聖女と暴食

第三章 オーガベアの火鍋 ②

 地上に落下した天環オービタルのモジュールは、地上の技術水準をえたテクノロジーの集合体だ。そんなメテオライトの所有権をめぐって争いになるのは、それほどめずらしいことではない。


 とはいえ、今回地上に落ちてきたはいモジュールはどうだんとうによってくされており、てんじんの遺産としての価値はもう残っていないはずだ。第七学区アザレアスはもちろん、第二十六学区ペンタスの生徒会も、それに気づかなかったとは思えない。


 それなのに彼らは、生徒会の主戦力である特殊執行部隊インビジブル・ハンズや陸戦隊を動かした。そのことがみように気になった。なにしろあのはいモジュールには、アナと〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟が乗っていたのだ。そのこんせきを彼らが探していたのだとしたら、かなりめんどうなことになる。


「でも、あれは第二十六学区ペンタス陸戦隊のようで、陸戦隊じゃなかったんです」


 だまりこむ俺に気づかずに、リィカがぽつりと言葉を続ける。


「どういう意味だ?」

「その……私たちがそうぐうした相手は死体だったんです。変なほうを使う変なロン毛の変な男子にあやつられてたみたいで」

「変なロン毛?」

「はい。メテオライトの中のにおいをいで、〝暴食〟のにおいでちがいないとか、〝暴食〟が第七学区アザレアスにいるとか、わけのわからないことを言ってました」

「〝暴食〟……だと?」


 おどろきを表に出さないように、俺はどうにか内心のどうようおさえこむ。


 じようきようからして、ぐうぜんではあり得ないだろう。死体をあやつほうを使う男は、はいモジュールに〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟がいたことをちがいなく知っていたのだ。


「そのときはヒオウせんぱいげき退たいしてくれたんですけど、それでも相手にげられてしまったので……もしかしたら、またやってくるかも……」


 リィカの不安げなつぶやきを聞いて、俺はますます表情をしぶくした。

 げられた。つまり、ヒオウが交戦したにもかかわらず、仕留めそこねたということだ。


 くわしいじようきようはわからないが、信じられないという気持ちが強い。ヒオウのかつてのどうりようである俺は、あの男の並はずれたせんとう能力をよく知っている。


「おい、犬コロ」


 自分のかたにしがみついている黒犬に、俺はげんな口調で呼びかけた。


『なんだ、わつぱ?』

「どういうことだ? なんでおまえの存在が第二十六学区ペンタスにバレている?」

『心当たりが多すぎてわからんな。特に可能性が高いのは、てんじんから情報がれているというパターンだが』

「なるほど。ありそうだな」


 やつかいだな、と俺は小さく舌打ちした。

 通常、〝学園〟の生徒はてんじんせつしよくすることが出来ないが、各学区の生徒会長だけは、例外的に天環オービタルとの通信が許可されている。アナや〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟の存在について、なんらかの情報が流れていてもおかしくはないわけだ。

 俺がちんもくしたせいで気まずくなったのか、リィカが、ずずっ、となべしるすすった。そして、顔を真っ赤にしてかえる。


「うう……からいです……」

「だから無理して食べるなって言ってるのに……」


 なみだまじりにきこむ彼女を、俺はあきれながら見下ろした。

 そんな俺たちの様子に気づいて、ティルティが足早に近づいてくる。


「ちょっと、ハル! こんなところでなに女の子を泣かせてるのよ!?」

「俺が泣かせたわけじゃない」


 どういうかんちがいだ、と俺はうんざりしながら首をった。


「じゃあどうして泣いてるのよ?」

「文句があるなら、この料理を作ったナイバルせんぱいに言え」

「ああ……」


 カウンターの上のなべに気づいて、ティルティはなつとくしたように息をいた。

 そのティルティの制服のそでを、リィカがとつぜんつかんで、ぐっと引き寄せる。


「うう、ティルティせんぱい、なんでそんな服着てるんですか。学食部に入部したんですか。ハルせんぱいを連れもどしてくれるって約束したのに……ティルティせんぱいうそつきぃ。裏切り者ぉ」

「ま、待って……ちがうの、私は学食部に入部したわけじゃなくて……本当にちがうから!」


 ぐずぐずとはなをすすりながら、リィカがうらごとをぶちまける。

 その声は、当然、店内にいたほかの女子生徒たちにも聞こえていた。俺を執行部隊ハンズに連れもどすと言っておきながら、ちゃっかりと自分だけ学食部に入部した──そんな誤解を受けたティルティに、敵意に満ちた視線がさる。


