「これ、お借りしていいんですか?」
リュシエラからナース服を受け取ったアナが、遠慮がちに獣耳を震わせて訊いた。
うん、とリュシエラは微笑んでうなずき、
「それを着てれば医療系の部員だと思われるだろうし、治癒魔法を使っても目立たないでしょ」
「あ、ありがとうございます……でもこれ、すごくスカートが短い気が……」
「それはそういうものだと思って諦めるしかないね。大丈夫、アナちゃんなら着こなせるよ。というわけで、アナちゃんは着替えに行こうか」
「うう……わかりました……」
リュシエラに強引に押し切られたアナが、更衣室へと戻っていく。
彼女たちの姿が見えなくなるのを待って、俺は爆心地のほうへと歩き出す。
「ちょっと、ハル? アナさんのこと、待たなくていいの?」
「状況を確認するのが先だ。できれば、あいつが着替えを終えて出てくる前に、騒動の元凶を片付けておきたい」
訝るように問いかけてくるティルティに、俺は振り返ることなく淡々と答えた。
はあ、とティルティが気の抜けたような声を出す。
そうこうしている間にも新たな魔法攻撃が繰り返されて、火災の勢いが増していた。このままでは、学食部の店舗が巻きこまれるというのも杞憂では済まなくなりそうだ。
俺は乱暴に舌打ちして、爆心地に向かって走り出す。
「やっぱり過保護だわ……」
背後からティルティの意味不明の呟きが聞こえた気がしたが、きっぱりとそれを無視して俺はスピードを上げるのだった。
7
メインストリートの状況は、想像していたよりも遥かに悲惨だった。
爆風によって多くの建物が倒壊し、大量の瓦礫が路上に散乱している。
立ちこめる黒煙が視界を塞ぎ、樹脂が焦げる異臭が鼻を突く。
出歩いている生徒が少ない時間帯なのは幸運だった。
そうでなければ相当な数の犠牲者が出ていたはずだ。
爆心地である屋台街に近づくにつれて被害の規模は拡大していく。通り沿いに並んでいたキッチンカーは軒並み横転し、華やかに飾りつけられていた街並みは今や見る影もない。
そしてなによりも火災の影響が大きい。最初の爆発が起きてからそれなりの時間が経っているはずだが、炎は収まるどころか明らかに勢いを増していた。
街灯の支柱や標識は熔け落ちて、路面の石畳すらバターのように融解してしまっている。
ただの火災で生じる被害ではなかった。火属性の攻撃魔法でも、これほどの熱量を生み出すのは容易ではないはずだ。
「これって……ただの事故じゃないわよね?」
俺に追いついてきたティルティが、顔を蒼白にしながら呟いた。
ここまで酷い状況になっているとは、彼女も予想していなかったのだろう。
状況を楽観視していたわけではないが、どこかで甘く考えていたのは俺も同じだ。
生徒間のいざこざによる衝動的な喧嘩や、密輸してきた魔物の暴走程度だろうと根拠もなく高をくくっていたのだ。しかし俺のそんな温い予想はあっさりと覆された。
ティルティが口にしたように、これはただの事故ではない。人為的な魔導災害か、あるいは第七学区に対する破壊工作だ。
「そうだな。これだけの事件を引き起こせるとしたら、本格的な武装テロ集団か、ほかの学区から侵入してきた破壊工作員の可能性が高いな」
「破壊工作員?」
「治安委員会に気づかれずに第七学区に侵入して、この騒動を引き起こせるとしたら相当な凄腕だ。特殊執行部隊の隊員と同等か、それ以上の能力があると思っていい」
「特殊執行部隊レベルって、どこかの生徒会直属の強襲部隊ってこと?」
「そうだな。たとえば……第二十六学区の陸戦隊のような……」
無意識にそう呟いて、俺は小さく顔をしかめた。
リィカ・タラヤから聞かされた、陸戦隊の情報を思い出したのだ。
執行部隊の第二小隊と遭遇して逃げ延びた陸戦隊の男は、〝暴食〟を名乗る存在が第七学区にいることを知っていたという。
その話を聞かされた夜に、この騒動だ。奇妙な符合を感じずにはいられない。
「おい、無事か……?」
瓦礫の下敷きになっていた負傷者を見つけて、俺はその身体を強引に路上へと引きずり出した。苦痛に呻く声が聞こえたが、このまま焼け死ぬよりはマシだろうと思う。
「うげっ……ハ、ハル・タカトー!?」
負傷した男子生徒が、俺の顔を見て頰を引き攣らせた。
これは俺個人が恐れられているというよりも、特殊執行部隊に対する評価だろう。執行部隊が投入されるのは、基本的に普通の治安委員では対応できない重大犯罪の現場だけである。逆に言えば執行部隊が現れた事件現場では、確実に第七学区を揺るがすような大問題が起きているということだ。
「状況を聞かせろ。なにがあった?」
執行部隊とはすでに無関係な俺だが、あえて男子生徒の誤解を解こうとはしなかった。情報収集に素直に協力してくれるなら、勘違いされたままのほうが都合がいい。
「わからない……屋台で騒ぎが起きたと思ったら、突然、爆発が起きて……」
苦痛に顔をしかめながら、男子生徒がぼそぼそと答えてくる。
骨の何本かは折れているようだが、彼の負傷は致命的なものではない。聖属性魔法が使えるティルティも、あえて彼を回復させようとはしなかった。
詳しい状況がわからない以上、魔力の温存を優先するのは当然の判断だ。
「屋台での騒ぎというのは?」
「それは直接話を聞いたわけじゃないんで、なんとも……気味の悪い恰好をした男子が屋台の料理に文句をつけてて、店員と口論になったところまでは見たんだが……」
「店員と口論って……まさか、それだけでこの騒ぎを起こしたの?」
ティルティが啞然としたように訊き返す。ただの口喧嘩の結果にしては、いくらなんでも騒動の規模がでかすぎる。
「いや、そうじゃねえんだ。最初からおかしな客だったんだ。金を払う気もなさそうだったし、不味いといいながら屋台をぶっ壊して商品を奪おうとしてたしな──」
「なにそれ……そんな生徒が第七学区にいるの?」
ティルティが憤慨して眉を吊り上げた。
負傷者の男子はその質問に、鮮血混じりの咳で答える。これ以上の情報を、彼から聞き出すのは無理そうだ。
「ティルティ。この火災は俺がなんとかする。もし犯人が出てきたら牽制を頼む」
亜空間収納からライフルを取り出しながら、俺はティルティに一方的に依頼する。
「なんとかするって、どうするつもり?」
ティルティが怪訝な表情で俺を見返してくる。
彼女が怪訝に思うのも当然だった。大通りの火災範囲は直径百メートルを超えており、生半可な手段では消火できそうにないからだ。
「要は燃焼の条件を満たさなくすればいいんだろ……」
俺は構えたライフルの銃口を火災現場の上空へと向けた。
魔法の発動媒体としては使い勝手の悪い銃器だが、遠距離魔法の狙いをつけやすいという点だけは杖や剣に勝っている。
とはいえ、俺が使おうとしているのは、それほど精密な照準が必要な魔法ではない。要は魔法発動の起点となる目印になりさえすればいいのだ。
「〝風よ、風よ。汝の名は破れた天空、眼下の土地を細切れに裂け〟──!」
呪文の詠唱とともに放たれた弾丸が、火災現場の上空に到達すると同時に、付与されていた大量の魔力を解放する。