聖女と暴食

第三章 オーガベアの火鍋 ⑫

 かいしようどうによく似たこうげき的な感情。だが、そこにあるのは敵意やぞうではなかった。


 むしろ愛情やしゆうちやくに近いかんな感情。いちぎり、しやくし、みこみ、消化吸収し、相手のすべてを自らの中に取り入れたいという欲望──食欲だ。

 

 アナのはだかの胸の谷間にうずめていた右手を、俺はゆっくりといていく。


 その手がにぎっていたのは刀だった。反りのあるしつこくかたとうだ。

 やいばはばが非常に広く、分厚い。わたりは優に一メートルをえている。


 どう考えてもアナの胸の谷間に収まるような武器ではないが、これは文字どおり、アナの体内からいたものだ。この刀の正体こそが、彼女がふういんしている〝さいやく〟──〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟なのだから。


「ヒ……ヒヒッ!」


 俺たちを追ってきたそうしんの男子生徒が、立ち上がる俺に向かってばくえんを放った。

 火属性のほうとは異なる、得体の知れないちよう高温のほのお。だが今の俺にとってそれはまるで、にくじゆうしたたそうなごくじようのステーキのように感じられる。


 そのばくえんに向けて、俺は黒刀をった。

 長く分厚い黒刀が、俺の動きに合わせて形を変える。

 その全長はすでに五メートルをえていた。


 つうなら片手で持ち上げられるようなしろものではないが、俺はその刀の重さを感じない。むしろ自分の肉体の一部のように自由自在に軽々とあやつれる。

 大きく波打つしつこくやいばは、あごを開いたきよだいな肉食じゆうのように見える。


 そして〝死体〟の放ったばくえんれたしゆんかん、黒刀はごっそりとそのほのおけずった。

さいやく〟のほのおったのだ。


 刀をにぎる手から伝わってくる、脳をつらぬくような快感に俺はしびれる。これまで味わったことのないあつとうてきな美味だった。


 そのしゆんかん、俺は理解する。〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟にとって最高の美食の材料とは、自分の同類なかまであるはずの〝さいやく〟そのものなのだと。

さいやく〟が放ったりよくの一部をっただけで、このさだ。

 もし〝さいやく〟の本体をらおうものなら、どれだけの快楽が味わえるのか想像もつかない。


『このほのお……そうか、貴様、〝〟か』


 黒刀が、黒犬ゼブの声でそうつぶやいた。

 そうしんの男子生徒が、その言葉を聞いて青白い顔をみにくゆがめる。


「〝暴食〟……まさか、その力……あなたはすでに使いを手に入れていたのですか!?」


 男子生徒が放つばくえんを、俺のにぎった黒刀はようしやなくい散らした。そのたびに男子生徒がまとっていたほのおが勢いを弱め、彼の肉体がボロボロとほうかいしていく。


 相手がほのおを生成する速度よりも、黒刀がほのおしよくする速度のほうが上回っている。そのせいで男子生徒の持つりよくすさまじい勢いで目減りして、肉体をできなくなったのだ。


『地上にとされたばかりの我ならえるとでも思ったか? 目の付け所は悪くなかったが、貴様のけいやく者がそのありさまではな!』


 黒刀が、あざけるように笑って刀身をふるわせる。そのことが男子生徒をげきこうさせた。


「ベエルゼブブゥゥゥゥ!」


 自分自身の〝死体〟をまるで燃料のように燃やして、そうしんの男子生徒がっこんでくる。

 それに対する俺たちの反応は冷ややかだった。

 相手がすでに死人である以上、手加減する必要はないし、その意味もない。


『〝えさ〟が、しやべるな──』


 黒刀が冷静に言い放ち、俺はその黒刀を横ぎにいつせんする。


 そのしゆんかん、男子生徒がまとっていたほのおがすべて消失し、が折れるような音を立てながら、両断された彼の肉体は地面に転がったのだった。


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「これで終わりか?」


 完全に動きを止めた男子生徒の死体を見下ろして、俺は黒刀に問いかけた。


〟がき散らしたばくえんは、いまだに第七学区アザレアスのあちこちで燃え続けている。だが、その火災に不自然さはもう感じない。

 今も残っているほのおは、ただの火だ。〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟の権能によって、〝さいやく〟のこんせきはすでにくされてしまったらしい。


