発動したのはシンプルな【風爆】の魔法。魔法発動の起点となった銃弾を中心に、衝撃波を無差別にまき散らすという俺の独自呪文だ。
目標の選択ができないせいで用途は限定されるが、そのぶん魔力効率に優れており、広範囲に猛烈な爆風を放つことができる。
上空で発生した巨大な衝撃波は、地上で燃え盛る炎へと超音速で降り注ぎ、それらを瞬間的に消滅させた。広域林野火災などを消火するために使用する、爆風消火と同じ作用を魔法的に再現したのだ。
もちろんそれだけでは、地上を覆い尽くすほどの火災を完全に消滅させることなどできはしない。燻っている無数の火種から、すぐに炎が復活するだろう。
だがそれでいい。燃え盛る炎が一瞬でも途絶えることが重要だったのだ。
俺は再び引き金を絞って、フルオートで弾丸を空中にばら撒いた。
今度は呪文の詠唱すら必要なかった。なぜなら俺が次に使うのは【水生成】。水属性魔法の中では基礎中の基礎魔法だからだ。
飛翔した弾丸を起点にして発動した魔法が、大量の水の塊を空中に生み出した。それらは重力に引かれてすぐに落下し、地上に滝のように降り注ぐ。
炎が燃え盛っている状態であればその量の水でも一瞬で蒸発したのかもしれないが、直前の爆風消火によって火災は勢いを失っていた。そこに水が降り注ぐことで温度が低下し、可燃物の発火点を下回る。結果的に火災の大部分は瞬く間に鎮火した。残りは俺が手を出さなくても、水属性の魔法が使えるほかの生徒がどうにかするはずだ。
「相変わらず無茶をするわね……!」
ティルティが、呆れと驚きの混じった視線を俺に向けてくる。
魔力効率に優れた【風爆】はともかく、俺が消火のために生成した水の量はおそらく十トンを超えていた。いくら【水生成】が基礎魔法とはいえ、さすがに魔力の消費量が半端ではない。水属性も使えるティルティだからこそ、俺の消耗度を理解しているのだろう。
しかしあれだけの規模の火災を短時間で消火するには、ああするしかなかったのだ。
「た、助かったのか……?」
「ハ、ハル様……!」
「ハル様だわ! ハル様が助けてくださったのよ!」
火災現場に取り残されていた生徒たちが、ずぶ濡れの状態で脱出してくる。
その直前の衝撃波に巻きこまれて無傷ではなかったはずだが、それよりも今は迫り来る炎の恐怖から逃れられた安心感でハイになっているらしい。俺を神仏かなにかのように拝みながら、涙を流してまとわりついてくる。
「邪魔だ! さっさと避難しろ!」
群がってくる女子生徒たちを威圧して追い払い、俺は鎮火直後の火災現場に足を踏み入れた。
急激に気化した水のせいで一面が霧に覆われて、視界が悪い。
しかしこの霧の中のどこかに、火災を引き起こした犯人がいる。そいつを放置するわけにはいかなかった。再び爆発魔法を使われれば、せっかく苦労して消火したのが元の木阿弥だ。
「霧を飛ばすわ」
ティルティが風属性の魔法で上昇気流を生み出し、視界を遮っていた霧を吹き飛ばす。
霧が晴れて現れたのは、焼け焦げた街並みと倒壊した建物たち。
そして路上に立つ痩身の男子生徒だった。
男子生徒の薄汚れた包帯まみれの全身を覆うのは、第七学区のものではないタクティカルジャケット。肩の紋章に描かれているのは草山丹花──第二十六学区の紋章だ。
「見つけた! あいつが放火犯ね!」
「待て、ティルティ!」
放火犯の姿を確認したティルティが、俺が制止する間もなく相手に向かって突っこんだ。
魔力を消耗している俺の代わりに、犯人を捕まえようとしたのかもしれない。
風を纏って加速したティルティの動きは速く、あっさりと俺を引き離して犯人との距離を詰めていく。相手が一般生徒なら、ティルティのその動きに反応するのは不可能だっただろう。
