「大治癒じゃないです……今のはただの【解毒】です」
ティルティから目を逸らしつつ、アナがぼそぼそと言い訳した。
そんなわけあるか、とティルティは眉を吊り上げる。
「あんな馬鹿みたいに魔力をまき散らす【解毒】がどこにあるのよ!? なんでそれで誤魔化せると思った!?」
「それはその……ハルくんがそう言えって……」
ティルティの剣幕に圧倒されたのか、アナが正直に告白する。
実際、オクトローパー程度の微弱な麻痺毒を治療するなら、【解毒】の魔法で充分だ。
そして【解毒】は基礎魔法であり、その程度の聖属性魔法が使える生徒はめずらしくない。
誤魔化すための言い訳としては、方向性は間違ってはいないのだ。
それが通用しないくらい、少女の魔法能力が高すぎたというだけで。
「ハルって……ハル・タカトーのこと?」
ティルティは、不意に真顔になって少女に訊き返した。
アナは、その言葉を聞いて少し怪訝な顔をした。ティルティがハルの名前を知っているのが意外だと言わんばかりの表情だ。
そんな彼女の反応に、ティルティはかすかな苛立ちを覚えた。
ハルはティルティの幼なじみ。この学区にいる誰よりも古くからの友人同士なのだ。
第七学区の生徒なら誰もが知っているようなそんな基本的な情報を知らないこの女子生徒は何者なのか?
それを問い詰めようとティルティが口を開きかけたとき、古めかしい木製のドアがいきなり開け放たれて、誰かが部屋に飛びこんでくる気配があった。
「──動くな!」
しなやかな獣のような動きで姿を現したのは、長身で引き締まった体つきの男子生徒だった。
世間的に見れば、顔立ちは整っている部類に入るのだろう。だがそれは見る者に畏怖の念を抱かせずにはおかない、美しい刃物や猛獣のような端整さだ。
ヒオウ・レイセインがおとぎ話の王子なら、こちらは英雄譚に出てくる騎士だ。ただそこに立っているだけで、限りなく威圧感に近い存在感がすごい。
同性から見れば羨望と嫉妬の対象で、異性から見れば近寄りがたい憧憬の的。
それが第七学区の〝蒼の稲妻〟──ハル・タカトーという少年だった。
「ハ、ハル?」
「ティルティか……」
少し冷淡にも思える眼差しを、ハルがティルティに向けてくる。
その無愛想な態度に懐かしさを覚えつつ、ティルティは咎めるような口調で訊き返した。
「どうしてハルがここにいるのよ?」
「学食部の部員が、学食部の寮にいてなにがおかしい?」
ハルはソファに座るティルティを見下ろしたまま、表情も変えずにそう答えた。
「寮……学食部の……」
そこでようやくティルティは、自分のいる場所を把握する。なるほど。学食部の店舗で毒にあたったティルティが、学食部の寮に運びこまれたのは、自然な成り行きだ。
そうなるとティルティの治療に当たっていたこの銀髪の少女も、学食部の部員ということか。
ハルの知り合いで、それでいてティルティの存在を知らない学食部員の美少女──
その条件に当て嵌まる人物に、一人だけ心当たりがある。
「じゃあ、第三学区から来た転入生って、この子なの?」
ハルと少女の顔を見比べながら、ティルティが訊いた。
「わたし、ですか?」
少女が一瞬、戸惑ったように目を瞬く。
そして彼女は、ハッとなにかに気づいて息を吞み、慌てて何度もうなずいた。
「あ、そうでした。はい、しゃすたでーじから来た、アナセマ・シーセヴンです」
「アナセマ?」
少女が名乗った名前を聞いて、今度はティルティが戸惑う番だった。
「はい」
「それって本名なの? 人間につけていい名前じゃないと思うんだけど……」
アナセマという単語の意味は〝呪いの言葉〟。あるいは〝忌み嫌われる人間〟だ。
控えめに言ってもろくな言葉ではない。非人道的な魔法実験が横行する第三学区では、そんな忌まわしい名前でも、めずらしくなかったということだろうか。
しかしアナセマと名乗った少女は、ティルティの発言にショックを受けたように瞳を揺らす。
「うう……やっぱりアナセマというのは、よくない名前なんですね……ハルくんがわたしをアナと呼ぶのも、もしかしてそのせいですか?」
「最初からそう言っていただろう。ほかにどんな理由があると思ったんだ?」
ハルは溜息をつきながら、逆に訝るように首を傾げた。
少女は少し困ったように眉尻を下げて、
「てっきり親しいお友達だから、愛称で呼んでくれているのかと……」
「前にも言ったが、いつから俺がきみの親しいお友達になったんだ?」
