「だいたい、なんなんですか、この損益計算書!? 原価率高すぎじゃないですか!? 人件費を入れたら百パーセント超えてるんですけど!?」
「だから赤字だって報告してるじゃん。生徒会への上納金を払うのはちょっと無理かな」
「無理かな、じゃないですよ! コストを削減しましょう!」
ティルティは、机の上に広げた学食部の帳簿をバシバシと叩いて力説する。監査官である彼女は、休憩時間にもかかわらず、学食部の経営状態を真面目にチェックするつもりでいたらしい。
「うーん、削減する余地が残ってるかなあ……燃料代もカツカツだし、ハル・タカトーが来てくれたおかげで武器弾薬代はだいぶ節約できてるんだけど」
「学食の運営コストに武器弾薬代が入ってる時点でなにかがおかしいと思うんですけど!?」
のらりくらりと言い逃れする学食部部長を、ティルティが苛々と睨みつける。
「魔物肉の使用量を減らして、培養肉を使ったらどうですか?」
「ティルティちゃんは、学生食堂の料理を食べてどう思った?」
「え?」
リュシエラに唐突に訊き返されて、ティルティは戸惑ったように目を瞬いた。
気怠げに頰杖をつきながら、リュシエラはさらに質問を重ねる。
「培養肉であの味が出せるかな?」
「で、でも……〝学園〟の生徒は、今までみんな培養肉で満足してたじゃないですか……!」
「ううん。駄目なんだよ。四星全席を再現するためには、野生の魔物肉じゃなきゃ駄目なんだ」
リュシエラはそう言って小さく首を振った。どこか遠くを見つめるような彼女の瞳には、いつになく真剣な光が浮かんでいる。
「おい、犬コロ」
『なんだ、小童』
俺の呼びかけに黒犬が応えた。こいつはいつの間にか俺の肩を自分の定位置だと思いこんでいる節がある。
「四星全席というのはなんなんだ?」
『人間の三大欲求というのを知っているか?』
「食欲と性欲、あとは睡眠欲だったか?」
試すような態度で黒犬に訊かれて、俺は不機嫌な声で返事をする。
『うむ。その中で性欲と睡眠欲は、人類という種族の中だけで完結するな。人間同士で惚れた腫れたとやってるぶんには、ほかの生き物たちには関係のないことだ』
「まあそうだな」
俺は黒犬の主張を認めた。
厳密に言えば、異性の気を引くために動植物の素材を使って自分を飾り立てることくらいはするかもしれないが、それを性欲に含めるかどうかは微妙なところだ。
『然るに食欲だけは違う。人類は、自分たち以外の種を喰わねば生きてはいけぬ』
「それは人類に限った話じゃないだろう?」
『自分たちの食料を確保するために大地を耕し、獣を飼うのは人類だけだ。違うか?』
黒犬が挑発的な眼差しを俺に向けてくる。
『──それどころか人類は、積極的に他の生物に介入したな。草木や獣を人為的に交配させて自分たちに都合のいい品種を作り出し、さらには遺伝子操作や環境の改変すら躊躇わなかった。己の生命を維持するという範疇を超えて、ただ美味いものを腹一杯喰うためだけにな』
「なにが言いたい?」
無駄に回りくどい黒犬の説明に、俺はうんざりと息を吐いた。
そんな俺を見て、黒犬は冷ややかな笑みを浮かべる。
『まあ、そう急くな。実は旧人類には、食事の評価を星の数で表現する文化があってな。一ツ星は、その分野でも特に美味いとされている料理、二ツ星はきわめて美味であり遠回りをしてでも訪れる価値がある料理、とされていた』
「三ツ星はさらにその上か?」
『然様。それを味わうためだけに旅をする価値があるという、卓越した料理が三ツ星。当時の料理に対する最高の評価だ。それがどういう意味か、わかるか?』
黒犬の質問に俺はハッとする。三ツ星は、料理に対する最高の評価。だとすれば、それより上はないということになる。
「……四ツ星という評価は、存在しない?」
『そうだ。本来はこの世に存在しない、料理の限界を超えた料理──それを実現するために、旧世界の人類はなにをしたと思う?』
「食材そのものを作り出そうとしたのか? この世に存在しない新たな料理の材料を……?」
俺は背筋にぞくりとした寒気を感じた。
美食のために生物の品種改良を繰り返してきたのが、人類という種族だ。だとすれば、既存の食材の改良が限界を迎えたときに、新たな食材を創造することをためらうはずもない。
そうやって創り出された食材は、それからどうなったのか?
