聖女と暴食

第二章 オクトローパーのパープル味噌煮込み ⑤

「これのどこが料理なのよ!? オクトローパーって思いっきりものじゃないの!」


 男子生徒のガタイの良さにあつとうされそうになりながらも、ティルティは強気に反論した。


 オクトローパーは湿しつどうくつせいそくする頭足類。見た目は地上をはいかいするタコそのものだ。強い毒を持ち、人間をふくめたあらゆる動物をおそう。小型だがどうもうものである。


もの肉なんか、べつにめずらしくもないだろうが。ワニやボアの肉は給食委員会のフードコートでもつうえるぞ?」

「あれは見た目だってただの動物と変わらないし、そもそも毒を持ってないから! オクトローパーを食べるなんていたことないわよ! なんでそんなものが出てくるのよこの店は!?」

「そりゃここがものりようてんだからに決まってんだろうが」


 ティルティの疑問に、コック服の男子が答える。

 聞き慣れないその言葉に、ティルティはきょとんと目をしばたいた。ユミリ会長が学食部の店について、なにか言いかけてやめたことを不意に思い出す。


如何物いかもの? なにそれ……?」

つうの人間がわないような風変わりな食材だな。いわゆるゲテモノってやつだ」

「ゲ……ゲテモノ料理の専門店ってこと……?」


 ティルティはぼうぜんと目を見開いてき返した。

 たしかにこのオクトローパーのパープルみとやらは、ゲテモノ料理としか言いようがない。そういうことなら、この料理に文句をつける客がいないことにもなつとくだ。


「だからって、なんでオクトローパーなんかを食べようと思ったのよ?」

「そりゃいからだろ」

しいの? これ?」

「そんなものってみりゃわかるだろ」

「う……」


 コック服の男子の言葉に、ティルティはうめく。


 たしかに彼の言葉は正論だ。ここが如何物いかもの料理の店である以上、料理に使われている食材にティルティがケチをつける権利はない。ましてや食べもせずに味に文句を言うのは論外だ。


 ただの客なら「食べられません」となおに謝って帰るのもアリだが、残念ながらティルティは生徒会からけんされてきたこの店のかん官なのだ。食材に対するへんけんを理由に店の料理人と対立したら、経営指導どころではない。今のティルティにはせんたくの余地はなかった。


「わかったわよ。じゃあ、ひと口だけ……」


 められたティルティは、仕方なく料理に手をつける。


 まずはむらさきいろしるをスプーンですくい、かくを決めて口に運んだ。意外なことに、たしかにそれは味だった。想像したよりもまろやかな味付けだ。


 そしてティルティは問題のしよくしゆはしまんで、ふるえながらかじってみる。

 見た目どおりタコのような食感だ。しかしタコよりも味がのうこうで甘みが強い。身はまってだんりよくがあるが、かたすぎるということはなく、プリプリとした食感がここかった。もの肉らしさのないスッキリとした味わいに、のうこうダレがよく合っている。


「たしかに……しいかも……」


 敗北感を覚えつつ、ティルティは味の感想を口にした。

 当然だ、と言わんばかりに料理人の男子生徒がうでを組んでうなずいている。


「だけど……なんか舌がしびれるんだけど……手とあしの感覚も……あれ……?」


 急にきようれつまいを覚えて、ティルティははしを取り落とした。そのままぐったりとだつりよくして、ズルズルとゆかに座りこむ。


「あー……やっちまったか……」


 グルグルと回る視界の中で、料理人が自分の目元をおおっている。

 どういうことよ、とめたいが、身体からだしびれて声にならない。


「体質によって、オクトローパーを食べるとする人間がごくまれにいる」


 あわいブルーのかみの店員が、表情を変えることなくたんたんと言った。ちょっと待って、とティルティは心の中だけで激しく反論する。それはつうに毒がある食材ということではないのか?

