「たいした威力だ」
炎に完全に吞みこまれたはずのヒオウが、握っていた長剣を無造作に振った。
渦巻く炎が収束してその剣に纏わりつき、無傷のヒオウが姿を現す。
「だけど、残念だったね。僕も火属性の魔法が得意でね。この程度の炎では僕は焼けないよ」
「……!」
いまだに周囲では炎が荒れ狂っていたが、それがヒオウを傷つけることはなかった。痩身の男が放った火属性の魔力を、ヒオウが乗っ取り、自分のものとして完全に支配したのだ。
炎の支配権を奪われたことに気づいて、痩身の男が後退する。自ら放った炎で、自分自身が焼かれることを恐れたのだ。
そして男は新たな炎を喚び出し、まるで障壁のようにヒオウとの間に幾重にも展開する。
そんな敵の姿を、ヒオウは冷ややかに正面から見据えた。普段の穏やかな表情が噓のような、冷淡な光が瞳に浮かぶ。
「〝剣よ、剣よ、汝の名は螺旋描く炎の槍、我が意に従いすべてを穿て〟──」
ヒオウが呪文を詠唱し、炎を纏った長剣を構える。その特徴的な姿勢から放たれたのは、目にも留まらぬ速さの凄まじい刺突だった。
「──廻焰!」
炎を巻きこんだヒオウの剣撃は、痩身の男が展開した障壁を一瞬ですべて撃ち抜いた。そして渦巻く炎の奔流が、閃光と化して男の身体を貫通する。
それまで執行部隊の攻撃に対して無反応だった痩身の男が、初めて苦悶の呻きを洩らした。人間の喉から出たとは思えぬ、獣じみた不気味な声だった。
「すげえ……さすが隊長……」
負傷して後退していたラセットが、ヒオウの攻撃の威力に感嘆の息を吐く。
痩身の男が吹き飛ばされたことにより、不死身に近い様相を呈していた陸戦隊の隊員たちも、糸が切れたように次々に倒れて床に転がった。
しかしヒオウは戦闘態勢を解かない。
全身を炎に包まれながらも、痩身の男がゆらりと立ち上がるのが見えたからだ。
男の左腕はほぼ完全に炭化して、左の肺もおそらく破れている。しかし男は倒れない。ヒオウたちを睨む男の眼光が、妖しい輝きを増したようにも感じられる。
「噓だろ!」
「あれに耐えるのか!?」
男が立ち上がったことに気づいて、執行部隊の隊員の間にも動揺が広がった。
リィカは吐き気をこらえるように、蒼白な顔で自分の口元を押さえている。
「第七……学区……〝暴食〟はそこにいるのだな……」
男の唇が震えるように動いて、嗄れた声が零れ出す。
そして次の瞬間、男は跳んだ。
彼らが降下した際に使ったロープにしがみつき、負傷した肉体が鮮血を撒き散らすのも無視して、信じられないほどの速度で天井の縦孔をよじ登っていく。
「ま、待て!」
「──追うな、ガラ!」
咄嗟に男を追撃しようとした副官を、ヒオウが鋭い声で制止した。
直接交戦したヒオウの目から見ても、あの男の戦い方は異常だった。
単なる火属性魔法とは異なる奇妙な炎。そして異常な生命力。いくら重傷を負っているといっても、ほかになにか隠された能力がないとは限らない。相手の素性がわからない現状、深追いするのは危険と判断せざるを得ない。
「なんだったんでしょうか、今のは……」
苦痛に顔をしかめながら立ち上がったラセットが、誰にともなくぼそりと訊いた。
「さあね……第二十六学区にあんな化け物がいるなんて聞いたことがないけどね」
ヒオウは肩をすくめて首を振る。
交易を主体とする第七学区は、海洋開発の盛んな第二十六学区ともそれなりに交流がある。だが、少なくともヒオウの知る限り、第二十六学区の陸戦隊はごくありふれた戦闘集団だったはずである。あの痩身の男のような特異な存在がいて、噂すら聞こえてこないとは思えない。
「とにかく被害状況を確認しよう。ラルスたちとの連絡は?」
「通信、回復しました。だいぶ派手にやられたみたいですが、重傷者はいないようです」
ヒオウの質問にガラが答える。どうやら敵の別働隊も、こちらの動きに合わせて撤退したらしい。あるいは彼らも、痩身の男に操られていたのかもしれない。
「それはよかった。あとは第二十六学区の捕虜だけど、話を聞けそうな生徒は残ってるかな?」
ヒオウが周囲を見回して訊いた。
襲撃してきた敵部隊の中で、逃走に成功したのは痩身の男だけである。
残りの七人は意識をなくした状態で倒れている。
しかし彼らの負傷は酷く、まともに尋問ができる状態かどうかはわからない。
それでも一人くらいは意識が残っているはず、というヒオウの予想は、意外な形で覆された。
「ヒ……ヒオウ先輩……」
「リィカくん? どうした?」
負傷者の救護を始めようとしたリィカが、強張った表情でヒオウを見上げていた。彼女の肩は、怯えたように小刻みに震えている。
「この人たち……死んでます」
「なに?」
ヒオウは微笑みを消して、リィカの傍へと駆け寄った。
ほかの隊員たちも敵生徒の生死を確認し、そして口々に呻き声を洩らす。
血の気をなくした土気色の肌。硬直した肉体。乾いてひび割れた眼球。倒れた生徒たちの特徴のすべてが、彼らが死人であることを示していた。
しかし彼らが死んだのは、ヒオウたちの攻撃によるものではない。死体の状況から推測して、死後十数日が経っているのはほぼ間違いない。
「いえ、最初から死んでたんです! 私たちを襲ってきたのは、死人だったんです!」
リィカの悲愴な声が、廃棄モジュールの中に響き渡る。
その言葉に誰も応えることができず、ヒオウたちはただ呆然と立ち尽くすのだった。