「──アナ!」
「マコットさん?」
駆け寄ってきたマコットに名前を呼ばれて、アナが驚いたように目を瞠る。
マコットはそんなアナの腕をぐっと引っ張った。
「よかった、見つけた! アナたちが第七学区に戻ったって聞いて、探しにきたんだよ。ちょっと来て!」
「え? ま、待ってください、チュロスをまだ注文してないので! チュロス……!」
「いいから、急いで!」
マコットにズルズルと引きずられていくアナを俺はしばらく呆然と眺めて、それから慌てて彼女たちを追った。リュシエラと黒犬もそのあとをついてくる。チュロスを食べ損なったせいで、黒犬はあからさまに不機嫌だ。
「あの、マコットさん? なにかあったんですか?」
「病人なの。今日の日替わり定食のオクトローパーに当たっちゃった子がいて。アナだったら、治せるでしょ?」
「食あたり……ですか。それはたぶん大丈夫ですけど……」
アナがちらちらと背後にいる俺を見つめてくる。聖属性魔法を治療に使っても怒られないか、俺の顔色をうかがっているのだろう。
「重症なのか?」
俺はやれやれと息を吐き出して、先頭を歩くマコットに確認した。
オレンジ色の髪の少女はどこか曖昧に首を振り、
「そんなことはないと思うんだけど、ぶっ倒れたのは常連客じゃなくて、初めて見るお客さんだったから、念のためにね。治療もせずに放置して、騒がれると面倒だからさ」
「なるほどな」
学生食堂〝躑躅亭〟は如何物料理の専門店だ。常連客はそのことをよく知っており、食べ慣れない食材を喰って体調を崩す程度のリスクは覚悟している。
しかし一見の客はそうはいかない。マコットが心配するように、倒れた客が回復したあと、文句を言い出す可能性は高かった。
そこで聖属性魔法の治癒を使って早期に完治させ、安全性とアフターサービスの良さをアピールする計画か。
ちなみにアナが聖属性魔法を使えることは、学食部の人間には顔合わせをしたその日のうちにバレていた。もちろんアナのやらかしが原因である。
もっとも今のところ、そのことで大きな問題は起きていない。身内に聖属性魔法の使い手がいるのは、学食部にとってもメリットが大きいのだ。そのため彼らは、むしろ積極的にアナを庇ってくれている。とはいえ彼らも、さすがにアナが無尽蔵に聖水を生成できるとは思っていないのだろうが──
「そういうことなら仕方ないな。アナ、倒れた客を治療してやってくれ。騒ぎになって、生徒会に通報されるような事態は避けたい」
「はい!」
アナは安堵の笑みを浮かべて、勢いよくうなずいた。自分の保身のために患者を見捨てずに済んだことが嬉しいのだろう。
そうこうしている間に、俺たちは学食部の拠点である学生食堂へと戻ってくる。
ファンタジー世界の酒場を思わせる木骨石造の建物が学食の店舗。その裏手にある建物が、学食部の部室を兼ねた寮である。日替わり定食にあたった不運な客は、そちらに運びこまれているらしい。
「お帰り……マコット」
寮に入った俺たちを、マコットと同じ顔をした青髪の少女が出迎える。マコットの双子の姉であるミネオラ・ナグイエだ。
「ただいま、お姉ちゃん! 例のお客さんは?」
「まだ……意識不明。心拍数と血中酸素濃度も低下中。このままだと、ちょっとまずいかも」
「大丈夫。アナを連れてきたから」
マコットの言葉を聞いて、ミネオラが俺たちに視線を向けてくる。
無言でうなずく青髪の少女に、アナは、頑張ります、と緊張気味にぐっと拳を握ってみせた。
「倒れたお客さんは女の子なんだよ。悪いんだけど、ハル・タカトーは部屋の外で待ってて」
「承知した」
マコットに言われて、俺はうなずく。日常生活においてはポンコツでも、聖属性魔法に関してはアナの実力に疑いの余地はない。ほっといても問題ないはずだ。
