聖女と暴食

第四章 デスバイソンのラグーパスタ ①

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「うう……ひっく……ぐすっ……」


 今もうっすらとはくえんが立ちこめる火災のあとに、女子生徒のすすく声がひびいている。


 はんかいしたビルのかたすみにうずくまり、たった一人でグズグズと泣いているのはティルティだった。


「ハルのアホぉ……ボケナス……アンポンタン……」


 うつむいたままのティルティの口からうらごとれる。

 激しい戦いの直後、たがいの無事を喜ぶように仲むつまじくうハルとアナの姿が、ティルティののうからはなれない。


 二人の仲がいいことはわかっていた。それは、これまでどんな美人から言い寄られてもめいわくそうにきよぜつしていたあのハルが、過保護なまでにアナのめんどうを見ていたことからも明らかだ。


 だからといって、ハルが彼女と本気でつき合っているとは思っていなかった。


 本当はただ、そう思いたくなかっただけなのかもしれない。


 アナはとてもわいらしい少女だ。

 がらきやしやで、こわもののようにはかなふんで、いかにも女の子らしいりよくあふれている。


 性格だって悪くない。やや天然気味な言動が目につくが、ひとなつこいし、だれにでもへだてなくやさしく接している。

 それによく働く。加えてあの聖属性ほうあつとうてきな才能だ。


 顔はもちろんばつぐんわいい。

 だまっていれば人形のようにたんせいだが、ほほむと少し幼いふんになる。あのギャップはきようあくだ。

 おまけに胸もでかい。ティルティなど足元にもおよばない。


 容姿にはそれなりに自信のあったティルティだが、アナに会ってそれが自惚うぬぼれだったと思い知らされた。

 アナなら、ハルと並んでもまったくおとりしない。美男美女でお似合いのカップルだ。

 その事実が、ティルティの心を打ちのめす。


 どうしてこんなことになってしまったのか、その理由がティルティにはわかっていた。

 ティルティはどこかで油断していたのだ。ハルが自分以外のだれのものにもならないと、心のどこかで勝手に決めつけていた。なぜなら、これまでずっとそうだったからだ。


 ハルは幼いころから異様にモテた。顔がよく、成績もゆうしゆうで、あつとうてきに強かったからだ。


 しかしそのせいで、ハルは相当にいやな思いをしたらしい。知らない女子につきまとわれたり、勝手なうわさを流されたり。さかうらみでされそうになったこともある。


 結果的に、ハルは女子に対してきよを置き、きわめて事務的に接するようになった。あの男がおんなぎらいのぼくねんじんになったのは、そういう長年の積み重ねがあってのことだ。


 そんな中でティルティとハルのきよが近いのは、ティルティのほう技能をハルが認めているからだ。彼はティルティをたよりになる友人──対等に仕事ができるどうりようとして見ているのだ。


 ティルティはそのことに不満を感じていなかった。むしろゆうえつ感すら覚えていた。

 自分はほかの第七学区アザレアスの女子とはちがうのだと。そう。ハルがアナと出会うまでは。


 そんなティルティのまんしんを、あの他学区からの転入生はあっさりとくだいた。


 ハルに顔をこすりつけて、甘えていた彼女のことを思い出す。ハルが今まであんなふうにだれかを自分に近寄らせたことはなかった。

 親しいこいびと同士というよりも飼い主とペットのようなきよ感に思えたが、それすらも二人の親密さの表れだったのかもしれない。


 それを目にしたティルティは、なにも出来ないままげたのだ。

 そしてだれもいないはいきよかくれて、こんなふうに一人でくずれている。あまりの情けなさに、笑えてくる。しかしティルティには、ほかにどうすればいいのかわからない。


「ハル……」


 ティルティが羽織っているジャケットからは、ハルのにおいがした。そのえりもとに顔をうずめて、ティルティは強くくちびるめる。


 ジャケットの下の制服はボロボロに焼け落ちて、下着までもほぼ原形をとどめていない。だが、その下のはだは無傷だった。正確には、ひんの重傷を負ったティルティを、アナが聖属性ほうで再生してくれたらしい。

