聖女と暴食

第三章 オーガベアの火鍋 ⑪

 俺は目についた建物のかげに、気絶したままのティルティを横たえた。

 ついでに俺が着ていたタクティカルジャケットをいで、彼女のはだかの胸にかけてやる。


 あの男子生徒の目的がアナならば、ティルティは本来は無関係だ。俺たちといつしよにいるよりも、ここにかくしておいたほうが彼女にとっては安全なはずである。


『〝さいやく〟の力というのは、少しちがうな。やつは死んだ宿主の肉体を、宿主自身のほうを使って動かしているのだ。聖属性のほうでな』

「死体を動かす聖属性ほうだと……? はんごんほうか!」


 はんごんほう。死者のたましいもどし、よみがえらせるという聖属性ほうだ。


 ただしそのほうは理論上存在するといわれているだけで、実際に成功したという報告はない。死者のせいてんじんの知識と技術をもってしても、いまだにおよばない領域なのだ。


 しかし死体になった自分を、生き返らせるのではなく死体のまま動かし続けたという事例は存在する。いわゆるリッチ──すなわち高位アンデッドだ。


「〝さいやく〟というのは、死体を宿主にできるのか?」

『できるかどうかと問われれば、可能だろうな。はんごんほうが使えるのは強力な聖属性ほうの適性者だけだ。〝さいやく〟をふういんするうつわに使うにはじゆうぶんだ。もっとも我はやらんがな』

「なぜだ?」

『死体は飯をわんからな』


 説得力のある黒犬の言葉に、なるほど、と俺はなつとくした。


『それに肉体に聖属性ほうの適性があっても、死体はしょせん死体に過ぎぬ。力の源泉となる欲望を持たぬ宿主には〝さいやく〟の本来の力は発揮できん。着火装置のごとがせいぜいだ』


 さげすむような口調で、黒犬が続けた。

暴食の悪魔ベエルゼブブ〟の言葉が事実なら、どうやらあの〝さいやく〟の能力はおおはばに弱体化しているらしい。


 だが、どんなに弱っていても〝さいやく〟は〝さいやく〟だ。

 そのりよくは実質的にじんぞうであり、このままやつを放置していれば、第七学区アザレアスが丸ごとくされるのも時間の問題だろう。そしてすでに死体となっている宿主を殺す方法も存在しない。


「どうすればやつを止められる?」

『我に聞かずとも、貴様はそれを知っているのではないか?』


 俺の質問に、黒犬は素っ気なく答えた。なにを今さらといわんばかりの口調だった。

 そう。くまでもなく答えはわかっていた。実に単純な話だ。


さいやく〟をたおすのが目的なら、同じ〝さいやく〟の力を使えばいい──


 俺は苦虫をつぶしたような表情で黒犬をにらみ、次にその視線をアナへと向けた。

 けもの耳をかくしたぎんぱつの少女は、小首をかしげて不思議そうに俺を見返してくる。


「アナ、きみの力を貸して欲しい」


 俺は、内心のかつとうおさえ込みながら、彼女に告げた。


「わ、わかりました」


 アナはぎこちなくうなずいて、なぜか上気したようにほおを赤く染めたのだった。


10


 こわれかけた建物のかべしに、ばくはつしんどうひびいてくる。

 水蒸気ばくはつによって俺たちを見失った〝死体〟が、腹いせにばくえんをまき散らしているらしい。


 そんな中、俺に力を貸せと言われたアナは、思いがけない行動に出た。

 ナース服のえりもとのくるみボタンを、とうとつに外し始めたのだ。


「おい、待て! なぜこんなところで服をぐ!?」


 むなもとをはだけようとするアナを、俺はあわてて制止した。

 しかしアナはげんな顔で、まどう俺を見上げてくる。


「だって、がないとハルくんがさわれませんよね?」

さわる? だれが?」

「ハルくんが、わたしの心臓に」

「心臓……だと?」


 俺はおどろいてアナを見返した。アナは大真面目な顔で俺を見上げたまま、


「はい。〝さいやく〟の力のしよくばいになるのは、わたしの心臓です。いけにえの心臓をもつとしてささげるのは、あくしようかんにおけるいつぱん的な手順だと聞きました」

「それはそうなのかもしれないが──」

「はい。ですから、〝さいやく〟の力を引き出すためには、わたしの心臓とハルくんの間にほう的な経路をつなげる必要があるんです」

「そういうことか……」


 心臓にさわるというのはではなく、ほう的な意味でということだったらしい。


「だが、生物の体内に外からほうをかけることはできないぞ」


 人間をふくめた生物は、自分の肉体をはい的な魔法領域テリトリーとして支配しており、外部からほうかんしようすることはできない。それはほうの適性を持たない人間でも同様だ。

