二泊三日の魔物狩りを終えて、俺とアナ、そしてリュシエラを含めた学食部の仕入れ担当者は、ようやく第七学区へと帰還したところだ。
「〝外部〟から持ちこむのが魔物肉だからな。検査が煩雑になるのは仕方ないだろう」
俺は事務的な口調でリュシエラに告げた。
検査対象がただの魔物肉なら検疫官たちも慣れているのだろうが、学食部が狩ってくるのは、普段は食材として使われることのない特殊な魔物ばかりである。彼らが困惑するのも仕方ない。
「だからハル・タカトーの空間魔法で運んでくれって言ったのに」
「密輸肉を学食で出すつもりだったのか?」
「うーん……それはさすがにまずいねえ」
「当然だ」
悪戯っぽく笑うリュシエラを、俺はうんざりと見返して言う。
俺とアナが学食部に入部して、今日でちょうど三週間。〝外部〟に魔物狩りに出たのは四度目だった。そのたびに今と同じような会話が繰り返されているのだ。いい加減に飽きもする。
「見てください、ハルくん。屋台です!」
そんな俺の隣を歩いていたアナが、唐突に声を上げて俺の袖を引っ張った。
彼女が向けた視線の先には、飲食店系の部活が所有するキッチンカーが停まっている。大きく上下に開いたキッチンカーの窓からは、甘い匂いが流れ出していた。
「チュロスの屋台だね。このあたりだと有名なんだよ」
「チュロス!」
『ほう、チュロスか。断面を星形にした細長い揚げ菓子だったな。砂糖などのフレーバーを表面にまぶしたり、チョコレートに浸して食べるものだと聞いているぞ』
リュシエラの説明を聞いたアナと、彼女に抱き上げられている黒犬が、興味津々といった表情で俺を見つめてきた。食べたい、という彼女たちの心の声がダダ漏れだ。
「……一本だけだぞ」
俺は溜息まじりにアナに許可を出す。
転入生として第七学区に来たアナには、生徒会から当座の生活費が支給されていた。しかし天環育ちの彼女は自分で買い物をしたことがないらしく、通貨の価値がまったくわからない。そのことは本人も自覚しているらしく、買い物の際には、いちいち俺に許可を取るようになっていた。
まるで初等部の幼い新入生とその指導係のような俺とアナのやり取りを見て、リュシエラがニヤニヤと笑っている。
「なんだ?」
「いやいや、アナちゃんに懐かれてるね、ハル・タカトー」
「第七学区に来たばかりで不安なんだろう。すぐに慣れる」
「そうじゃなくて、きみが面倒見がいいのが意外だったって話」
「…………」
俺は不機嫌な顔で黙りこむ。
べつに面倒見がいいわけではなく、アナがボロを出すことで地上が滅ぶのを恐れているだけなのだが、それを口に出せないせいで沈黙するしかなかったのだ。
「ふふん、新入部員同士、仲がいいのはいいことだよ……あれ?」
俺をさらにからかおうとしていたリュシエラが、なにかに気づいて足を止める。
きょろきょろと周囲を見回しながら大通りを歩いていたのは、エプロンドレス風の改造制服を着たオレンジ色の髪の女子生徒だった。
学食部の部員であり、学生食堂ホール担当の双子の妹のほう──マコット・ナグイエだ。
彼女は屋台の前に並んでいるアナを見つけて、パッと表情を明るくする。