「学食部が四星全席とやらを研究する理由はわかったけど、それだってどこまで意味があるのかわからない。仮に〝災厄〟が今も実在するとして、そんなものを料理なんかでどうやって制御するの?」
「普通に餌付けするってことじゃないのか?」
「馬鹿なことを言わないで。犬や猫じゃあるまいし」
いや、犬だが──という言葉が喉まで出かかったが、俺はどうにかそれを自制した。
黒犬のゼブは俺の隣の席で、ガツガツと骨付き肉に齧り付いている。
旧人類の魔導兵器にあるまじき意地汚さである。
「そのあたりはどうなんだ、犬コロ?」
ティルティに聞こえないように声を潜めて、俺は黒犬に問いかける。
『さあな。案外、美味いものを喰ったら満足して成仏するかもしれんぞ?』
黒犬は他人事のように素っ気なく言った。
そんな単純な話とは思えないが、その言葉を否定する根拠は俺にもない。
「おまえに四星全席を喰わせれば、アナを解放してやれるのか?」
『我とアナセマの契約が果たされるなら、そうなるだろうな』
ふむ、と少し考えて黒犬が答える。その内容を俺は少し意外に思う。
「契約……これまでおまえが味わったことのない美味いものを喰わせるというあれか?」
『四星全席とやらがもし本当に完成したなら、その条件を満たしているとは思わんか?』
そうかもしれない、と俺は曖昧にうなずいた。
リュシエラは学食部の活動目的を、四星全席の「再現」ではなく「完成」だと言っていた。
つまり四星全席は、旧世界においても完成してはいなかったのだ。
だとすれば〝暴食の悪魔〟にとっての、「味わったことのない美味いもの」という条件を満たしていることになる。もちろん四星全席が、本当に美味ければの話だが。
「ハルくん、こちらのお肉も美味しいですよ。デスサイズエルクのシンタマをローストしたものだそうです」
深刻な顔で考えこむ俺を気遣ったのか、アナが山盛りの肉を皿に載せて運んでくる。
俺は溜息をついて思考を切り替えた。ここでいくら考えていても、答えが出る問題ではないと気づいたのだ。それにアナが口にした、謎めいた単語も気にかかる。
「シンタマ?」
「モモ肉の一部ですね。赤身肉ですけど柔らかくて、味が濃厚だといわれています」
「……詳しいわね?」
ティルティが怪訝な表情をアナに向ける。
学食部に入部してわずか一カ月足らずのアナが、食肉についての専門的な知識を持っていることを不思議に思ったのだろう。
「ていうか、デスサイズエルクの肉って高級品じゃないの? 学食部が狩ったの?」
「はい。ほかの部にお肉を売った残りです」
あっけらかんとした口調でアナが答える。それを聞いたティルティは首を傾げて、
「ほかの部にお肉を売った? 学食部の店に出したわけじゃないの?」
「角と内臓は食材に使ったそうです」
「つ、角?」
予想外の情報にティルティは目を丸くする。
「はい。鹿の角は漢方薬としても使われてますから。冷え性の改善やアンチエイジングに効果があるんですよ」
「それはそうなのかもしれないけど……なんで角!?」
普通にお肉を食べなさいよ、とティルティが憤る。
そう言いたくなる気持ちはよくわかる。
実際にアナが運んできた鹿肉のシンタマは、しっとりとした食感で文句なしに美味かった。俺の隣にいる黒犬も、ガツガツと搔きこむように皿にかぶりついている。
「きみは食べないのか?」
「いえ……いただいてますよ」
パーティー会場と化した店内を見回しながら、アナはふわりと柔らかく微笑んだ。
「ふふっ……こんな大勢の人たちと一緒にご飯を食べたのは初めてなので楽しいです」
「初めて? 第三学区ではパーティーをしたりしないの?」
ティルティが驚いたように訊き返す。
「え、あ……はい! そ、そうですね、わたしがいた施設ではそうでした」
己の失言に気づいたアナは、視線を彷徨わせながらギクシャクとうなずいた。
アナは表向き、第三学区からの亡命者ということになっている。そして生徒会の一員であるティルティが、第七学区の仮想敵区である第三学区の情報を聞き出そうとするのは当然のことだ。
それでなくても武装監視委員の彼女は、第三学区を含めた外の学区の内情に詳しい。そんなティルティに追求されて、アナがボロを出さずに誤魔化せるとは思えない。
「あなたがいた施設って……」
すっと目つきを鋭くしながら、ティルティは質問を続けようとする。
