1
「恐っ……顔、恐っ!」
厨房に吊された魔物の生首を見て、カウンターに案内された女子生徒たちが悲鳴を上げた。
「あれがオーガベア……B級中位の魔物なのですね。普通だったら戦闘系の部活や委員会が、一個教室単位で取り囲んで倒すレベルの強敵だと聞きましたが……」
「それをハル様がお一人で仕留められたのですか?」
「さすがですわ、ハル様」
彼女たちは互いに手を取り合いながら、俺の行動を口々に褒め称える。
普段なら苦情が出そうな騒々しさだが、今日に限ってはそれを気にする客はいなかった。学生食堂〝躑躅亭〟の店内を埋め尽くす客のほとんどが、彼女たちの同類だったからだ。
「すまない、待たせた。本日のスペシャルメニュー、〝オーガベアの火鍋〟だ。赤い紅湯は激辛の麻辣スープ、白いほうは塩味の豚骨スープになっている。紅湯は本当に辛いから、無理をしないようにな」
俺は覚えたての説明を口にしながら、煮えたぎる鍋をテーブル席へと運んだ。
その席に座っていたのも、第七学区の女子生徒たち。魔物の内臓を煮込んだ如何物料理を給仕する俺を、息を詰めながらジッと観察している。
それを鬱陶しいと思わなくはないが、そうはいっても相手は客だ。彼女たちの不躾な視線を受け流しながら、淡々と接客する程度の社交性は俺にもあるのだった。
「ねえ、ハル。なんなの、これ? どういう状況?」
給仕を終えて厨房へと戻った俺に、ティルティが小声で話しかけてくる。
彼女が不満げに眺めているのは、客でごった返す躑躅亭の店内だ。
普段は昼飯時でも半分も埋まらないテーブル席は満席で、店の外にまで順番待ちの列が出来ていた。おかげでマコットとミネオラだけでは給仕の手が足りず、専門外の俺やティルティが、臨時の接客係として駆り出されるような有様である。
ちなみに押し寄せてきた客の大半は女子生徒。躑躅亭の客の大半は男子だと聞いていたが、ここ数日、その比率は完全に逆転している。
「俺が学食部に移籍したという情報が、一般の生徒にも出回り始めたみたいだな」
無関心な口調で、俺は答えた。
俺が学食部に移籍して、そろそろ一カ月が経っている。躑躅亭はマニア向けの目立たない店だが、俺がここで働いていることに気づいた生徒がいたのだろう。
「それであなたの取り巻きの女子が、大挙して押し寄せて来たってわけ?」
「元特殊執行部隊の人間が接客する店なんて、ほかにないからな。物珍しがってるだけじゃないか。そのうち飽きるだろ」
生徒会執行部に所属していた俺は、第七学区ではそれなりに顔が売れている。
そんな俺が突然、学生食堂で働き始めたのだ。面白がって見に来る客がいても不思議はない。
もっとも俺の取り巻きの女子といっても、彼女たちの目当ては特殊執行部隊の部隊長というエリート学生であって、俺個人ではないはずだ。生徒会執行部を辞めた俺に、いつまでもつきまとうとは思えない。
そう告げた俺を、わかってねえなという顔で見つめて、ティルティは深々と溜息をついた。
「それはそれとして、なんで私まで、こんな服を着て接客をさせられなきゃならないのよ……」
「やっぱり皿洗いのほうがよかったのか?」
「違うわよ! 私は学食部の監査に来ただけで、部員になった覚えはないって言ってるの!」
ティルティが不満げに唇を歪めて俺を睨みつける。
今日のティルティが着ているのは、エプロンドレス風の改造制服。マコットやミネオラが普段着ている制服のデザイン違いだ。すらりとしたティルティの見た目に合わせてフリルを減らし、そのぶんスカート丈が短くなって露出度が上がっている。
当然ティルティはそれを着ることに抵抗したが、リュシエラたちに強引に押し切られ、なし崩し的にウェイトレスとして扱き使われることになったのだった。
「大丈夫です、ティルティさん。その服、すごく可愛いです」
不満たらたらのティルティを励ましたのは、客が帰ったあとのテーブルを片付けて戻ってきたアナだった。やはり彼女が着ているのも学食部の改造制服である。
「……ありがとう。あなたも似合うわね」
「本当ですか? えへへ……」
ティルティの投げやりな褒め言葉を聞いて、アナは嬉しそうに目を細めた。彼女の頭頂部の獣の耳が、ぴくぴくと弾むように動いている。
