「私のことより、あなたはどうなの?」
これ以上、質問攻めにされてはたまらないと考えたのか、ティルティがアナに話題を振った。
「え? わたしですか?」
肉を口いっぱいに頰張っていたアナが、戸惑ったようにティルティを見返す。
「あなたとハルはどういう関係? そもそもあなたたちはどこで知り合ったの?」
「そ、それはですね……」
追い詰められたアナが、縋るような視線を俺に向けてきた。
さすがに〝災厄〟の契約者だの使い魔だのという言葉を口にしない程度の分別は彼女にもあったらしい。
「犬だ」
俺は重々しい口調で説明する。
ここは下手に噓をつくよりも、出来る限り真実に沿った形で核心の部分だけ隠すのが得策なのだろう。
「犬?」
ティルティと双子姉妹の声が重なった。
彼女たちの視線は、もちろん俺の隣の黒犬に向く。
「執行部隊の守秘義務があるので詳しいことは言えないが、ある任務で俺が命に関わるような危機に陥ったことがあってな。そのときに、そこの犬コロに助けられた」
「そうなの?」
ティルティが半信半疑という態度で訊く。
おそらく彼女は、俺が落下物の調査中に死にかけたことを知っているはずだ。
それだけに、普通なら信じられない俺の突飛な発言も否定できなかったのだろう。
『うむ、事実だ。我は犬ではなく、ケルベロスだがな』
黒犬のゼブが傲然と答える。
実際、俺とアナを魔導弾頭の直撃から救ったのは〝暴食の悪魔〟の力なのだから、こいつの言葉は噓ではないのだ。
「へー……そういうことだったんだ。だから、ハル・タカトーとゼブくんは仲良しなんだね」
「は?」
マコットの何気ない感想に、俺は頰を引き攣らせた。
なにをどうしたら俺とこの黒犬が仲良しに見えるのだ、と疑問に思う。
しかし命を救われたと言ってしまった以上、俺はマコットの言葉を否定できない。苛立つ俺の隣では、黒犬がクククと忍び笑いを洩らしている。
「ふーん、それで、そのときの借りを返すために、アナさんの世話を焼いてるわけ?」
ティルティが、ジトッとした目つきで俺を見た。
彼女は黒犬をアナの使い魔だと思っているのだ。第三学区出身の生徒なら使い魔を連れていてもおかしくないし、その理屈でいえば、使い魔の主人であるアナは、俺の命の恩人ということになる。
「世話を焼いているつもりはないが」
わざわざティルティの誤解を解くつもりはないが、いちおうそこだけは訂正しておく。
俺はアナの世話を焼いているのではなく、アナがボロを出さないように監視しているだけなのだ。
「じゃあ、どうして生徒会を辞めて学食部なんかに移籍したのよ?」
ティルティが納得できないというふうに俺を問い詰める。
その発言に反応したのは、隣のテーブルにいたほかの学食部員たちだった。
「おうおう、その言い方は聞き捨てならねえな」
料理長であるラフテオ・ナイバルが、テーブルを軋ませながら立ち上がる。
「学食部なんかってのはどういう意味だ? 監査官だかなんだか知らねえが、生徒会の人間ってのは、そうやって俺たちを見下せるほど偉いのか?」
「べつに見下してるわけじゃないけど、この男はハル・タカトーなのよ。生徒会に戻ったほうが、第七学区のためにも本人のためにもいいに決まってるじゃない」
ティルティも立ち上がってラフテオを正面から睨みつけた。
ラフテオの殺気とティルティの魔力が、二人の間の大気をビリビリと震わせる。
「おやおや。第七学区のためというのはいいとして、どうして生徒会に戻るのがハル・タカトーのためになると言い切れるのかな?」
ティルティとラフテオの睨み合いに割りこんだのは、学食部の部長であるリュシエラだった。
学食部を見下すようなティルティの発言にも、彼女は表情を変えていない。ただ愉快そうに笑っているだけだ。
「それは、だって、生徒会執行部員のほうが支給されるGPAが多いし……」
「GPAが多いとなにがいいんだい?」
リュシエラの問いかけに、ティルティは、う、と一瞬だけ怯んだ。
ティルティにとって〝学園〟の生徒がGPAを稼ぐのは当然のことで、それ以上の意味を深く考えたことはなかったのだろう。
「つ、使えるGPAが多ければ本人の生活水準も上がるし、卒業して天環に戻ったときの待遇が良くなるわ」
「そうか。だったらハル・タカトーは、やっぱり学食部で活動するべきだね」