旧人類の文明が崩壊する前と後で、なにか変化はなかったか──?
「待て。だとしたら魔獣というのは──」
『気づいたか?』
くっくっと黒犬が嘲るように喉を鳴らした。
『そこの桃色頭の小娘の言葉は正しい。四星全席とやらが四ツ星の料理を網羅したメニューであるのなら、その材料は魔獣以外にはあり得ん。なぜなら魔獣とは、人類が新たな料理の材料として生み出した新たな生命体だからだ』
「そういう……ことか……」
俺は呆然と呟いた。
学食部の最終目的は四星全席の完成だ。
だから学食部は魔物の素材に固執せざるを得ない。
そして調理法が確立していない魔物素材を扱う以上、そこで提供される食事は自動的に如何物──ゲテモノ料理と呼ばれることになる。なるほど、すべて繫がっていたわけだ。
「うーん……学食部が魔獣肉にこだわる理由はわかったけど、でもそれって必要ある? 四星全席とやらを再現したからって、〝学園〟にメリットがあるとは思えないんだけど」
俺と黒犬の会話を聞いていたティルティが、突き放すような口調で反論する。
リュシエラは拗ねたように唇を尖らせて、
「学食部の存在意義を全否定するようなことを言うね、ティルティちゃん。美味しいものが食べられるというのは、人によっては充分、命を賭けるに値するメリットなんだよ」
「それはまあ、そうかもしれませんけど……」
「納得できないというのなら、きみにもわかるようなメリットを提示してあげようか」
「あるんですか? そんなものが?」
ティルティが、疑わしげな眼差しをリュシエラに向けた。
桃色髪の学食部部長は、当然、と言わんばかりに不敵に笑う。
「〝災厄〟──」
「え?」
「四星全席は、最悪の魔導兵器である〝災厄〟を封印する──その手段として、ある料理人が生み出したものだそうだよ」
「なに……!?」
俺は思わず腰を浮かせてリュシエラを見た。
黒犬──〝暴食の悪魔〟が、食事に並々ならぬ執着を持っていることは知っていた。やつが学食部や四星全席に興味を示したのも、単にその延長線上のことだと思っていた。
しかし四星全席そのものが〝災厄〟に関わっていたのだとすれば、話はまったく変わってくる。ただの偶然では片付けられない因縁を──あるいは何者かの作為を感じずにはいられない。
「今もこの地上のどこかに眠る〝災厄〟に対抗できる唯一の可能性。研究する価値があるとは思わないかい?」
リュシエラが俺を見返して、にやにやと意味ありげな微笑みを浮かべた。
俺は無言で彼女を睨む。
そんな俺の隣でアナは、「お腹がいっぱいだと眠くなりますもんね」などと合っているのか合っていないのかよくわからない感想を洩らすのだった。
3
「うう……美味しいです。こんな美味しいもの、初めて食べました……」
夜の営業時間を終えた直後の躑躅亭の店内で、アナが感動に声を震わせる。
テーブルの上に置かれているのは、大皿に盛り付けられた料理たちだ。
スープやサラダ、挽肉のパスタ、フライドポテトにサンドイッチ、ローストチキンやソーセージ──材料こそ魔物素材を使っているが、ありふれたパーティーメニューである。学食部の新入部員、もとい生徒会から派遣されてきた監査官であるティルティの歓迎会なのだ。
「納得いかないわ」
取り分けた料理を咀嚼しつつ、ティルティが不満を口にする。勝ち気な美貌がどことなくやつれて見えるのは、慣れない職場でホール係の仕事を一日中やらされたせいだろう。
「なにがだ?」
よっぽど無視しようかと思ったが、そんなことをすればティルティが激怒するのはわかりきっていたので、俺は仕方なく訊き返す。
ティルティは、フォークの先端で皿の上を突きつつ、不機嫌そうに唇を尖らせた。
「普通の食材を使って普通に調理すればこんなに美味しい料理が作れるのに、どうして店ではゲテモノ料理しか出さないのよ……?」
「ゲテモノじゃなくて、如何物料理と呼んでいたが」
「呼び名が違っても中身は同じでしょ」
そう言ってティルティは、深々と溜息を吐き出した。