聖女と暴食

第三章 オーガベアの火鍋 ③

「だいたい、なんなんですか、この損益計算書!? 原価率高すぎじゃないですか!? 人件費を入れたら百パーセントえてるんですけど!?」


「だから赤字だって報告してるじゃん。生徒会への上納金をはらうのはちょっと無理かな」

「無理かな、じゃないですよ! コストをさくげんしましょう!」


 ティルティは、机の上に広げた学食部のちよう簿をバシバシとたたいて力説する。かん官である彼女は、きゆうけい時間にもかかわらず、学食部の経営状態を真面目にチェックするつもりでいたらしい。


「うーん、さくげんする余地が残ってるかなあ……燃料代もカツカツだし、ハル・タカトーが来てくれたおかげで武器だんやく代はだいぶ節約できてるんだけど」

「学食の運営コストに武器だんやく代が入ってる時点でなにかがおかしいと思うんですけど!?」


 のらりくらりとのがれする学食部部長を、ティルティがいらいらにらみつける。


もの肉の使用量を減らして、ばいよう肉を使ったらどうですか?」

「ティルティちゃんは、学生食堂の料理を食べてどう思った?」

「え?」


 リュシエラにとうとつき返されて、ティルティはまどったように目をしばたいた。

 だるげにほおづえをつきながら、リュシエラはさらに質問を重ねる。


ばいよう肉であの味が出せるかな?」

「で、でも……〝学園〟の生徒は、今までみんなばいよう肉で満足してたじゃないですか……!」

「ううん。なんだよ。せいぜんせきを再現するためには、野生のもの肉じゃなきゃなんだ」


 リュシエラはそう言って小さく首をった。どこか遠くを見つめるような彼女のひとみには、いつになくしんけんな光がかんでいる。


「おい、犬コロ」

『なんだ、わつぱ


 俺の呼びかけに黒犬が応えた。こいつはいつの間にか俺のかたを自分の定位置だと思いこんでいる節がある。


せいぜんせきというのはなんなんだ?」

『人間の三大欲求というのを知っているか?』

「食欲と性欲、あとはすいみん欲だったか?」


 ためすような態度で黒犬にかれて、俺はげんな声で返事をする。


『うむ。その中で性欲とすいみん欲は、人類という種族の中だけで完結するな。人間同士でれたれたとやってるぶんには、ほかの生き物たちには関係のないことだ』

「まあそうだな」


 俺は黒犬の主張を認めた。

 厳密に言えば、異性の気を引くために動植物の素材を使って自分をかざてることくらいはするかもしれないが、それを性欲にふくめるかどうかはみようなところだ。


しかるに食欲だけはちがう。人類は、自分たち以外の種をわねば生きてはいけぬ』

「それは人類に限った話じゃないだろう?」

『自分たちの食料を確保するために大地を耕し、けものを飼うのは人類だけだ。ちがうか?』


 黒犬がちようはつ的なまなしを俺に向けてくる。


『──それどころか人類は、積極的に他の生物にかいにゆうしたな。草木やけものじん的に交配させて自分たちに都合のいい品種を作り出し、さらには遺伝子操作やかんきようの改変すら躊躇ためらわなかった。おのれの生命をするというはんちゆうえて、ただいものをはらいつぱいうためだけにな』

「なにが言いたい?」


 に回りくどい黒犬の説明に、俺はうんざりと息をいた。

 そんな俺を見て、黒犬は冷ややかなみをかべる。


『まあ、そうくな。実は旧人類には、食事の評価を星の数で表現する文化があってな。一ツ星は、その分野でも特にいとされている料理、二ツ星はきわめて美味であり遠回りをしてでもおとずれる価値がある料理、とされていた』

「三ツ星はさらにその上か?」

よう。それを味わうためだけに旅をする価値があるという、たくえつした料理が三ツ星。当時の料理に対する最高の評価だ。それがどういう意味か、わかるか?』


 黒犬の質問に俺はハッとする。三ツ星は、料理に対する最高の評価。だとすれば、それより上はないということになる。


「……四ツ星という評価は、存在しない?」

『そうだ。本来はこの世に存在しない、料理の限界をえた料理──それを実現するために、旧世界の人類はなにをしたと思う?』

「食材そのものを作り出そうとしたのか? この世に存在しない新たな料理の材料を……?」


 俺は背筋にぞくりとした寒気を感じた。


 美食のために生物の品種改良をかえしてきたのが、人類という種族だ。だとすれば、そんの食材の改良が限界をむかえたときに、新たな食材を創造することをためらうはずもない。


 そうやって創り出された食材は、それからどうなったのか?