リュシエラはクスクスと勝ち誇ったように笑う。
ティルティは見るからにムッとして、
「なんでそうなるんですか!?」
「〝学園〟の校則法典を読まなかったのかい? 〝災厄〟の支配や封印を成し遂げた場合に得られるGPAは一兆だよ。学食部全員で割っても一人頭十億ポイントは堅いね」
「じゅ……十億……!?」
ティルティは呆然と目を見開いて絶句した。
その情報は俺も初耳だ。
生徒会執行部員に与えられるGPAは、平均すれば月に八十万ほど。それでも第七学区ではぶっちぎりの高給取りである。
生徒会長であるユミリ・アトタイルですら、保有ポイントはせいぜい二千万といったところだろう。十億ポイントという褒賞は、文字どおり桁外れだといえる。四星全席の完成には、それほどの見返りが約束されているのだ。
「そ……そうやってハルのことも誑かしたんですか?」
動揺を隠しきれないティルティが、弱々しい口調で言い返した。
「学食部に移籍するというのは、もともとハル・タカトーの希望だったんだけどね……」
リュシエラが苦笑まじりに言い訳する。
しかし意固地になったティルティは、信用できない、というふうに首を振り、
「とにかく私は、ハルを生徒会に連れ戻しますからね!」
「連れ戻すもなにも、おまえも今は学食部に出向中だろ? 学食部の経営状態を改善しないと、生徒会には戻れないんじゃないのか?」
俺はティルティに淡々と指摘する。
ティルティは、ぐぐ、と歯を食いしばりながら肩を震わせて、目の前の皿に盛られていた魔物肉に勢いよくフォークを突き刺した。
「うう……わかってるわよ! やってやるわ! この私が監査官になったからには、四星全席だろうがなんだろうがサクッと完成させて、学食部をすぐに黒字に……いえ、第七学区トップの部活にしてみせるから!」
「おー……テルテル、すごーい」
「頑張れー……」
双子姉妹が無責任に煽り立てる中、やけくそ気味に肉に喰らいつくティルティ。
よくわからない流れだが、結果的にティルティは学食部のために前向きに働くつもりになったらしい。だとすれば彼女の歓迎会は成功したということになるのだろう。
「ティルティさん、おかわりをどうぞ」
やけ喰いを続けるティルティの前に、アナが新たな魔物肉を運んでくる。
楽しそうな彼女たちの姿を見て、まあいいか、と俺は肩をすくめるのだった。
4
その男は、第七学区の〝港〟近くの屋台街を一人で歩いていた。
不健康そうに痩せた長髪の男子生徒だ。
制服代わりのタクティカルジャケットが薄汚れているのは、校外から戻ってきた直後の生徒であれば、それほど珍しいことではない。しかし全身が酷い火傷に覆われ、包帯の下の傷口から腐臭が漂っているのは、明らかに異様だった。
「……〝暴食〟……どこに……どこにいるのですか……」
まるで呪詛のような独り言が、男の口からボソボソと洩れる。
しかし男の問いかけに、答える者はどこにもいない。
時刻はすでに夜九時を過ぎて、営業時間の長い屋台系の部活も、そのほとんどが閉店の準備を始めていた。
そんな中、かろうじて営業中だったキッチンカーに、彼はふらふらと近づいていく。
チュロスを扱っている店である。
「寄越せ」
男は乱暴な口調で言った。嗄れた聞き取りにくい声である。
「え……あ、一本で三GPAですけど、売れ残りなので半額でどうですか?」
キッチンカーの女子店員は、愛想よく笑って男に訊いた。
しかし男はそれを無視して、カウンターの上にあったチュロスを強引につかみ取る。
そして勢いよく齧りつき、半分ほど吞みこんだところで吐き捨てるように言い放った。
「不味い」
「は!?」
女子店員の表情が引き攣った。
金も払わずに商品を喰い荒らした上に、味にまでケチをつけられたのだ。店員として許せる状況ではない。
「なにそれ!? チュロス研究部に喧嘩売ってるの!?」
「寄越せ。そっちもだ」
「ちょっ……なにやってるのよ!?」
キッチンカーのショーケースを叩き割り、男が在庫のチュロスをまとめて奪う。
この時点で、店員は男を完全に敵だと判断した。故に即座に攻撃に転じる。
第七学区では、生徒の広範な自衛権が認められている。商業系の部活動だからといって、戦闘系のスキルを持っていないとは限らないのだ。