俺と同じ判断をしたのか、黒犬もアナを追いかけようとはせずに、ミネオラがポケットから取り出したジャーキーをもらおうと立ち上がって必死に媚びを売っている。
しかしそれから間もなくして、アナたちが入っていった部室棟のリビングルームから、バタバタと荒々しい物音が聞こえてくる。
廊下の壁越しに伝わってくるのは強い聖属性魔力の波動と、誰かが暴れているような気配だ。
「──なにやってるの、あなた!?」
アナやマコットの悲鳴とともに、学食部の部員ではない女子の怒鳴り声が響いてくる。
なぜか聞き覚えのあるその声に、俺は思いきり顔をしかめるのだった。
6
銀色に輝く光の粒が、優しい雨のように静かに降り注いでくる。
その柔らかな輝きの中で、ティルティはゆっくりと目を覚ました。
ぼやけた視界に映ったのは、驚くほどに美しい少女の横顔だ。
長い銀髪と碧い瞳。そして頭上で小さく動く獣の耳。顔立ちは精緻な人形のように整っているが、同時に幼く優しげな印象がある。天使のような、という表現がぴったりだ。
ティルティに向かってかざした両手から、彼女は微細な光の粒子を放ち続けている。
その粒子が聖属性の魔力を帯びていることに気づいて、ティルティはハッと息を吞んだ。
「なにやってるの、あなた!?」
弾かれたように勢いよく上体を起こし、ティルティは銀髪の少女の手をつかんだ。
ティルティたちのいる場所は、学生寮の一室とおぼしき雑然としたリビングだ。侵入者対策や機密保持などまったく期待できそうにない。
聖属性魔法の適性を持つ生徒は少なく、上級呪文の使い手は更に稀少だ。
その存在が知られたら、間違いなく余所の学区が引き抜きに動く。最悪、暗殺される危険すらある。生徒会の許可もなく、ところ構わず使っていい魔法ではないのだ。
「あっ……目が覚めたんですね?」
唐突に手をつかまれた少女が驚いたように仰け反るが、意識を取り戻したティルティを見て、彼女はすぐに無警戒な表情でふわりと微笑んだ。
「気分はどうですか? オクトローパーに当たって倒れたって聞いたんですけど、まだ目眩や吐き気はありますか?」
「オクトローパー……? あ……!」
自分が倒れた理由を思い出し、ティルティは思いきり顔をしかめた。
食材とはいえないような魔物を使った、見るもおぞましいゲテモノ料理。それを食べて麻痺毒にやられたのだ。あんな危険物を迂闊にも口に入れてしまった、自分の愚かさに腹が立つ。
「ちょっと! ストップ、ストップ! なにやってるの! アナはあなたを治療しようとしてただけでしょ!」
オレンジ色の髪をした女子生徒が、ティルティと銀髪の少女の間に割りこんでくる。
ウェイトレス衣装風の改造制服を着た彼女の顔には見覚えがあった。学食でティルティにオクトローパーの定食を勧めてきたホール係だ。
そしてアナというのが、この獣耳の少女の名前らしい。
「その治療のやり方が問題なのよ! さっきの魔法、【大治癒】でしょ!? そんな高難度呪文を使えるなんて、あなた何者!?」
「え……え、と……」
ティルティに早口で問い詰められて、獣耳の少女が困ったような顔をした。
聖属性魔法の【大治癒】は、病気や内臓の損傷を治療する治癒系魔法の上級呪文だ。
そもそも治癒系魔法自体が、目に見える外傷を治療する回復系魔法よりも難易度が高いといわれており、【大治癒】の使い手など〝学園〟全体を探しても滅多にいない。
もちろん上級呪文である【大治癒】を使えば、オクトローパーごときの麻痺毒など苦もなく治療できるだろう。もっとも、そんなことをする治癒師など聞いたこともない。
喩えるなら隣の建物に移動するために、ヘリコプターを使うようなものだ。移動できなくはないだろうが、魔力の壮大な無駄遣いである。