聖女と暴食

第二章 オクトローパーのパープル味噌煮込み ⑨

 うすやみの中に浮かび上がるそのものの死体を見て、ティルティが、ぎゃあ、と悲鳴を上げた。


「……って、恐っ!? なによこれ!? 顔、恐っ!」

「オーガベアです。ハルくんと部長さんとわたしたちがりました」


 黒犬をいているアナが、少し得意そうな表情で答える。


「は? オーガベア? きよう度B級中位のものじゃない。なんでそんなものの死体がこんなところに?」

「なんでって、そりゃうからに決まってるだろ」

「食べるの!? これを!?」


 ティルティが信じられないといわんばかりに思いきり顔をしかめた。

 おおな彼女の反応に、やれやれとラフテオは首をる。


「熊肉は昔から食用にされてきただろ」

「知らないわよ! そもそもオーガベアは熊じゃない!」


 ティルティがねたようにくちびるとがらせた。

 オーガベアは体長四メートルほどの陸上型のものだ。熊のきんえん種と考えられているが、頭部に生えた二本の角のせいで、その名のとおりオーガに見える。熊ではないというティルティの主張も、その意味では的外れではない。


「こいつをってくるのはありがてえが、なんでおまえは毎回もの身体からだばすんだ?」


 いまだにさわいでいるティルティを無視して、ラフテオがだつせんしかけていた話を元にもどした。たしかにオーガベアのどうたいには、直径六、七十センチにも達するきよだいな穴が空いている。俺がかみなりほうを応用したほうげきでぶちいたものだ。


「なにか問題があったか? 今回はロースやヒレもしっかり残してあったと思うが」

「そんなもの持って帰られても、うちじゃ使わないから意味ねえんだよ」


 ラフテオが深々とためいきをついて、俺は自分の失策をさとった。


 可食部を多く残すために、俺はあえて筋肉の少ないオーガベアの腹部をばした。だが、ラフテオが調理に使いたかった部位は、どうやらそのあたりにあったらしい。


「ロースやヒレを使わないって、どういうこと? ほかにどこを食べるの? バラ肉?」


 ラフテオの言葉に興味をかれたのか、ティルティが小首をかしげながらいた。


「とりあえずはハツとタン、それにハラミか。こんだてによってはマメやヒモも使うな。オーガベアのような熊系のものならてのひらもだ」

「……なんですか、それ?」


 まるで暗号のようなラフテオの返事に、ティルティはめんらったような顔をする。


「心臓と舌、あとは横隔膜周りの筋肉ですね。マメはじんぞう、ヒモは小腸だったはずです」


 ティルティの疑問に答えたのは、アナだった。せんぱいらしいところを後輩テイルテイに見せられて、けもの耳の少女は満足そうに小鼻をふくらませている。


「つまり内臓ってこと? それにてのひらって……手?」

「ああ。コラーゲンが豊富でいぞ」

「なんでそんなとくしゆな部位ばっかり使うんですか!? つうにお肉を食べましょうよ!?」

「なに言ってんだ。ロースやヒレなんか、うちの店じゃなくてもえるだろうが」


 ある意味で当然とも思えるティルティの意見を、ラフテオはバッサリと切り捨てた。


 ティルティとしてはなつとくがいかないだろうが、今の俺には、ラフテオの主張の意味が理解できる。学食部の最終目標は、いまだにだれ辿たどいたことのない美食文化のさいこうほうともいうべきフルコース〝せいぜんせき〟の完成なのだ。


 それを達成するためには、過去の料理人がけていたとくしゆな食材にも目を向ける必要がある。その結果として生まれたのが、〝躑躅つつじてい〟の如何物いかもの料理なのだろう。


「まあいい。それよりもぞうだ。今回はどうにか無事だったが、ギリギリだったぞ。おまえのこうげきがあと何センチかズレてたら危なかった。オーガベアのぞうちんとして有名だからな」

