「あっ……」
「へ、変な声を出さないで! 誤解されるでしょ!?」
「「テルテル……やっぱり……」」
「違うから!」
双子姉妹の疑惑の視線を浴びて、ティルティが声を張り上げる。
アナは下着姿のまま、自分の胸元を両手で抱きしめて、
「す、すみません……でも身体が……熱くて……」
「なんの話!?」
「ティルティさんは感じませんか?」
「だからなんの話!? あなた、なにを言って──」
アナに真剣な瞳で見つめられて、ティルティは冷静さを取り戻した。
周囲を漂っていた異様な気配に、そのときになってようやく気づく。肌の表面に纏わりつく静電気のような不快な感覚だ。
大気中の魔力が、なにか強い力に共振している。大規模な魔法の前兆だ。
「これって、まさか……攻撃魔法……!?」
ティルティは愕然としながら、窓の外へと目を向ける。
その直後、眩い深紅の輝きが夜空を染めた。一瞬遅れて地面が震え、吹きつけてきた爆風が学食部の建物の窓を激しく揺らす。
「なによこれ……」
ティルティは掠れた声で呆然と呟いた。
轟音が断続的に何度も鳴り響き、そのたびに夜空に黒煙と火柱が噴き上がる。
「爆発、ですね」
アナがぽつりと呟いた。
まるでその言葉を待ちわびていたかのように、砲撃のような凄まじい爆風が、第七学区の市街地を駆け抜けたのだった。
6
「──攻撃魔法か。かなりの規模だな」
紅く染まった夜空を見上げて、俺は淡々と呟いた。
魔法が使われたのは、躑躅亭の建物から二、三百メートルほど離れた第七学区の大通り。〝港〟に近い地区である。
危険を感じるほどではなかったが、それでもかなり激しく建物が揺れた。
魔法の爆心地付近では、相当な被害が出ているはずだ。
料理長のラフテオを含めた学食部の調理スタッフは、「ふざけた真似しやがって!」と憤りながら慌てて食材倉庫のほうへと走っていった。
熟成中の魔物肉や自家製チーズに煤煙などの影響が出ないように対策するつもりなのだ。
「ハルくん! 無事ですか!?」
更衣室から飛び出してきたアナが、俺に気づいて駆け寄ってくる。
着替えの途中だったのか、制服のリボンやケープを着け忘れたままだ。
それでも下着姿で出てこなかっただけ、彼女にしてはよくやったほうだといえるだろう。
「大丈夫だ。さすがにこの距離で俺が怪我をするようなことはないだろ」
めずらしく心配そうにしているアナを、俺は訝るように見返した。しかしアナは首を振る。
「そうですけど、違うんです。これは普通の火事じゃないんです」
「魔法攻撃ということが言いたいのか?」
「いえ、その、魔法攻撃は魔法攻撃なんですけど……」
アナが困ったように言い淀む。
傍から見ていると間抜けな会話に聞こえるが、俺にはアナが不安を感じている理由がわかった。
今回の魔法攻撃については、たしかに不可解な部分がある。これだけの規模の爆発が起きているにもかかわらず、実際に魔法が発動するまで俺には魔力の動きが感知できなかったのだ。
つまりこの爆発を引き起こしたのは単純な火属性魔法ではなく、なんらかの固有能力が使われた可能性がある、ということか──
「行くわよ、ハル!」
少し遅れて更衣室から出てきたティルティが、真顔で俺に呼びかけた。
彼女が握っているのは魔法銀と水晶で造られた指揮棒。文官用の魔法発動媒体である。
「行く? どこに?」
「どこにって、街中で大規模な攻撃魔法が使われたのよ! 犯人をこのままほっとく気!?」
「犯人を捕まえるのは生徒会執行部の仕事だろ?」
「そうよ! だから、ハルが──」
そこまで言ったところでティルティは、俺がすでに生徒会執行部員ではないことを思い出したらしい。憤慨したように肩を震わせて、キッと俺を睨みつけてくる。
「なんでハルが執行部員じゃないのよ!?」
「学食部に移籍したからだが……」
八つ当たり気味のティルティの言葉を、俺は冷静に受け流した。
