地上に落下した天環のモジュールは、地上の技術水準を超えたテクノロジーの集合体だ。そんな落下物の所有権を巡って争いになるのは、それほどめずらしいことではない。
とはいえ、今回地上に落ちてきた廃棄モジュールは魔導弾頭によって焼き尽くされており、天人の遺産としての価値はもう残っていないはずだ。第七学区はもちろん、第二十六学区の生徒会も、それに気づかなかったとは思えない。
それなのに彼らは、生徒会の主戦力である特殊執行部隊や陸戦隊を動かした。そのことが妙に気になった。なにしろあの廃棄モジュールには、アナと〝暴食の悪魔〟が乗っていたのだ。その痕跡を彼らが探していたのだとしたら、かなり面倒なことになる。
「でも、あれは第二十六学区陸戦隊のようで、陸戦隊じゃなかったんです」
黙りこむ俺に気づかずに、リィカがぽつりと言葉を続ける。
「どういう意味だ?」
「その……私たちが遭遇した相手は死体だったんです。変な魔法を使う変なロン毛の変な男子に操られてたみたいで」
「変なロン毛?」
「はい。落下物の中の臭いを嗅いで、〝暴食〟の臭いで間違いないとか、〝暴食〟が第七学区にいるとか、わけのわからないことを言ってました」
「〝暴食〟……だと?」
驚きを表に出さないように、俺はどうにか内心の動揺を抑えこむ。
状況からして、偶然ではあり得ないだろう。死体を操る魔法を使う男は、廃棄モジュールに〝暴食の悪魔〟がいたことを間違いなく知っていたのだ。
「そのときはヒオウ先輩が撃退してくれたんですけど、それでも相手に逃げられてしまったので……もしかしたら、またやってくるかも……」
リィカの不安げな呟きを聞いて、俺はますます表情を渋くした。
逃げられた。つまり、ヒオウが交戦したにもかかわらず、仕留め損ねたということだ。
詳しい状況はわからないが、信じられないという気持ちが強い。ヒオウのかつての同僚である俺は、あの男の並はずれた戦闘能力をよく知っている。
「おい、犬コロ」
自分の肩にしがみついている黒犬に、俺は不機嫌な口調で呼びかけた。
『なんだ、小童?』
「どういうことだ? なんでおまえの存在が第二十六学区にバレている?」
『心当たりが多すぎてわからんな。特に可能性が高いのは、天人から情報が漏れているというパターンだが』
「なるほど。ありそうだな」
厄介だな、と俺は小さく舌打ちした。
通常、〝学園〟の生徒は天人と接触することが出来ないが、各学区の生徒会長だけは、例外的に天環との通信が許可されている。アナや〝暴食の悪魔〟の存在について、なんらかの情報が流れていてもおかしくはないわけだ。
俺が沈黙したせいで気まずくなったのか、リィカが、ずずっ、と火鍋の汁を啜った。そして、顔を真っ赤にして噎せ返る。
「うう……辛いです……」
「だから無理して食べるなって言ってるのに……」
涙まじりに咳きこむ彼女を、俺は呆れながら見下ろした。
そんな俺たちの様子に気づいて、ティルティが足早に近づいてくる。
「ちょっと、ハル! こんなところでなに女の子を泣かせてるのよ!?」
「俺が泣かせたわけじゃない」
どういう勘違いだ、と俺はうんざりしながら首を振った。
「じゃあどうして泣いてるのよ?」
「文句があるなら、この料理を作ったナイバル先輩に言え」
「ああ……」
カウンターの上の火鍋に気づいて、ティルティは納得したように息を吐いた。
そのティルティの制服の袖を、リィカが突然つかんで、ぐっと引き寄せる。
「うう、ティルティ先輩、なんでそんな服着てるんですか。学食部に入部したんですか。ハル先輩を連れ戻してくれるって約束したのに……ティルティ先輩の噓つきぃ。裏切り者ぉ」
「ま、待って……違うの、私は学食部に入部したわけじゃなくて……本当に違うから!」
ぐずぐずと洟をすすりながら、リィカが恨み言をぶちまける。
その声は、当然、店内にいたほかの女子生徒たちにも聞こえていた。俺を執行部隊に連れ戻すと言っておきながら、ちゃっかりと自分だけ学食部に入部した──そんな誤解を受けたティルティに、敵意に満ちた視線が突き刺さる。