 しかし俺ににぎられたままの黒刀は、不満げに刀身をふるわせた。


『いや、げられた』

げられた?」

『〝ひようとう〟め。我が実体化した時点で、勝てぬとさとったようだな。まさかけいやく者の肉体をおとりにして、本体だけびようとするとはな』


 俺の身長の三倍近くまできよだい化していた黒刀が、しつこくもやらしながら縮んで、つうのサイズへともどっていった。


 それでも俺が感じていた感は消えない。むしろ空腹を満たすことへのしようどうは、こうしている今でも俺の中でジリジリと高まっている。


 らうのは、もはや〝さいやく〟のりよくでなくてもいい。ものでも人のりよくでもいい。人間そのものですら構わない──心の奥底からわき上がるそんなドス黒い欲望を無理やりおさえつけ、俺はかいされた街並みを見回した。


「こいつはおとりか……〝さいやく〟の本体はどこに行った?」

『追いかけるつもりなら、だ。放っておけ』

「なんだと?」

『我ら〝さいやく〟の本質は精神寄生体だ。〝〟が宿主の肉体を捨てた以上、らえるのはまず不可能だと思っていい』


 黒刀のやる気のない返答に、俺はだまって顔をしかめた。


 実体を持たない精神寄生体。ゆえに彼らは宿主たるけいやく者を必要とし、宿主の使いかいしてそのおそるべき力を発現する。事前にふういんどうなり結界なりを用意していればともかく、完全な精神体となった〝さいやく〟をかくすることはできない、というわけか。


『どのみちけいやく者を失った〝〟にはもう力はない。我らに手を出すことはできまいよ』

「やつが新しいけいやく者を手に入れたらどうする?」

『それも無用な心配だ。ここが天環オービタルならともかく、〝さいやく〟のうつわに足る力量の聖属性ほう使つかいが、そうそう都合よく見つかるとは思えんな』

「それはそうだが……」


 俺は黒刀の言葉をしぶしぶと認めた。


 ほぼじんぞうの聖水をしゆんに生み出し、最上級の回復ほうすら使いこなすアナはもちろん、はんごんほうという高度なほうあやつ第二十六学区ペンタス陸戦隊の男子生徒も、生前は強力な聖属性ほうの使い手だったのだろう。


 たしかにそのレベルの生徒はめつにいない。いたとしても、各学区で厳重に保護されている。

 その意味では黒刀のいうとおり、〝〟のぎやくしゆうけいかいする必要はないのかもしれなかった。


『やつの本体をそこねたのは、いささか残念だがな。ところで、それよりも貴様が心配することはほかにあるのではないか?』

「なに?」


 こんわくする俺の手の中で、黒刀の姿が不意にぼやけた。

 じゆうこうな刀身が黒いりゆうとなってさんし、しようめつしていく。俺とアナの接続が解けて、〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟がふういんもどったのだ。


 黒刀が完全に消えてあとに残ったのは、しつこくの毛並みのあいがん犬が一ぴきである。

 同時に、俺の中でうずいていた感がうそのようにしようめつする。


 だが、それだけで俺の状態が完全に元にもどったわけではなかった。

 限界をえてりよくを放出した直後のように、きようれつだつりよく感が俺の全身をおそってくる。人間の身でありながら、〝さいやく〟の力をあつかっただいしようなのだろう。


 それでもどうだんとうちよくげきを防いだときのように、意識をなくさなかっただけでも上出来だといえる。〝さいやく〟の力を使うのは二度目ということで、少しは慣れたのかもしれない。


 そしてもうひとつ──意外な変化が起きていた。俺自身ではなく、思いがけない人物にだ。


「ハルくん!」


 かえると俺のすぐそばに、ナース服を着たアナが立っていた。