聖女と暴食

第二章 オクトローパーのパープル味噌煮込み ⑦

だいじゃないです……今のはただの【どく】です」


 ティルティから目をらしつつ、アナがぼそぼそと言い訳した。

 そんなわけあるか、とティルティはまゆげる。


「あんな馬鹿みたいにりよくをまき散らす【どく】がどこにあるのよ!? なんでそれでせると思った!?」

「それはその……ハルくんがそう言えって……」


 ティルティのけんまくあつとうされたのか、アナが正直に告白する。


 実際、オクトローパー程度のじやく毒をりようするなら、【どく】のほうじゆうぶんだ。

 そして【どく】はほうであり、その程度の聖属性ほうが使える生徒はめずらしくない。


 すための言い訳としては、方向性はちがってはいないのだ。

 それが通用しないくらい、少女のほう能力が高すぎたというだけで。


「ハルって……ハル・タカトーのこと?」


 ティルティは、不意に真顔になって少女にき返した。

 アナは、その言葉を聞いて少しげんな顔をした。ティルティがハルの名前を知っているのが意外だと言わんばかりの表情だ。


 そんな彼女の反応に、ティルティはかすかないらちを覚えた。

 ハルはティルティの幼なじみ。この学区にいるだれよりも古くからの友人同士なのだ。

 第七学区アザレアスの生徒ならだれもが知っているようなそんな基本的な情報を知らないこの女子生徒は何者なのか?


 それをめようとティルティが口を開きかけたとき、古めかしい木製のドアがいきなり開け放たれて、だれかが部屋に飛びこんでくる気配があった。


「──動くな!」


 しなやかなけもののような動きで姿を現したのは、長身でまった体つきの男子生徒だった。


 世間的に見れば、顔立ちは整っている部類に入るのだろう。だがそれは見る者にの念をいだかせずにはおかない、美しいものや猛獣のようなたんせいさだ。

 ヒオウ・レイセインがおとぎ話の王子なら、こちらはえいゆうたんに出てくるだ。ただそこに立っているだけで、限りなくあつ感に近い存在感がすごい。


 同性から見ればせんぼうしつの対象で、異性から見れば近寄りがたいしようけいの的。

 それが第七学区アザレアスの〝蒼の稲妻〟──ハル・タカトーという少年だった。


「ハ、ハル?」

「ティルティか……」


 少しれいたんにも思えるまなしを、ハルがティルティに向けてくる。

 その無愛想な態度になつかしさを覚えつつ、ティルティはとがめるような口調でき返した。


「どうしてハルがここにいるのよ?」

「学食部の部員が、学食部のりようにいてなにがおかしい?」


 ハルはソファに座るティルティを見下ろしたまま、表情も変えずにそう答えた。


りよう……学食部の……」


 そこでようやくティルティは、自分のいる場所をあくする。なるほど。学食部のてんで毒にあたったティルティが、学食部のりように運びこまれたのは、自然な成り行きだ。


 そうなるとティルティのりように当たっていたこのぎんぱつの少女も、学食部の部員ということか。

 ハルの知り合いで、それでいてティルティの存在を知らない学食部員の美少女──

 その条件にまる人物に、一人だけ心当たりがある。


「じゃあ、第三学区シヤスタデージから来た転入生って、この子なの?」


 ハルと少女の顔を見比べながら、ティルティがいた。


「わたし、ですか?」


 少女がいつしゆんまどったように目をしばたく。

 そして彼女は、ハッとなにかに気づいて息をみ、あわてて何度もうなずいた。


「あ、そうでした。はい、しゃすたでーじから来た、アナセマ・シーセヴンです」

「アナセマ?」


 少女が名乗った名前を聞いて、今度はティルティがまどう番だった。


「はい」

「それって本名なの? 人間につけていい名前じゃないと思うんだけど……」


 アナセマという単語の意味は〝のろいの言葉〟。あるいは〝きらわれる人間〟だ。

 ひかえめに言ってもろくな言葉ではない。非人道的なほう実験が横行する第三学区シヤスタデージでは、そんなまわしい名前でも、めずらしくなかったということだろうか。


 しかしアナセマと名乗った少女は、ティルティの発言にショックを受けたようにひとみらす。


「うう……やっぱりアナセマというのは、よくない名前なんですね……ハルくんがわたしをアナと呼ぶのも、もしかしてそのせいですか?」

「最初からそう言っていただろう。ほかにどんな理由があると思ったんだ?」


 ハルはためいきをつきながら、逆にいぶかるように首をかしげた。

 少女は少し困ったようにまゆじりを下げて、


「てっきり親しいお友達だから、あいしようで呼んでくれているのかと……」

「前にも言ったが、いつから俺がきみの親しいお友達になったんだ?」

「ええ……」


 無神経なハルの発言に、アナがしようぜんかたを落とす。

 横からそれを見ていたティルティは、少しだけ彼女に同情した。

 ハル・タカトーというのは、こういう男なのだ。無神経だし、他人の気持ちがわからない。


 それでもだれに対しても平等に冷たいところだけは評価できる点だし、そこが変わっていないのは朗報といってもいいだろう。ティルティがどこか達観した気分でそんなことを考えていると、そんなハルと思いがけず目が合った。