 この店の客が悲鳴を上げてさわいでいたのは、そのせいか。


「なんで……みんな……そんなものを食べに来てるの……よ……」

「オクトローパーの肉には精力増強作用があるといわれている。あと育毛作用も」


 なにそれ、とティルティはふんがいした。この店の客が男子生徒ばかりだったのは、ちがいなくそれが要因だ。料理の味はたぶんまったく関係ない。なにが如何物いかもの料理だふざけるな。


 こんな店、やはりハルのいるべき場所ではない。絶対に生徒会に連れもどしてやる。

 息も絶え絶えに決意を新たにして、ティルティは意識を手放すのだった。


5


 学園とは、大陸の各地に点在する直径二キロメートルをえるきよだいなドーム型都市──つうしよう〝学区〟の集合体だ。

 現在、地上に存在する学区は全部で七十二。

 第七学区アザレアスはその中で七番目に作られた、かくてき古いである。


 学区の空をすっぽりとおおう半球型のジオデシックドームは、ほうによって強度を高めた高とうガラスで構成されていた。空を見上げても目に映るのは、うっすらと白くかびがる三角形のガラスのだけ。そのため〝学園〟の生徒のほとんどは、自分たちがへいされた空間内にいることをだんは意識せずに暮らしている。


 それでも〝外部〟からかんするたびに、俺たちは、そこがへいかんきよう都市であることを思い出す。学区とは、こくな自然世界から生徒を守るための強固なようさいであり、そこに出入りするためにはいちいちめんどうな手続きが必要だからだ。


「うー……やっと終わったねえ。いくらなんでもけんえきに時間かかりすぎでしょ」


 第七学区アザレアスの入区ゲートをけたところで、リュシエラがだるげにびをする。

 食材の仕入れという名目の二はく三日のものりを終えて、俺とアナ、そしてリュシエラをふくめた学食部の仕入れ担当者は、ようやく第七学区アザレアスへとかんしたところだ。


「〝外部〟から持ちこむのがもの肉だからな。検査がはんざつになるのは仕方ないだろう」


 俺は事務的な口調でリュシエラに告げた。

 検査対象がただのもの肉ならけんえきかんたちも慣れているのだろうが、学食部がってくるのは、だんは食材として使われることのないとくしゆものばかりである。彼らがこんわくするのも仕方ない。


「だからハル・タカトーの空間ほうで運んでくれって言ったのに」

「密輸肉を学食で出すつもりだったのか?」

「うーん……それはさすがにまずいねえ」

「当然だ」


 いたずらっぽく笑うリュシエラを、俺はうんざりと見返して言う。

 俺とアナが学食部に入部して、今日でちょうど三週間。〝外部〟にものりに出たのは四度目だった。そのたびに今と同じような会話がかえされているのだ。いい加減にきもする。


「見てください、ハルくん。屋台です!」


 そんな俺のとなりを歩いていたアナが、とうとつに声を上げて俺のそでを引っ張った。

 彼女が向けた視線の先には、飲食店系の部活が所有するキッチンカーがまっている。大きく上下に開いたキッチンカーの窓からは、甘いにおいが流れ出していた。


「チュロスの屋台だね。このあたりだと有名なんだよ」

「チュロス!」

『ほう、チュロスか。断面を星形にした細長いだったな。砂糖などのフレーバーを表面にまぶしたり、チョコレートにひたして食べるものだと聞いているぞ』


 リュシエラの説明を聞いたアナと、彼女にげられている黒犬が、きようしんしんといった表情で俺を見つめてきた。食べたい、という彼女たちの心の声がダダれだ。


「……一本だけだぞ」


 俺はためいきまじりにアナに許可を出す。


 転入生として第七学区アザレアスに来たアナには、生徒会から当座の生活費が支給されていた。しかし天環オービタル育ちの彼女は自分で買い物をしたことがないらしく、ポイントの価値がまったくわからない。そのことは本人も自覚しているらしく、買い物の際には、いちいち俺に許可を取るようになっていた。


 まるで初等部の幼い新入生とその指導係チユーターのような俺とアナのやり取りを見て、リュシエラがニヤニヤと笑っている。


「なんだ?」

「いやいや、アナちゃんになつかれてるね、ハル・タカトー」

第七学区アザレアスに来たばかりで不安なんだろう。すぐに慣れる」

「そうじゃなくて、きみがめんどう見がいいのが意外だったって話」

「…………」


 俺はげんな顔でだまりこむ。

 べつにめんどう見がいいわけではなく、アナがボロを出すことで地上がほろぶのをおそれているだけなのだが、それを口に出せないせいでちんもくするしかなかったのだ。


「ふふん、新入部員同士、仲がいいのはいいことだよ……あれ?」


 俺をさらにからかおうとしていたリュシエラが、なにかに気づいて足を止める。


 きょろきょろと周囲を見回しながら大通りを歩いていたのは、エプロンドレス風の改造制服を着たオレンジ色のかみの女子生徒だった。

 学食部の部員であり、学生食堂ホール担当のふたの妹のほう──マコット・ナグイエだ。


 彼女は屋台の前に並んでいるアナを見つけて、パッと表情を明るくする。