「ようやく終わったか……」
構えていた銃を下ろして、俺は息を吐き出した。
犯人の正体や目的は不明のままだが、それは生徒会を辞めた俺が気にすることではない。
とりあえず学食部の建物を脅かす火災の元凶は排除できたのだ。その時点で俺たちの目的はいちおう達成されたことになる。だが──
『それはどうかな?』
「なに?」
揶揄うような黒犬の言葉に、俺は嫌な予感を覚えた。
相手の死を確信して、無防備に背中を向けたティルティの背後で、絶命したはずの犯人がゆらりと立ち上がる。
「ティルティ!」
「え!?」
俺の警告の叫びを聞いて、ティルティが振り向いた。そして驚愕に目を瞠る。
「なんなの、こいつ!? なんで、生きて……!?」
あり得ないはずの状況に、ティルティは激しく動揺していた。
死んだはずの人間が、再び動き出したというだけの話ではない。彼女自身の手で確実に相手にとどめを刺した直後なのだ。倒したのが幻影や身代わりの傀儡であれば、ティルティがそれに気づかなかったわけがない。
男子生徒の下半身には金属の杭が刺さったままであり、胸部には拳が入るほどの大きな穴が空いていた。相手は疑う余地もなく確実に死んでいる。
そして死んだままの状態で動き続けている。
それを見て平静を保つのは、戦い慣れしたティルティにも不可能だ。
「しまっ……」
軽い恐慌状態に陥ったティルティに向かって、痩身の男子生徒が爆炎を放つ。
至近距離で前触れなしに出現した爆発を、ティルティは正面からまともに浴びた。
咄嗟に展開した魔力障壁でかろうじて爆風の直撃だけは相殺するが、押し寄せて来た炎の高熱までは防げない。超高温の業火に全身を焼かれて、ティルティは声もなく倒れこんだ。
確認するまでもない致命傷だ。俺には彼女を救えない。
その絶望的な現実に、俺ですら一瞬、動きを止めた。だが──
「──完全回復!」
爆発の轟音が反響する中、不思議とよく通る澄んだ声が響いた。
聖属性の魔力を帯びた巨大な水球がティルティたちの頭上で弾けて、魔力の炎が一瞬で消える。
同時に放たれた金色の光がティルティを包みこみ、焼け爛れていた彼女の肉体を無傷の状態へと修復した。時間を巻き戻したかのような奇跡的な光景だ。
「なっ……!?」
目の前で起きた想定外の出来事に、痩身の男が目を剝いた。
光のないその眼球が見つめる先にいたのは、ナース服を着た小柄な銀髪の少女だった。
9
「ヒ……」
胸に大きな穴を空けたままの男子生徒が、奇怪な声を吐き出した。
聖水を浴びた彼の全身からは、うっすらと白い煙が上がっている。強酸に浸された金属のように、男子生徒の身体が溶けているのだ。
「ヒヒヒヒヒヒヒヒ……!」
強烈な苦痛を伴うはずのその状況で、彼は我を忘れたように笑い続けている。
「見つけた! 見つけましたよ、〝暴食〟! 暴食ウウゥゥゥゥゥゥ!」
「ええ……っ!?」
嗄れた声で呼びかけられて、アナはビクッと肩を震わせた。
会話の中身がなんであれ、知らない相手にあのテンションで声をかけられたら、彼女でなくても怯えるだろう。
しかし男子生徒はそれ以上、アナとの会話を続けることはできなかった。俺の放った弾丸が、彼の眉間を撃ち抜いたからだ。
「ハルくん……!?」
「よくティルティを救ってくれた。礼を言う」
建物の屋根から飛び降りて、俺はアナたちの前に着地した。
いやいやそんなわたしなんか、と俺に褒められたアナが恐縮する。
どうやら勝手に聖属性魔法を使ったことで、また俺に怒られるのではないかとビビっていたらしい。しかしさすがに人命が懸かっている状態で、回復魔法を使うなというつもりはない。
ナースキャップに無理やり獣耳を押しこんでいるせいで、今のアナの見た目は、普段の彼女よりもだいぶ大人しい。顔がいいので多少は目立つが、それよりもナース服の印象のほうが強烈だ。
この状態なら聖属性魔法を使いまくっても、どうにか誤魔化しが利くだろう。
「なんとか生きてるようだな」