学区内の治安維持を任されているのは生徒会執行部であり、実際に行動するのは、生徒会の下部組織である治安委員会だ。生徒会を辞めた俺が事件の現場に踏みこめば、逆に公務執行妨害にもなりかねない。
「とはいえ、この火災を放置しておくわけにもいかないな」
俺は溜息をつきながら、夜空を背景に燃え盛る炎へと目を向けた。
爆心地から離れているとはいえ、火の燃え広がる速度が思ったよりも速い。
このまま延焼範囲が広がると、学食部の店舗も無傷では済まない可能性が出てくる。
「それに現行犯なら、生徒会とは無関係な一般生徒にも逮捕権がある」
「……ハル!」
俺の呟きの意味を理解して、ティルティがハッと顔を上げる。
第七学区は俺の所属先というだけでなく、生活の拠点でもあるのだ。
そんなところで大規模な魔法攻撃を行うような人間を放置しておくわけにはいかない。生徒会の執行部員がどうのこうのという以前の問題だ。
「わたしも準備できました!」
タクティカルジャケットに袖を通して爆心地のほうへと歩きだそうとした俺に、なぜか黒犬を抱きかかえたアナがついてくる。俺はその場で足を止め、獣耳の少女を見下ろした。
「準備ってなんだ? きみも一緒に来るつもりなのか?」
「え? わたしを置いていくつもりだったんですか?」
アナが目を大きくして俺を見る。彼女が俺に同行できると確信する根拠がわからない。
「まさか、聖属性魔法であの火をどうにかしようと思ってるわけじゃないだろうな?」
俺は疑惑の眼差しで彼女を睨んで訊いた。
「え? ち、違います……よ?」
アナがぎこちなく視線を泳がせる。
常識的に考えれば、聖属性魔法では火災を防げない。
しかし無尽蔵とも思えるアナの魔力を考えると、彼女がそんな非常識なことをやらかさないとも限らない。なにしろアナは聖水を使って洗濯をしたという前科があるのだ。
「でも火事で怪我をした人がいたら治療が必要です……よね?」
アナの精一杯の反論に、俺は、む、と沈黙した。
たしかにアナの回復魔法は強力だ。
おそらく現在の第七学区に、彼女以上の聖属性魔法の使い手はいない。アナが手を貸してくれるなら、かなりの負傷者が救われるはずだ。
だが、それをやればアナの存在は、確実に生徒たちの注目を集めることになるだろう。そして間違いなく生徒会が動き出す。
天人に命を狙われているアナにとって、それは極めて危険なことだ。
だからといって自分の秘密を守るため、目の前の負傷者を見捨てることをアナが受け入れるとも思えない。
「変装すればいいんじゃないかな?」
険しい表情で逡巡する俺に、リュシエラがのんびりとした口調で言った。
「変装?」
「聖属性魔法を使いまくっても、アナちゃんだとバレなければ問題ないんだよね?」
「……まあ、そうだな」
俺はリュシエラの言葉を肯定した。
しかし現実問題として、生半可な変装でアナの正体を隠すのは不可能だろう。並外れた美貌といい、頭の獣耳といい、目立つ要素しかないからだ。
「というわけで、これ、使っていいよ」
「……ナース服?」
リュシエラが得意げに差し出した衣装を見て、どこから持ってきたんだ、と俺は呆れた。
第七学区ではあまり見かけない、ノースリーブのナース服だ。頭部をすっぽりと覆うナースキャップも付属しており、その中に突っこめばアナの獣耳も問題なく隠せると思われる。
「それって第四学区の治癒師の制服ですよね!? どうやって手に入れたんですか!?」
「それは企業秘密かな。これ一着しかないから、ティルティちゃんのぶんはまた今度ね」
驚愕するティルティの問いかけを、リュシエラがやんわりとはぐらかす。
相変わらず喰えない女だ、と俺は警戒するよりもむしろ呆れた。
アナのために第三学区の学籍を用意したことといい、第四学区の制服を持ち出してきたことといい、リュシエラ・クリトウという生徒は外の学区に謎の強力なコネクションを持っているらしい。