「学生食堂の如何物いかもの料理を食べて腹をこわしたと聞いていたが、元気そうだな?」


 心配して損をした、と言わんばかりのハルのつっけんどんな物言いに、ティルティはピキッとほおらせる。


「腹をこわしたんじゃなくて、毒に当たったの! そもそも好きで食べたわけじゃないから!」

「そうなのか?」

「当たり前でしょ!? なんで私が好きこのんでオクトローパーのしよくしゆなんか食べるのよ!?」


 つうわり定食として提供されていたので忘れそうになるが、オクトローパーのしよくしゆは、いつぱん的な食材ではないのだ。自分で望んであんなものを食べたと思われるのは心外過ぎる。


「だったらなにしに学生食堂に来たんだ?」

「それはもちろん、あなたに会いに来たのよ!」

「……俺に?」


 なぜだ、とハルは目を細めてティルティを見返した。

 そんなハルとティルティを、アナとオレンジがみのウェイトレスが興味深そうにながめている。

 ティルティは、自分のほおがじわじわと紅潮するのを自覚して、


「ち、ちがっ……ちがわないけど、そうじゃなくて、生徒会長! 生徒会長にたのまれたの! どうして生徒会しつこう部をめて、学食部なんかにせきしたのか聞いてこいって!」

「ああ、そういうことか」


 なんの疑問もいだかずに、ハルがあっさりとなつとくする。

 そうなんですね、と同じくなおにうなずくアナ。

 まるでごとのような二人の態度に、ティルティはわけもなくイラッとする。元はといえば、この二人こそがティルティののうの源なのだ。しかし──


「おやおや。学食部なんか、というのは聞き捨てならないね」


 いらつティルティの背後から、のんびりとした声が聞こえてくる。

 かえったティルティが目にしたのは、のないみをかべたストロベリーブロンドの女子生徒だった。美人だがどことなくだるげで、ぼけたような目つきの少女である。


「うちは部活連合会にも加盟してる正規の部活動だよ? いくらきみが生徒会所属のエリート様でも、そんなふうに見下されるいわれはないね」

「……この人は?」


 ピンクがみの女子生徒を見返して、ティルティがハルにく。

 しかしハルが口を開く前に、本人が答えた。


「リュシエラ・クリトウ。学食部の部長を務めている者だよ」

「そうですか。ちょうどよかったです」


 このやる気のなさそうな女子生徒が部長であることにおどろきつつも、ティルティは平静をよそおって立ち上がる。学食部の部長を名乗るピンクがみの少女は、おや、と不思議そうにまゆを上げた。


「よかったというのは、どういうことかな? 言っておくけど、ハル・タカトーのせき手続きはかんりよう済みだからね。今さら返せといわれても、それは無理な相談というものだよ?」

「いえ。そうではなく、こちらの受け取りをお願いします」

「……人事通達?」


 ティルティがふところから差し出したふうとうを受け取って、リュシエラはめいわくそうにくちびるゆがめた。

 それに構わず、ティルティは言葉を続ける。


第七学区アザレアス学食部は、過去六期にわたって赤字を計上し、生徒会への上納金がばらいになっています。生徒会はこの事態を重大な問題と考え、かん官のけんを決定しました」

かん官?」


 ハルがおどろいたようにつぶやきをらす。

 生徒会のしつこう部員だった彼には、かん官がけんされるというじようきようあやうさがよくわかっているのだ。かん官がけんされたにもかかわらず経営じようきようが改善しない場合、学食部ははいになる可能性がきわめて高いのだから。


「ティルティ。そのかん官というのは、まさか……」

「ええ、私よ」


 少しほこらしげに胸を張り、ティルティは力強く言い放つ。


「学食部は以後の活動において、かん官の助言を受け入れ、経営戦略の見直しと経営じようきようの改善に務めてください。ご協力、よろしくお願いしますね」


 それを聞いたハルは目つきを険しくして、リュシエラは少し困ったように頭をいた。

 そしてアナはじようきようが理解できているのかいないのか、元気になったみたいでよかったです、とティルティを見つめてほがらかにほほむのだった。