しかし彼女がその問いかけを、最後まで口にすることはできなかった。マコットとミネオラの双子姉妹が、その場に乱入してきたからだ。
「いえーい、オクトローパーちゃん、食べてる?」
「……食べてる?」
「はい!? オクトローパーちゃんって私のこと!?」
さすがのティルティも、そのあだ名は予想していなかったらしい。羞恥と怒りで、彼女の頰が紅潮する。
しかしティルティの怒気をまともに浴びても、マコットたちは微動だにしなかった。
「そうだよ。今日はオクトローパーちゃんの歓迎会なんだからさ、ハル・タカトーにばっかりくっついてないで、私たちともお話ししようよ」
「ハ……ハルは関係ないでしょ! そもそも本当に話をしたいんだったら、相手の名前くらいはきちんと覚えなさいよ!」
「いや……言いにくいんだよ、オクトローパーちゃんの本名。ティルティルだっけ?」
マコットが本当に困ったように眉尻を下げた。
ティルティは不本意そうに頰を膨らませて、
「ティルティよ。ティルティ・カルナイム」
「言いにくい。テルテルでいい?」
ミネオラが容赦なく言い放つ。
ティルティは文句を言おうと口を開きかけたが、結局は反論を諦めた。自分でも本心では言いにくい名前だと認めていたらしい。
「もういいわよ。ティルティルでもテルテルでも好きに呼べば?」
「そうさせてもらうね。それで訊きたいことあるんだけど」
「……テルテルはハル・タカトーとどういう関係?」
オレンジ髪と青髪の双子姉妹は、迷いなく俺たちのプライベートな情報へと踏みこんできた。
あまりにも堂々と訊かれたせいか、ティルティは怒ることもできずに素直に答えてしまう。
「どういう関係といわれても、幼なじみだけど。地上に降りてきたときの班が同じだったのよ」
「ふーん、それだけ? ハル・タカトーはテルテルのことをどう思ってるの?」
マコットが質問の矛先を俺へと向ける。
ぶふっ、とティルティが口に含んでいた飲み物を噴き出した。それをまともに浴びたのは黒犬のゼブだが、俺は構わず質問に答える。
「そうだな。ティルティにはずっと世話になっている」
「え?」
ティルティが驚いたような表情を浮かべるが、彼女が驚くことのほうが俺には意外だ。
「魔法関係でいくつかアドバイスをもらったし、雷魔法の練習にも付き合ってもらったしな」
「へえ……」
マコットが感心したような声を出す。
生徒会所属のティルティが優秀だというのはマコットたちも理解していたのだろうが、俺が頼りにするレベルとは思っていなかったのかもしれない。
「それにティルティの才能は正直に言って羨ましい。すべての属性魔法に適性があるという時点で、戦術のバリエーションが格段に増えるということだからな」
「いや、うちらが聞きたいのはそういうことじゃなくてさ」
「テルテルを見て綺麗とか付き合いたいとか……そういう気持ちはない?」
淡々と説明を続ける俺を見て、双子姉妹はなぜか困ったような表情を浮かべている。
彼女たちの質問の意図を考えて、俺は真面目に答えることにした。本人も目の前にいることだし、ちょうどいい機会だと思ったのだ。
「そうだな。ティルティは少し綺麗過ぎるな」
「な、なに言い出すのよ、いきなり」
ボッと音が出そうなほどの勢いでティルティが赤面した。
しかしそれは彼女の勘違いだ。綺麗というのは、ここでは褒め言葉ではない。
「あまりにも教本通りというか、戦闘のパターンが定型化されすぎてるんだ。真面目すぎるティルティの戦い方は裏の読み合いに弱いし、敵の想定外の動きに対する咄嗟の対応力にも難がある。それを克服するための練習ならいつでも付き合うぞ」
俺の真剣なアドバイスを聞いて、なぜかティルティは遠くを見るような虚ろな瞳になった。
マコットとミネオラも、なんとも言えない表情を浮かべている。
「ねえ、テルテル。ハル・タカトーっていつもこんな感じなの?」
「まあね……」
「なるほど」
オレンジ髪と青髪の双子姉妹が、やけに同情的な眼差しをティルティに向ける。
ティルティは落ちこんでいるというよりも放心しているという雰囲気だ。彼女のためを思って助言したつもりだが、少し言い過ぎてしまったかもしれない、と俺は反省した。
こんなときにヒオウがいれば、上手く取りなしてくれるのだが、と俺はこの場にいない友人のことを思い出す。