 誤解を解いてやりたい気持ちはあるが、こういう場面で口出しすると余計に話がこじれることを俺は経験的によく知っていた。それに今さら執行部隊ハンズもどれといわれても困るのだ。


 必死の言い訳を続けるティルティにリィカの相手を任せて、俺は静かにその場をはなれる。

 躑躅つつじていの昼営業が終わるまで、残り約三十分──


2


「つ……つかれた……」


 学食部の部室にもどってきたティルティが、ぐったりとソファにたおれこむ。

 夜の部の営業が始まるまでの、つかきゆうけい時間である。


 学生食堂である躑躅つつじていの営業時間は、午前十一時から午後一時までの二時間と、午後四時から七時までの三時間。あくまでも部活という建前なので、営業時間を〝学園〟の昼休みと放課後に合わせているのだ。


 もっとも〝学園〟の授業は、ほぼすべてが人工知能を教師にした自由学習なので、授業時間というがいねんにはほとんど意味がない。


 そもそも高等部の学生には、必修の授業そのものが存在しない。委員会活動や部活を通じて〝学園〟を運営すること自体が、学習機会だと考えられているからだ。


「おつかさまです、ティルティさん。よかったらコーヒーどうですか?」

「ありがとう。いただくわ」


 ガラス製のデカンタを持ったアナが、マグカップにコーヒーを注いでティルティにわたす。


 ここ数日、アナはコーヒーにっているのだ。

 マコットたちにコーヒーのれ方を教えてもらったのがうれしくて仕方ないらしい。

 しかしアナがれたコーヒーを口にふくんだたんに、ティルティが血相を変えて立ち上がる。


「……って、なにこれ!?」

「お、しくなかったですか?」

しいわよ。しいけど、そうじゃなくて! なんでこのコーヒー、聖属性のりよくもってるの!?」

「あ……」


 表情をこおりつかせたけもの耳の少女が、おびえたような視線を俺に向けてくる。

 あれほど聖属性ほうを使うなと言われていたのに、うっかり聖水を使ってコーヒーをれた。そのことが俺にバレたせいで、おこられるのではないかとおそれているらしい。


「ち、ちがいますよ、ハルくん。わざとじゃないです。しくれようと思ったら、勝手に聖気がまぎれこんでしまっただけで……ちがうんです!」


 アナがぶるぶると首をりながら言い訳する。

 その反応を見る限り、どうやら彼女も無自覚にやってしまったことらしい。


「たしかに聖属性の気配がするけど……つうの生徒には感知できないレベルだね。ティルティちゃんはよくこれに気づいたね」


 ティルティのマグカップを横からうばったリュシエラが、アナのコーヒーを一口すすって感心したようにつぶやいた。


「それは……その……」


 ティルティが少し困ったように言葉をにごす。まんっぽく聞こえてしまうのを気にして、答えられずにいるらしい。


「こいつも聖属性ほうの適性持ちだからだろうな」


 言いづらそうにしている本人の代わりに、俺がティルティを指さして言った。


「そうなんですか?」


 アナが目を見開いてティルティにく。ティルティは小さくかたをすくめて、


「実際に使う機会はあまり多くないけどね。私は救護職や生産職ってわけではないし」

「そういえばティルティちゃんは、全属性のほうが使えるんだっけ?」

「ええ。まあ、いちおう」


 ティルティがひかえめにこうていした。


 属性ほうの適性がある生徒は〝学園〟全体の一割にも満たず、二属性以上を使える生徒はさらに貴重だ。その中ですべてのほう属性に適性を持つというティルティは、ぜんだいもんのレアな体質の持ち主だといえる。


 しかも彼女の場合、適性にめぐまれただけでなく、りよくの総量自体もかなり多い。〝学園〟最強と呼ばれる俺やヒオウでも、単純なほういではおそらくティルティにかなわない。


「そんないつざいが来てくれるなんて、学食部にもいよいよ運が向いてきたね」


 うんうん、とリュシエラが満足げにうなずいて悪い顔で笑う。

 ティルティは、なんでそうなるんですか、とたんそくして、


「言っておきますけど、私は学食部の部員になったわけじゃありませんからね。私は生徒会からけんされてきたかん官ですから」

「わかってるわかってる。あ、夜営業が終わったらティルティちゃんのかんげい会やるからね」

「私の話、聞いてました!?」


 まったく聞く耳を持たないリュシエラをにらんで、ティルティはりちにツッコミを入れた。