 そうでなければたとえば水属性ほうによって、他人の血液すら自由に操作できることになってしまう。


 外部から他人の肉体にかんしようできる数少ない例外は聖属性の回復ほうほうだが、それらは負傷によって支配領域がそこなわれているからこそ有効なのだ。

 たとえアナがそれを受け入れていたとしても、生物にとって重要な臓器である心臓にほう回路をつなげるような、複雑なほうしきが可能とは思えない。


「わかってます。ですから、ハルくんには直接わたしの心臓にれてもらわなきゃいけないんです。わたしの胸には、心臓に直接つながるほう回路のコネクターがありますから」


 そう言ってアナはブラを指で引っ張って、自分のむなもとを俺に見せつけた。

 胸の谷間にはさまれてほとんど見えないが、たしかに彼女の胸の中心部にはほうじんらしきものの気配がある。アナ自身がそこにりよくを流すと、そのほうじんはよりせんめいかがやいた。


「なんでそんなところにほうじんを刻んだ!?」

「だ……だって、心臓に直接つながっているので……!」


 俺の当然の疑問に対して、アナが困った顔で答える。


「それに、ハルくんがコネクターにさわるのは二度目ですよね?」

「なに……?」


 フラッシュバックしたおくだんぺんに、俺はのうの表情をかべた。


 どうばくげきミサイルがせまはいモジュールの中、俺が意識を失う前の最後のおく。それはまさしくアナの胸にれようとする自分自身ではなかったか。いやあれは、むしろさわらせられたと言うべきか。俺のおくの欠落は、まさかそれが原因ではないだろうな──


 そんな俺のくだらない思考は、間近でひびいたばくはつ音に中断させられる。


「〝暴食〟! そこですか! 見つけましたよ、〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟!」


 至近きよで燃え上がったほのおに、かくれていた俺とアナの姿が照らし出される。

 それを見つけた男子生徒の〝死体〟が、うつろなまなこを笑うように細めた。


なやんでいるひまはなさそうだな。悪いが、そのほうじんを使わせてもらうぞ」

「ど、どうぞ」


 決断した俺の目の前で、アナが自分のブラを外す。

 俺は目を閉じて彼女の胸のほうじんに手をばした。しかし俺のてのひられたのは、半球形のやわらかなふくらみだ。


「ひゃうっ!?」

「す、すまない」


 予期せぬげきにアナが小動物めいた悲鳴を上げて、俺は反射的に手を引っ込めた。


 そんなことをしている間にも、ばくえんまとった〝死体〟の気配が近づいてくる。そのことに俺はさらしようそうを覚える。


 あせっているのはアナも同じだろう。彼女は明らかにこんわくした様子で俺に顔を近づけて、


「あの……ハルくん。どうして目を閉じてるんですか?」

「閉じてないと見えるだろうが!」

「ここです」


 俺の手首をにぎったアナが、そのまま俺のてのひらを自分の胸へと押し当てた。

 二つのやわらかなふくらみのはざに、俺のてのひらが吸い込まれていく。


 目を閉じてしまっているせいで、俺のしよつかんはよりえいびんになっていた。ひんやりとしたアナの体温と、吸いつくようになめらかなはだ。そして少し速い彼女のどうがはっきりと伝わってくる。


 そしてその奥に、せいじような光に包まれた球体の存在を感じる。


 その球体の中にとらわれた、底知れぬやみに似た黒いかたまりの存在を感じたとき、俺の中になにかが流れこんできた。それはせいぎよしきれないほどのぼうだいな〝力〟と、すさまじくきようれつ感だ。


「……腹が……減ったな……」


 俺は、けもののように低くうなりながら目を開ける。

 アナのひとみに映る俺の目は、まるでほのおのように赤くかがやいていた。


 だが、そんなことは少しも気にならない。俺は、自分の中でくるぼうだいな力と、身体からだの奥からこみ上げてくるあらしのようなしようどういしれていた。