聖女と暴食

第二章 オクトローパーのパープル味噌煮込み ⑥

「──アナ!」

「マコットさん?」


 ってきたマコットに名前を呼ばれて、アナがおどろいたように目をみはる。

 マコットはそんなアナのうでをぐっと引っ張った。


「よかった、見つけた! アナたちが第七学区アザレアスもどったって聞いて、探しにきたんだよ。ちょっと来て!」

「え? ま、待ってください、チュロスをまだ注文してないので! チュロス……!」

「いいから、急いで!」


 マコットにズルズルと引きずられていくアナを俺はしばらくぼうぜんながめて、それからあわてて彼女たちを追った。リュシエラと黒犬もそのあとをついてくる。チュロスを食べそこなったせいで、黒犬はあからさまにげんだ。


「あの、マコットさん? なにかあったんですか?」

「病人なの。今日のわり定食のオクトローパーに当たっちゃった子がいて。アナだったら、治せるでしょ?」

「食あたり……ですか。それはたぶんだいじようですけど……」


 アナがちらちらと背後にいる俺を見つめてくる。聖属性ほうりように使ってもおこられないか、俺の顔色をうかがっているのだろう。


じゆうしようなのか?」


 俺はやれやれと息をして、先頭を歩くマコットにかくにんした。

 オレンジ色のかみの少女はどこかあいまいに首をり、


「そんなことはないと思うんだけど、ぶったおれたのは常連客じゃなくて、初めて見るお客さんだったから、念のためにね。りようもせずに放置して、さわがれるとめんどうだからさ」

「なるほどな」


 学生食堂〝躑躅つつじてい〟は如何物いかもの料理の専門店だ。常連客はそのことをよく知っており、食べ慣れない食材をって体調をくずす程度のリスクはかくしている。


 しかし一見の客はそうはいかない。マコットが心配するように、たおれた客が回復したあと、文句を言い出す可能性は高かった。

 そこで聖属性ほうを使って早期に完治させ、安全性とアフターサービスの良さをアピールする計画か。


 ちなみにアナが聖属性ほうを使えることは、学食部の人間には顔合わせをしたその日のうちにバレていた。もちろんアナのやらかしが原因である。


 もっとも今のところ、そのことで大きな問題は起きていない。身内に聖属性ほうの使い手がいるのは、学食部にとってもメリットが大きいのだ。そのため彼らは、むしろ積極的にアナをかばってくれている。とはいえ彼らも、さすがにアナがじんぞうに聖水を生成できるとは思っていないのだろうが──


「そういうことなら仕方ないな。アナ、たおれた客をりようしてやってくれ。さわぎになって、生徒会に通報されるような事態はけたい」

「はい!」


 アナはあんみをかべて、勢いよくうなずいた。自分の保身のためにかんじやを見捨てずに済んだことがうれしいのだろう。


 そうこうしている間に、俺たちは学食部の拠点ホームである学生食堂へともどってくる。

 ファンタジー世界の酒場を思わせる木骨石造の建物が学食のてん。その裏手にある建物が、学食部の部室をねたりようである。わり定食にあたった不運な客は、そちらに運びこまれているらしい。