ぞう!? あんなもの食べてだいじようなんですか!?」


 ティルティが今度こそ悲鳴を上げる。ラフテオは、あきれたような視線をティルティに向けて、


「そりゃえるだろ。べつに毒ってわけじゃねえんだから」

「いや、毒でしょ!? ぞうなんて、もののいちばんヤバい部分じゃないですか!」

「心配するな。ちょっとアクが強いだけだ。きっちり下処理すれば問題ねえ」

「あなたの下処理した食材で、私、さっき死にかけたんですけど!?」


 ティルティが金切り声で反論する。学食部の定食の毒にあたったことを、彼女は今も根に持っているらしい。

 そしてそんないつしよくそくはつふんにらう二人の間に、割りこんだのはアナだった。


「落ち着いてください、ティルティさん。重要なのはそこじゃありません」

「毒物を食べさせられるかどうかよりも重要なことってなに!?」


 ティルティがなつとくいかないという風にアナに食ってかかる。

 アナはそれに答える代わりに、ラフテオへの質問を口にした。


「オーガベアのぞうは、しいんですか?」

「気にするところ、そこなの!?」

「……食材にとって、味の良ししは大事じゃないです?」

ぞうは食材じゃないでしょう!?」


 不思議そうに見つめ返してくるアナをにらんで、ティルティは頭をかかえている。いつもましているティルティが、こんなにも感情をあらわにしたところを見るのはずいぶん久々だ。


ぞういぞ。くせはあるが、慣れればやみつきになるともっぱらの評判だ」

「どこの世界の評判ですか!?」

如何物いかもの料理業界だが?」


 ティルティの皮肉っぽい質問に、ラフテオは表情を変えずに平然と答えた。

 なにを言ってもラフテオを論破できないとさとったティルティは、助けを求めるような視線を俺に向けてくる。


「ねえ、ハル。学食部が万年赤字経営な理由は、こうやってイカモノ料理にこだわってるせいじゃないの? もっとまともな料理を出せば、お客さんも増えるのに……!」

「それはどうだろうな。今の学食部にも、それなりに常連客がいるみたいだからな」


 急な方針てんかんをすれば、かえって客ばなれを招く可能性がある。

 俺がやんわりとそうてきすると、ティルティは真面目に考えこんだ。


「たしかにランチタイムの店内はそこそこ混んでたけど……どうしてあんなものを食べたがるのか、まったく理解できないわ」

「そうだな」


 あっさりとうなずく俺を見て、ティルティはおどろいたように目をしばたいた。


「……どうした?」

「いえ、やっぱりハルはイカモノ料理にれこんで学食部にせきしたわけじゃなかったのね」

「当然だ」


 わかりきったティルティの質問に、俺は素っ気ない答えを返す。


 正直なところ、俺は食事にこだわりがない。もちろんいにしたことはないが、必要な栄養素が取れれば、それでじゆうぶんだと思っている。仮に学食部の如何物いかもの料理がかったとしても、どうしてそれで俺がせきしなければならないのかわからない。


 そんな当然の返事を聞いて、ティルティはなぜか満足したらしい。


「わかった。そういうことなら文句はないわ。この私がかん官として来たからには、学食部の食堂をまともな料理が食べられて利益が出る真っ当な店に変えてみせるから!」

「そうか。がんれ」


 俺は投げやりな言葉でティルティをげきれいした。

 如何物いかもの料理に思い入れのない俺としては、彼女のもくが成功でも失敗でも気にならない。


 しかし美食にこだわるアナたちにとってはどうなのか──ふと気になって、俺はアナにかかえられたままの黒犬を見た。


「おまえはそれでいいのか、犬コロ」

いものがえるなら、我はなんでも構わんぞ。人間のいうまともな料理もイカモノも、我から見れば、たいしたちがいはないからな』

「そういうことか」

「ゼブくんはきらいのない、いい子なので」


 黒犬の言葉に俺はなつとくし、アナは黒犬の頭をよしよしとでる。


 きらいのの問題ではなく単にあくじきなだけだと思ったが、俺はあえてそれを口にしようとはしなかった。だがその直後、ティルティがぼうぜんくしていることに俺は気づく。


 彼女がけいかい心をしに見つめているのは、アナのうでの中にいる黒犬だ。


「なんなの、それ?」

「あ……」


 つうの犬は人間の言葉をしやべらない。そのことを忘れていた俺とアナは思わず顔を見合わせて、そして気まずい顔でほうに暮れるのだった。