「ええ……」
無神経なハルの発言に、アナが悄然と肩を落とす。
横からそれを見ていたティルティは、少しだけ彼女に同情した。
ハル・タカトーというのは、こういう男なのだ。無神経だし、他人の気持ちがわからない。
それでも誰に対しても平等に冷たいところだけは評価できる点だし、そこが変わっていないのは朗報といってもいいだろう。ティルティがどこか達観した気分でそんなことを考えていると、そんなハルと思いがけず目が合った。
「学生食堂の如何物料理を食べて腹を壊したと聞いていたが、元気そうだな?」
心配して損をした、と言わんばかりのハルのつっけんどんな物言いに、ティルティはピキッと頰を引き攣らせる。
「腹を壊したんじゃなくて、毒に当たったの! そもそも好きで食べたわけじゃないから!」
「そうなのか?」
「当たり前でしょ!? なんで私が好きこのんでオクトローパーの触手なんか食べるのよ!?」
普通に日替わり定食として提供されていたので忘れそうになるが、オクトローパーの触手は、一般的な食材ではないのだ。自分で望んであんなものを食べたと思われるのは心外過ぎる。
「だったらなにしに学生食堂に来たんだ?」
「それはもちろん、あなたに会いに来たのよ!」
「……俺に?」
なぜだ、とハルは目を細めてティルティを見返した。
そんなハルとティルティを、アナとオレンジ髪のウェイトレスが興味深そうに眺めている。
ティルティは、自分の頰がじわじわと紅潮するのを自覚して、
「ち、違っ……違わないけど、そうじゃなくて、生徒会長! 生徒会長に頼まれたの! どうして生徒会執行部を辞めて、学食部なんかに移籍したのか聞いてこいって!」
「ああ、そういうことか」
なんの疑問も抱かずに、ハルがあっさりと納得する。
そうなんですね、と同じく素直にうなずくアナ。
まるで他人事のような二人の態度に、ティルティはわけもなくイラッとする。元はといえば、この二人こそがティルティの苦悩の源なのだ。しかし──
「おやおや。学食部なんか、というのは聞き捨てならないね」
苛立つティルティの背後から、のんびりとした声が聞こえてくる。
振り返ったティルティが目にしたのは、覇気のない笑みを浮かべたストロベリーブロンドの女子生徒だった。美人だがどことなく気怠げで、寝ぼけたような目つきの少女である。
「うちは部活連合会にも加盟してる正規の部活動だよ? いくらきみが生徒会所属のエリート様でも、そんなふうに見下されるいわれはないね」
「……この人は?」
ピンク髪の女子生徒を見返して、ティルティがハルに訊く。
しかしハルが口を開く前に、本人が答えた。
「リュシエラ・クリトウ。学食部の部長を務めている者だよ」
「そうですか。ちょうどよかったです」
このやる気のなさそうな女子生徒が部長であることに驚きつつも、ティルティは平静を装って立ち上がる。学食部の部長を名乗るピンク髪の少女は、おや、と不思議そうに眉を上げた。
「よかったというのは、どういうことかな? 言っておくけど、ハル・タカトーの移籍手続きは完了済みだからね。今さら返せといわれても、それは無理な相談というものだよ?」
「いえ。そうではなく、こちらの受け取りをお願いします」
「……人事通達?」
ティルティが懐から差し出した封筒を受け取って、リュシエラは迷惑そうに唇を歪めた。
それに構わず、ティルティは言葉を続ける。
「第七学区学食部は、過去六期にわたって赤字を計上し、生徒会への上納金が未払いになっています。生徒会はこの事態を重大な問題と考え、監査官の派遣を決定しました」
「監査官?」
ハルが驚いたように呟きを洩らす。
生徒会の執行部員だった彼には、監査官が派遣されるという状況の危うさがよくわかっているのだ。監査官が派遣されたにもかかわらず経営状況が改善しない場合、学食部は廃部になる可能性が極めて高いのだから。
「ティルティ。その監査官というのは、まさか……」
「ええ、私よ」
少し誇らしげに胸を張り、ティルティは力強く言い放つ。
「学食部は以後の活動において、監査官の助言を受け入れ、経営戦略の見直しと経営状況の改善に務めてください。ご協力、よろしくお願いしますね」
それを聞いたハルは目つきを険しくして、リュシエラは少し困ったように頭を搔いた。
そしてアナは状況が理解できているのかいないのか、元気になったみたいでよかったです、とティルティを見つめて朗らかに微笑むのだった。