しかし男は動じることなく、右腕をゆっくりとティルティに向けた。
そして次の瞬間、巨大な炎の塊が現れて、俺とティルティの中間地点で激しく爆ぜた。
「ティルティっ!?」
目の前に広がった炎の壁を見て、俺は呆然と立ち尽くす。
完全に追い詰められていたはずの犯人の逆転の一手。彼は、たった一発の魔法で、俺とティルティを分断してみせたのだった。
8
「なんだ、この魔法は……」
俺は乱暴に舌打ちしながら、上空まで伸びる炎の渦を睨みつけた。
通常の火属性魔法とは異なる特殊な固有能力。魔法発動の前兆も、魔力の流れも感じさせない奇怪な魔法だ。
さっきの爆発は俺とティルティの分断を図ったわけではなく、ティルティ本人を直接狙ったものだった。
たまたまティルティが高速移動中だったから避けられただけで、そうでなければ正面からまともに喰らっていたはずだ。ボロボロの姿からは想像もつかない凶悪な敵である。
『ふん、臭うな』
俺の耳元で聞き慣れた声がした。黒犬だ。
俺に追いついてきたというよりも、最初から姿を消した状態で俺の近くにいたのだろう。
「なにがだ?」
そんな黒犬に、俺は振り返りもせずに訊き返す。
『気づいているか、小童? あの放火犯は普通の人間ではないぞ』
「……どういう意味だ?」
痩身の男子生徒が操る爆炎が、通常の火属性魔法ではないことはわかっている。
しかしその程度の情報を、この黒犬が勿体ぶって忠告してくるとは思えない。
俺は路上を覆い尽くす炎の壁の消火を諦めて、近くの建物の屋根へと跳んだ。
ティルティと男子生徒の戦闘は、すでに始まっていた。
十メートルほどの距離を置いての魔法戦。男子生徒がまき散らす爆炎を、舞うような動きで華麗に回避しながら、ティルティは反撃の隙をうかがっている。
圧縮した水の弾丸を、風属性の魔法を使って様々な角度から犯人に撃ちこみ、同時に地属性の魔法で男の動きを拘束する。多彩な魔法が持ち味のティルティらしい、テクニカルな戦術だ。
しかしそんなティルティの技術を、前触れなしに撃ち放たれる犯人の爆炎が力業でねじ伏せる。自分自身の肉体が傷つくことも厭わぬ自爆覚悟の至近距離の攻撃に、ティルティは手を焼いていた。
犯人の魔法の異常性に、彼女もすでに気づいているのだろう。攻撃の予兆がつかめないせいで、ティルティは警戒に意識を割かれて攻撃の決め手を欠いている。
「さすがは第二十六学区の陸戦隊だな。厄介な相手だ」
だが、ティルティの敵じゃない──と、俺は小さく鼻を鳴らす。
彼女の援護をするつもりで追いかけて来たが、その必要はなさそうだ。
すべての魔法属性が使えるということは、相手の得意属性を相殺し、相手の苦手属性で攻撃できるということだ。爆炎でしかゴリ押しできない陸戦隊の男子生徒は、ティルティにとってはむしろ与し易い敵だといえる。
ゴッ、と鈍い音を響かせて、犯人の下半身を数本の杭が貫いた。ティルティが地属性魔法で生成していた金属製の杭を、地中から槍のように打ちだしたのだ。
ティルティが杭の材料に使ったのは、おそらく建築資材に使われていたモリブデン鋼。
二千六百度を超える熱に耐え、高温環境下においても極めて強度が高い。それを一瞬で溶かすような真似は、犯人の爆炎をもってしても不可能だった。
そして完全に動きを封じられた犯人の心臓を、ティルティは、同じくモリブデン鋼の弾丸で正面から撃ち抜いた。
風属性と地属性の複合魔法。爆炎の影響を受けにくいふたつの属性を使って、正面から犯人をねじ伏せた形だ。〝虹の戦乙女〟の名にふさわしい鮮やかな勝利だった。