 好きな男子をうばわれただけでなく、その相手に命を救われた。これほどまでにみじめなじようきようがあるだろうか──


 ふふ、とティルティはちようするようなうつろな笑い声を洩らした。

 その背後で、なにかが動く気配があった。


だれ……!?」


 こうげき的なほうの構成をいくつかおもかべながら、ティルティはかえる。

 積み重なったれきがパラパラとくずれ、その下でなにかが動いていた。

 はんかいしたかべすきから、小さなそくじゆういずるようにして現れる。


「……ねこ?」


 ティルティの視線に気づいたねこが、弱々しくふるえた。

 うすよごれた白いねこだった。第七学区アザレアスみ着いていたねこだろうか。火災に巻きこまれて傷ついたのか、純白の毛並みはまみれだ。


「あなた……をしてるの? ひどい傷……ちょっと待ってて」


 ティルティは、そのうすよごれたねこに近づいてげた。

 ボロボロに傷ついたねこの姿が、今の自分と重なってなんとなく見捨てておけなかった。


「動かないでね」


 ふるえるねこきしめたまま、ティルティはほうを発動する。聖属性の回復ほうだ。


 全属性のほうに適性を持つティルティは、当然、聖属性のほうも使える。

 使う機会はあまり多くはないが、ティルティが最初に覚えたのも回復ほうだった。まだ幼いころ、をしたハルを治したくて必死に発動させたのだ。


「よしよし。もうだいじようよ」


 聖属性ほうの光に包まれたねこの傷が消え、ぐったりとしていた身体からだに力がもどってくる。

 ティルティはついでに聖水も生成して、うすよごれた身体からだも洗ってあげた。


 れた身体からだを風属性ほうかわかすティルティを、ねこはジッと見つめている。泣きらしたティルティを、心配しているような表情だ。


「もしかして、づかってくれてるの? だいじようよ、私はをしてるわけじゃないから」


 ティルティはそう言って弱々しくほほんだ。

 自分がなおな性格ではないことを自覚しているティルティだが、相手がねこなら強がる理由も、本心をつくろう必要もない。


「ずっと好きだった男の子を、ほかの子にられそうになって落ちこんでるだけ。うちの学区の生徒会長にも、彼を連れもどせって言われてたのにね……」


 こみ上げてくる悲しみをころして、ティルティはたんたんつぶやいた。

 よごれが落ちて白くなったねこが、なにかをうつたえるように小さく鳴いた。不思議なことにティルティは、そのねこの言葉が理解できるような気がした。


「──え? られたのなら、り返せばいい? それはそうなんだけど、それは難しいかな。本人の気持ちもあるからね」


 なぜ自分はねこを相手に真面目に説明しているのか。そんな疑問を覚えつつも、ティルティは言葉を続ける。そうしなければいけないような気がしたからだ。


「それに相手はすごくわいい子なのよね。美少女で胸が大きくて性格もよくて、あざといけものの耳もあって……」

けものの耳……ですか……』


 ティルティの話を聞いていたねこが、不意に口を開いてそう言った。

 そのことをティルティは疑問に思わなかった。だれかの使いでもないただのねこが人の言葉をしやべるという異常事態が、まるで当然のことのように感じられる。


『もしやそのむすめは、聖属性ほうの使い手ですか?』

「え? ええ、そうだけど……」

『犬を連れていませんでしたか?』

「へ? 犬?」

『ええ。やみのような黒い毛並みの犬です』

「連れてたけど……それより、あなた、なんで人間の言葉をしやべって……?」


 ぼんやりとかすみがかかったような思考の中で、ティルティはようやくかんを覚えてき返す。

 しかししろねこは構わず質問を続けた。


『そのむすめの名前、もしやアナセマでは?』

「どうして知ってるの?」


 ティルティはおどろきに目をいた。しろねこに対するけいかい心が今ごろになってこみ上げてきたが、だからといって相手の言葉を無視することもできなかった。

 なぜならしろねこは、ぞうに満ちた口調でこう続けたからだ。


『そのむすめは、じよです。ただの人間ではありません』

「は? じよ?」

『ええ、〝さいやく〟のしん、〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟とけいやくしたじよ──あなたのおもい人の心をうばったのも、もしかしたら〝さいやく〟の力を使ったのかもしれませんね』

「アナさんが、じよ……」