 旧人類の文明がほうかいする前と後で、なにか変化はなかったか──?


「待て。だとしたらじゆうというのは──」

『気づいたか?』


 くっくっと黒犬があざけるようにのどを鳴らした。


『そこのももいろ頭のむすめの言葉は正しい。せいぜんせきとやらが四ツ星の料理をもうしたメニューであるのなら、その材料はじゆう以外にはあり得ん。なぜならじゆうとは、人類が新たな料理の材料として生み出した新たな生命体だからだ』

「そういう……ことか……」


 俺はぼうぜんつぶやいた。


 学食部の最終目的はせいぜんせきの完成だ。

 だから学食部はものの素材にしつせざるを得ない。


 そして調理法が確立していないもの素材をあつかう以上、そこで提供される食事は自動的に如何物いかもの──ゲテモノ料理と呼ばれることになる。なるほど、すべてつながっていたわけだ。


「うーん……学食部がじゆうにくにこだわる理由はわかったけど、でもそれって必要ある? せいぜんせきとやらを再現したからって、〝学園〟にメリットがあるとは思えないんだけど」


 俺と黒犬の会話を聞いていたティルティが、はなすような口調で反論する。

 リュシエラはねたようにくちびるとがらせて、


「学食部の存在意義を全否定するようなことを言うね、ティルティちゃん。しいものが食べられるというのは、人によってはじゆうぶん、命をけるにあたいするメリットなんだよ」

「それはまあ、そうかもしれませんけど……」

なつとくできないというのなら、きみにもわかるようなメリットを提示してあげようか」

「あるんですか? そんなものが?」


 ティルティが、疑わしげなまなしをリュシエラに向けた。

 ももいろがみの学食部部長は、当然、と言わんばかりに不敵に笑う。


「〝さいやく〟──」

「え?」

せいぜんせきは、最悪のどう兵器である〝さいやく〟をふういんする──その手段として、ある料理人が生み出したものだそうだよ」

「なに……!?」


 俺は思わずこしかせてリュシエラを見た。


 黒犬──〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟が、食事に並々ならぬしゆうちやくを持っていることは知っていた。やつが学食部やせいぜんせきに興味を示したのも、単にその延長線上のことだと思っていた。


 しかしせいぜんせきそのものが〝さいやく〟に関わっていたのだとすれば、話はまったく変わってくる。ただのぐうぜんでは片付けられないいんねんを──あるいは何者かのさくを感じずにはいられない。


「今もこの地上のどこかにねむる〝さいやく〟にたいこうできるゆいいつの可能性。研究する価値があるとは思わないかい?」


 リュシエラが俺を見返して、にやにやと意味ありげなほほみをかべた。

 俺は無言で彼女をにらむ。


 そんな俺のとなりでアナは、「おなかがいっぱいだとねむくなりますもんね」などと合っているのか合っていないのかよくわからない感想をらすのだった。


3


「うう……しいです。こんなしいもの、初めて食べました……」


 夜の営業時間を終えた直後の躑躅つつじていの店内で、アナが感動に声をふるわせる。


 テーブルの上に置かれているのは、大皿に盛り付けられた料理たちだ。

 スープやサラダ、ひきにくのパスタ、フライドポテトにサンドイッチ、ローストチキンやソーセージ──材料こそもの素材を使っているが、ありふれたパーティーメニューである。学食部の新入部員、もとい生徒会からけんされてきたかん官であるティルティのかんげい会なのだ。


なつとくいかないわ」


 取り分けた料理をしやくしつつ、ティルティが不満を口にする。勝ち気なぼうがどことなくやつれて見えるのは、慣れない職場でホール係の仕事を一日中やらされたせいだろう。


「なにがだ?」


 よっぽど無視しようかと思ったが、そんなことをすればティルティがげきするのはわかりきっていたので、俺は仕方なくき返す。


 ティルティは、フォークのせんたんで皿の上をつつきつつ、げんそうにくちびるとがらせた。


つうの食材を使ってつうに調理すればこんなにしい料理が作れるのに、どうして店ではゲテモノ料理しか出さないのよ……?」

「ゲテモノじゃなくて、如何物いかもの料理と呼んでいたが」

「呼び名がちがっても中身は同じでしょ」


 そう言ってティルティは、深々とためいきした。