誤解を解いてやりたい気持ちはあるが、こういう場面で口出しすると余計に話がこじれることを俺は経験的によく知っていた。それに今さら執行部隊に戻れといわれても困るのだ。
必死の言い訳を続けるティルティにリィカの相手を任せて、俺は静かにその場を離れる。
躑躅亭の昼営業が終わるまで、残り約三十分──
2
「つ……疲れた……」
学食部の部室に戻ってきたティルティが、ぐったりとソファに倒れこむ。
夜の部の営業が始まるまでの、束の間の休憩時間である。
学生食堂である躑躅亭の営業時間は、午前十一時から午後一時までの二時間と、午後四時から七時までの三時間。あくまでも部活という建前なので、営業時間を〝学園〟の昼休みと放課後に合わせているのだ。
もっとも〝学園〟の授業は、ほぼすべてが人工知能を教師にした自由学習なので、授業時間という概念にはほとんど意味がない。
そもそも高等部の学生には、必修の授業そのものが存在しない。委員会活動や部活を通じて〝学園〟を運営すること自体が、学習機会だと考えられているからだ。
「お疲れ様です、ティルティさん。よかったらコーヒーどうですか?」
「ありがとう。いただくわ」
ガラス製のデカンタを持ったアナが、マグカップにコーヒーを注いでティルティに手渡す。
ここ数日、アナはコーヒーに凝っているのだ。
マコットたちにコーヒーの淹れ方を教えてもらったのが嬉しくて仕方ないらしい。
しかしアナが淹れたコーヒーを口に含んだ途端に、ティルティが血相を変えて立ち上がる。
「……って、なにこれ!?」
「お、美味しくなかったですか?」
「美味しいわよ。美味しいけど、そうじゃなくて! なんでこのコーヒー、聖属性の魔力が籠もってるの!?」
「あ……」
表情を凍りつかせた獣耳の少女が、怯えたような視線を俺に向けてくる。
あれほど聖属性魔法を使うなと言われていたのに、うっかり聖水を使ってコーヒーを淹れた。そのことが俺にバレたせいで、怒られるのではないかと恐れているらしい。
「ち、違いますよ、ハルくん。わざとじゃないです。美味しく淹れようと思ったら、勝手に聖気がまぎれこんでしまっただけで……違うんです!」
アナがぶるぶると首を振りながら言い訳する。
その反応を見る限り、どうやら彼女も無自覚にやってしまったことらしい。
「たしかに聖属性の気配がするけど……普通の生徒には感知できないレベルだね。ティルティちゃんはよくこれに気づいたね」
ティルティのマグカップを横から奪い取ったリュシエラが、アナのコーヒーを一口啜って感心したように呟いた。
「それは……その……」
ティルティが少し困ったように言葉を濁す。自慢っぽく聞こえてしまうのを気にして、答えられずにいるらしい。
「こいつも聖属性魔法の適性持ちだからだろうな」
言いづらそうにしている本人の代わりに、俺がティルティを指さして言った。
「そうなんですか?」
アナが目を見開いてティルティに訊く。ティルティは小さく肩をすくめて、
「実際に使う機会はあまり多くないけどね。私は救護職や生産職ってわけではないし」
「そういえばティルティちゃんは、全属性の魔法が使えるんだっけ?」
「ええ。まあ、いちおう」
ティルティが控えめに肯定した。
属性魔法の適性がある生徒は〝学園〟全体の一割にも満たず、二属性以上を使える生徒はさらに貴重だ。その中ですべての魔法属性に適性を持つというティルティは、前代未聞のレアな体質の持ち主だといえる。
しかも彼女の場合、適性に恵まれただけでなく、魔力の総量自体もかなり多い。〝学園〟最強と呼ばれる俺やヒオウでも、単純な魔法の撃ち合いではおそらくティルティに敵わない。
「そんな逸材が来てくれるなんて、学食部にもいよいよ運が向いてきたね」
うんうん、とリュシエラが満足げにうなずいて悪い顔で笑う。
ティルティは、なんでそうなるんですか、と嘆息して、
「言っておきますけど、私は学食部の部員になったわけじゃありませんからね。私は生徒会から派遣されてきた監査官ですから」
「わかってるわかってる。あ、夜営業が終わったらティルティちゃんの歓迎会やるからね」
「私の話、聞いてました!?」
まったく聞く耳を持たないリュシエラを睨んで、ティルティは律儀にツッコミを入れた。