「あなた、第七学区の生徒じゃないわね! 観光客だと思って人が下手に出てれば、なんなのその態度!」
女子店員が使ったのは、シンプルな地属性の拘束魔法【茨蔓】だった。
道路の敷石に含まれるケイ素からガラス繊維の蔓草を生成し、男の腕を搦め捕ろうとしたのだ。
【茨蔓】は殺傷力のない魔法だが、拘束された人間は強烈な締め付けによってかなりの苦痛を味わうことになる。喰い逃げを試みた犯人には相応しい攻撃だ。
しかし魔法が発動した直後、悲鳴を上げたのは女子店員のほうだった。
蔓草に絡みつかれた痩身の男の左腕が、枯れ木が折れるような音とともに地面に落ちたからだ。
「ひっ……!」
男が落とした左腕は、炭化してほとんど原形を留めていなかった。
左腕を失った男の肩から、薄汚れたタクティカルジャケットがずり落ちる。
その下から現れたのは、ミイラのように干涸らびた肉体だ。
「おい、なにがあった!?」
「なんだ、こいつは!?」
キッチンカーの前の騒動に気づいて、近くの屋台の店員たちが駆け寄ってくる。
痩身の男の異様な姿に気づいて、すぐに彼らも攻撃魔法を発動できるように身構えた。
学区外から侵入してきた来訪者。それも喰い逃げの現行犯だ。店舗系の部活の関係者にとっては許しがたい敵である。騒動に気づいた治安委員たちもすぐに駆けつけてくるだろう。
しかし、追い詰められているはずの痩身の男は表情を変えない。行く手を塞ぐ店員たちを鬱陶しげに見回して、汚れた包帯にまみれた右手を伸ばす。
そして男の全身から放たれた膨大な魔力に、屋台の店員たちは絶句した。
灼熱の炎の奔流が第七学区の大通りに吹き荒れたのは、その直後のことだった。
5
喉の奥からこみ上げてくる不快な感覚をどうにか抑えこみ、ティルティは下着姿のまま、ぐったりと床へと座りこんだ。学生食堂の店舗内にある部員用の更衣室だ。
謎の盛り上がりを見せたティルティ自身の歓迎会を終えて、帰宅の準備を始めたところで、猛烈な吐き気に襲われたのだ。
「うう……気分悪い……さすがに食べ過ぎたわ……お腹痛い……」
「大丈夫ですか、ティルティさん。治癒魔法、要りますか?」
苦しげに息を吐くティルティの顔を、アナが心配そうにのぞきこんでくる。
ティルティが食べた料理の大半を運んできたのが彼女だったので、責任を感じているのだろう。
「食べ過ぎに治癒魔法は効かないでしょ」
「そ、そうですね……」
ティルティに冷静に諭されて、獣耳の少女がシュンと肩を落とす。
その端整な横顔にティルティは見蕩れた。
初対面の時からずっと感じていたことだが、間近で見ると本当に綺麗な少女である。
おまけに想像していたよりも胸がでかかった。
服を着ていても充分に目立っていたのに、脱ぐとさらに凄いタイプだったらしい。
「テルテル、大丈夫? 帰れそう?」
「胃薬、使う?」
オレンジ髪と青髪の双子姉妹も、ティルティに声をかけてくる。
彼女たちのほうは予想どおりの小柄でフラットな幼児体型だ。
しかし無駄な脂肪のない引き締まった腹筋を見るに、想像以上に鍛えていることがわかる。
自ら魔物を狩る学食部の一員だけあって、この双子もそれなりの戦闘能力を持っているのだろう。
「平気よ、これくらい。ちょっと休めば……」
渡された胃薬をありがたくいただきつつ、ティルティはふらふらと立ち上がった。
それにしてもアナといい双子姉妹といい、やけ喰いしたティルティと同じくらいの量を食べていたはずなのに、腹回りがスリムなままなのが納得いかない。ぽっこりと下腹が膨れたティルティとはまったく対照的だ。
いったいどこに入っているのか不思議である。なんらかの固有能力なのかもしれないとすら思う。
「だったら学食部の寮に泊まっていきませんか? わたしの部屋のベッドが余っているので」
「そうだね。テルテルも学食部に入部したんだし、こっちに引っ越してくるんでしょ?」
「私、べつに生徒会の寮を追い出されたわけじゃないんだけど」
アナとマコットに誘われて、ティルティは少し困ったように答えた。
ティルティは監査官として学食部に出向しているだけで、生徒会を首になったわけではないのだ。