「そういえば聞きましたか、ティルティさん。今日のまかないは、カレーですよ。ナイバル料理長がオーガベアの余ったお肉でカレーを作ってくれるんだそうです」
「あ……うん、そ、そうなんだ……」
「はい。楽しみです!」
満面の笑みを浮かべながら、アナは力強くうなずいた。
慣れないホール係の仕事に駆り出されたのはアナも同じだが、そのことに不満はないらしい。むしろ料理に囲まれて仕事ができるのが、楽しくて仕方ないという雰囲気である。
躑躅亭の常連客の中には、そんなアナの熱烈なファンになった連中すらいるようだった。
「アナちゃん! すまねえ、追加の注文を頼む!」
「待ちやがれ、アナちゃんを呼んでるのはこっちが先だろうが!」
「アナちゃん、俺と一緒に写真を撮らせてくれ!」
「ぼ、僕は……ティルティ先輩が……」
「ほら、呼ばれてるぞ」
店の片隅に追いやられた男子生徒たちが、アナやティルティを呼びつける。
「うぐぐ……覚えてなさいよ……」
彼らの相手を押しつけられたティルティが、恨めしげに俺を一瞥して厨房を出て行った。
それを冷ややかに見送った俺は、カウンター席の端に座った一人の生徒にふと目を留める。青いタクティカルジャケットを着た小柄な女子だ。見覚えのある顔だった。
激辛のスープを口に運んでげほげほと噎せている姿を見かねて、俺は彼女へと近づいていく。
「大丈夫か? リィカ・タラヤ」
「ハ……ハル先輩……!」
驚いたように顔を上げたのは、特殊執行部隊の後輩隊員だった。
涙目で俺を見上げながら、彼女は再び激しく咳きこむ。唐辛子の刺激に喉をやられたらしい。
「無理をするな。この赤いやつは常連客向けのかなり本格的な味付けになってるらしい」
「は、はい。すみません」
リィカが肩を落として弱々しくうなずいた。
俺は、空になっていた彼女のグラスに冷水を注ぎ足して差し出そうとする。
それを邪魔したのは、どこからともなく現れた黒犬のゼブだった。
『待て、小童』
「なんのつもりだ、犬コロ。ケダモノの分際で飲食店に入ってくるな」
『唐辛子の辛み成分のカプサイシンは脂溶性で、水には溶けぬ。水を飲んでも洗い流せんぞ。辛みを中和するなら、油分を含んだそこの揚げパンを喰うのがおすすめだ』
「そ、そうなんですね。どうも……」
人の言葉を喋る黒犬に困惑の表情を浮かべながらも、リィカは素直に従った。何度も咳きこみながらも揚げパンをもそもそと咀嚼して、ようやく落ち着いたように息を吐く。
「あの、こちらのワンちゃんは、ハル先輩のペットですか?」
「違う」
『我はワンちゃんではない。ケルベロスだ』
「は? ケルベロス……?」
地獄の番犬を自称する小型愛玩犬を見つめて、リィカは困ったような顔をした。ある意味、当然の反応だ。なにも言えずにいる彼女を気遣って、俺は強引に話題を変える。
「ここには一人で来たのか、タラヤ?」
「はい……すみません……」
「べつに謝る必要はない。一人で来店した女子にはサービス券を渡すことになっているから、確認しただけだ」
学食部に移籍するまでは俺も知らなかったのだが、一人で食事に来た客の多くは店に長居しないため、座席の回転率が上がる。飲食店にとっては歓迎すべき客なのだ。そのため学食部では、そのようなお一人様客に、次回来店時に使える割引チケットを渡すルールになっている。
「いえ、あの、そうではなくて……私、ハル先輩に会いに来たんです」
「俺に?」
「はい……ハル先輩、執行部隊に戻ってきてはいただけませんか?」
思い詰めたような表情で俺を見上げて、リィカは弱々しくそう言った。
「第一小隊には、やっぱりハル先輩が必要なんです。口には出しませんけど、みんな、先輩なしでやっていけるかどうか不安に思ってます。こないだの落下物のときだって、ヒオウ隊長がいなかったらどうなったことか……」
「ヒオウ? 第二小隊が落下物の調査を引き継いだのか?」
「はい。私も道案内のために同行したんですけど、そのときに第二十六学区陸戦隊の人たちに襲われてしまって」
「…………」
リィカの言葉に、俺は無言で眉を寄せた。