ティルティの衣服はほとんど焼け落ちているが、その下の肌には傷ひとつ見当たらない。
アナが使った最上級回復魔法の効果である。
ティルティの胸がゆっくりと上下しているのを見届けて、俺は安堵の息を洩らした。
全身を焼かれたショックで気絶してはいるものの、しばらくすれば意識を取り戻すはずだ。
『こちらはともかく、あちらはもう駄目だな』
愉快そうに呟いたのは、黒犬のゼブだった。
黒犬が見つめているのは、俺に眉間を撃ち抜かれたはずの痩身の男子生徒だ。
とっくに絶命しているはずなのに、彼は何事もなかったかのように平然と起き上がってくる。まるでアンデッド系の魔物を思わせる不死身っぷりである。
「そうか、アンデッド……あいつはとっくに死んでいたというわけか」
心臓を吹き飛ばされても、眉間を撃ち抜かれても死なない不死身の敵。だが、彼が死体であったのならそれも当然だ。すでに死んでいる人間を二度は殺せない。
だが、問題は彼が死体かどうかではない。死体が動いている理由のほうが重要だ。
「どういう魔法だ? あいつを操ってる術者がどこかにいるのか?」
起き上がってきた男子生徒──否、男子生徒だった死体に向かって、俺は銃弾を撃ちこんだ。
しかしその銃弾は死体を撃ち抜く直前、相手の周囲に出現した炎に阻まれる。
「ただの人間が、邪魔を……するナ……!」
男子生徒の死体が右手を伸ばし、新たな爆炎を放ってくる。
俺は弾丸を撃ち尽くしたライフルを投げ捨てると、気絶したままのティルティとアナを抱えて横へと跳んだ。一瞬遅れて、それまで俺たちがいた場所を、強烈な炎が包みこむ。
「ただの人間が……〝暴食〟を連れてどこに行く気ですか!?」
アナを連れ去ろうとする俺の行動は、死体の神経を逆撫でしたらしい。
放たれる爆炎が威力を増し、肌を焼く熱気に俺は顔をしかめる。
「どういうことだ、犬コロ! あいつはなんだ!? なぜおまえの存在を知っている!?」
ちゃっかりと俺の背中にしがみついていた黒犬に、俺は怒鳴る。
黒犬が呆れたように首を振る気配がした。
『なんだ、気づいてなかったのか?』
「なに?」
『やつが使っているのは、〝災厄〟の力だ』
「なんだと!?」
身体強化魔法を使っているとはいえ、人間二人を抱えた状態で、死体の攻撃を避け続けるのはかなり厳しい。
しかも両手が塞がっているせいで、銃が使えない。それはつまり雷魔法が使えないということだ。
だからといってただの風属性魔法や水属性魔法では、炎を纏った死体に有効なダメージを与えられない。死体と化した男子生徒の動きは速くないが、有効な反撃ができないせいで、俺たちはジリジリと追い詰められていく。
「どういうことだ? 〝災厄〟は天人に封印されたんじゃなかったのか?」
『すでに我という例外がいるのだ。自由な〝災厄〟がほかにいてもおかしくはあるまい?』
俺の疑問に、黒犬が平然と答える。
そんなものがあちこちにいてたまるか──と俺は苛立ちを覚えたが、現実に第二の〝災厄〟が出現した以上、その反論が無意味なこともわかっていた。
「だとしても、どうしてあいつはおまえを探してるんだ?」
『さあな。本人に聞いてみたらどうだ?』
「話が出来る状態か、あれが!」
俺は声を荒らげつつ、密かに魔法を発動した。
発動したのは水魔法。ただしアンデッド化した男子生徒を直接攻撃したわけではない。
第七学区の地下に張り巡らされた下水道──その中の水を無理やり沸騰させて、水蒸気爆発を起こしたのだ。そして男子生徒の足元の地面を破って蒸気ガスを噴出させた。
蒸気ガスをまともに浴びた男子生徒は、その衝撃で空高く舞い上がり、数十メートル後方へと吹き飛んで地上に落下する。まともな人間ならそれだけで命を落とすはずだが、アンデッド化した相手にそれを望むのは無意味だろう。
それでも再びやつが追いついてくるまで、しばらくは時間が稼げるはずだ。
「あいつがアンデッド化した状態で動けているのも、〝災厄〟の力か?」