その状況で生活拠点まで移してしまうと、学食部との癒着を疑われかねない。が、
「ハル・タカトーも同じ寮」
「そ、そうね……ハルの監視は必要かもね」
ミネオラのさりげない呟きを聞いて、ティルティはあっさりと前言を撤回した。
そもそもティルティに与えられた真の任務は、ハルを生徒会執行部に復帰させることなのだ。
それを思えば、ハルと接触する機会は少しでも多いほうがいい。生徒会長も文句は言わないはずである。
その任務を果たす上で最大の障害となるのは、やはりアナの存在だろう。
本人は否定していたが、ハルが過保護なまでにアナの世話を焼いているのは間違いない。
もっとも彼がそうする気持ちは、ティルティにもなんとなく理解できる。
端的に言って、アナという少女は危なっかしくて仕方ないのである。
それは食べ過ぎで苦しむティルティに、躊躇なく治癒魔法を使おうとしたことからも明らかだ。
それに彼女の聖属性魔法の強度も異常だった。
コーヒーを淹れようとしただけで、無意識に聖気が紛れこむなど聞いたこともない。
おそらく彼女の聖属性魔法の適性値は、〝白の聖女〟と呼ばれる第四学区の生徒会長にも匹敵するはずだ。
それほどの能力を持つ彼女が、儀式魔術の生贄に選ばれかけたという話は正直信じられないが、第三学区ならそれをやりかねないというのもよくわかる。
いっそのことアナの存在は会長に報告して、生徒会で彼女を保護するべきではないか、とティルティは考える。それならハルが学食部に留まる理由もなくなる。
学食部には、部員を引き抜くことへの詫びが必要になるだろうが、それは赤字の補塡などの金銭的な見返りで充分だろう。悪い取り引きではないはずだ。
さっそく明日にでも生徒会長に相談してみよう、とティルティは密かに決意を固めてアナを見た。そのときに、着替え中だったアナの胸元の不思議な輝きがふと目に入る。
「ねえ、アナ……あなたのその胸の模様って……なに?」
「これですか?」
清楚なパステルブルーのブラに包まれたアナの胸の中央に、光の加減でキラキラと輝く線が浮かび上がる。電子回路を思わせる、幾何学的な美しい模様だ。
単なる下着の跡かと思ったが、それにしては場所が不自然である。
「タトゥー……じゃないわね、魔法陣?」
「はい。これはその……院にいたときに、ちょっと……」
アナがそう言ってそっと視線を逸らす。訊いてはいけないことを訊いてしまったような気がして、ティルティはあわあわと両手を振った。
「ごめんなさい。言いたくなかったら無理には聞かないから」
「あ、大丈夫ですよ。隠しているわけじゃないので。これのことはハルくんも知ってますし」
「は!?」
ティルティは目を剝いて勢いよく跳ね起きた。
「どういうこと!? どうしてハルがあなたの胸の模様を知ってるわけ!?」
「え……と……それは、その……ティルティさんも触ります?」
「私も……って、ハルも触ったの!?」
冷や汗を流すアナの胸元へと、ティルティは思わず手を伸ばした。
そして掌から伝わってくるアナの胸の感触に、たまらず驚きの声を洩らす。
ひんやりとした人肌の温もり。肌に吸い付くようなしっとりとした手触り。ティルティの指を押し返すような強い張りと弾力があって、それでいてどこまでも沈みこむほどに柔らかい。想像を遥かに超える気持ちよさだ。
あのハルがこれに触れたというのか。
そんな衝撃的な体験をしておいて、平静を保てる男子など存在するのだろうか。同性であるティルティですら、気を抜くと理性が蒸発してしまいそうだ。
アナの胸に触れたまま、ティルティの頭の中は真っ白になり、そんなティルティを現実に引き戻したのは、同じ部屋にいた双子姉妹の声だった。
「あ! テルテルがアナを襲ってる!」
「無理やり胸を触ろうとするのは、女同士でも犯罪……」
「襲ってないし、無理やり触ったわけじゃない!」
危うく性犯罪者認定されそうになったティルティが、慌ててアナの胸から手を離す。
その瞬間、アナはびくりと背中を震わせ、ひどく切なげな吐息を洩らした。