「お帰り……マコット」


 りように入った俺たちを、マコットと同じ顔をしたあおがみの少女がむかえる。マコットのふたの姉であるミネオラ・ナグイエだ。


「ただいま、お姉ちゃん! 例のお客さんは?」

「まだ……意識不明。しんぱく数と血中酸素のうも低下中。このままだと、ちょっとまずいかも」

だいじよう。アナを連れてきたから」


 マコットの言葉を聞いて、ミネオラが俺たちに視線を向けてくる。

 無言でうなずくあおがみの少女に、アナは、がんります、ときんちよう気味にぐっとこぶしにぎってみせた。


たおれたお客さんは女の子なんだよ。悪いんだけど、ハル・タカトーは部屋の外で待ってて」

「承知した」


 マコットに言われて、俺はうなずく。日常生活においてはポンコツでも、聖属性ほうに関してはアナの実力に疑いの余地はない。ほっといても問題ないはずだ。


 俺と同じ判断をしたのか、黒犬もアナを追いかけようとはせずに、ミネオラがポケットから取り出したジャーキーをもらおうと立ち上がって必死にびを売っている。


 しかしそれから間もなくして、アナたちが入っていった部室とうのリビングルームから、バタバタとあらあらしい物音が聞こえてくる。

 ろうかべしに伝わってくるのは強い聖属性りよくの波動と、だれかが暴れているような気配だ。


「──なにやってるの、あなた!?」


 アナやマコットの悲鳴とともに、学食部の部員ではない女子のり声がひびいてくる。

 なぜか聞き覚えのあるその声に、俺は思いきり顔をしかめるのだった。


6


 銀色にかがやく光のつぶが、やさしい雨のように静かに降り注いでくる。


 そのやわらかなかがやきの中で、ティルティはゆっくりと目を覚ました。

 ぼやけた視界に映ったのは、おどろくほどに美しい少女の横顔だ。


 長いぎんぱつあおひとみ。そして頭上で小さく動くけものの耳。顔立ちはせいな人形のように整っているが、同時に幼くやさしげな印象がある。天使のような、という表現がぴったりだ。


 ティルティに向かってかざした両手から、彼女はさいな光のりゆうを放ち続けている。

 そのりゆうが聖属性のりよくを帯びていることに気づいて、ティルティはハッと息をんだ。


「なにやってるの、あなた!?」


 はじかれたように勢いよく上体を起こし、ティルティはぎんぱつの少女の手をつかんだ。


 ティルティたちのいる場所は、学生りようの一室とおぼしき雑然としたリビングだ。しんにゆう者対策や機密保持などまったく期待できそうにない。


 聖属性ほうの適性を持つ生徒は少なく、上級じゆもんの使い手はさらしようだ。

 その存在が知られたら、ちがいなくの学区がきに動く。最悪、暗殺される危険すらある。生徒会の許可もなく、ところ構わず使っていいほうではないのだ。


「あっ……目が覚めたんですね?」


 とうとつに手をつかまれた少女がおどろいたようにるが、意識をもどしたティルティを見て、彼女はすぐにけいかいな表情でふわりとほほんだ。


「気分はどうですか? オクトローパーに当たってたおれたって聞いたんですけど、まだまいはありますか?」

「オクトローパー……? あ……!」


 自分がたおれた理由を思い出し、ティルティは思いきり顔をしかめた。

 食材とはいえないようなものを使った、見るもおぞましいゲテモノ料理。それを食べて毒にやられたのだ。あんな危険物をかつにも口に入れてしまった、自分のおろかさに腹が立つ。


「ちょっと! ストップ、ストップ! なにやってるの! アナはあなたをりようしようとしてただけでしょ!」


 オレンジ色のかみをした女子生徒が、ティルティとぎんぱつの少女の間に割りこんでくる。

 ウェイトレスしよう風の改造制服を着た彼女の顔には見覚えがあった。学食でティルティにオクトローパーの定食をすすめてきたホール係だ。

 そしてアナというのが、このけもの耳の少女の名前らしい。


「そのりようのやり方が問題なのよ! さっきのほう、【だい】でしょ!? そんな高難度じゆもんを使えるなんて、あなた何者!?」

「え……え、と……」


 ティルティに早口でめられて、けもの耳の少女が困ったような顔をした。


 聖属性ほうの【だい】は、病気や内臓の損傷をりようするほうの上級じゆもんだ。

 そもそもほう自体が、目に見える外傷をりようする回復系ほうよりも難易度が高いといわれており、【だい】の使い手など〝学園〟全体を探してもめつにいない。


 もちろん上級じゆもんである【だい】を使えば、オクトローパーごときの毒など苦もなくりようできるだろう。もっとも、そんなことをする師など聞いたこともない。

 たとえるならとなりの建物に移動するために、ヘリコプターを使うようなものだ。移動できなくはないだろうが、りよくそうだいづかいである。