聖女と暴食

第四章 デスバイソンのラグーパスタ ②

 ティルティはしろねこを見返して弱々しくうめいた。

 欠けていたパズルのピースがまったように、様々な疑問が解けていく。


 アナセマ。忌まわしきものという名前を持つ少女。


 彼女はいったいどこから来たのか。いつの間にハルと親しくなったのか。どうしてハルはあれほどまでに彼女のことを気にかけているのか。彼女の正体はなんなのか──


「もしかして、ハルはたぶらかされてるの? じよに?」

『そのむすめが本当にアナセマならば、ほぼちがいなく』


 しろねこがきっぱりと言い切った。


 じよというのが、どういう存在なのかはわからない。しかしハルをだまして危害を加えようとしているのなら、彼女は敵だ。ティルティにとっても、第七学区アザレアスにとっても。


「どうすればハルを救えるの?」

『簡単なことです。じよほろぼせばいい』

「無理よ」

『なぜ?』

「アナさんのことは、ハルが守ってるもの。不意打ちでも、たぶん無理」


 ティルティは、ぎり、とおくを鳴らした。

 せんとう職の生徒としてのハルの強さは、ティルティがだれよりもよく知っている。まともに正面から戦えば当然勝ち目はないし、護衛としての彼の目をぬすんでアナを暗殺できるとも思えない。


 実際、ハルは学食部にいる間も、さりげなくアナの周囲をかんしていた。まるで王女を護衛する忠実なのように、彼はアナを見守り続けていたのだ。


『ならば、私が力を貸しましょう』


 ティルティの迷いをかしたように、しろねこが甘い言葉でゆうわくする。


「力を貸す……って、私に? あなたが?」

よう。我が名は、〝〟──ほのおの力をあやつる〝さいやく〟です』

「〝さいやく〟? 旧文明をほろぼしたどう兵器の? あなたも〝さいやく〟だというの?」


 不敵に笑うしろねこを見つめて、ティルティは声をふるわせた。


 しろねこのちっぽけな肉体から感じるりよくたるもので、〝さいやく〟の名に相応ふさわしい存在感もあつ感も感じない。だが、そのふんは、アナがいつも連れている黒犬のものによく似ていた。


 あの黒犬の正体が〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟だとしたら、このしろねこがあれと同等の存在だというくつにもなつとくできる。


『アナセマとけいやくした〝暴食の悪魔ベエルゼブブ〟も、私と同じ〝さいやく〟の一体です。同じ〝さいやく〟の力を使わなければ、じよたおせません』


 説明を続けるしろねこの言葉に、ティルティは小さくうなずいた。


「ハルは、本当にアナさんにたぶらかされているの?」

『それはあなたのほうがよくご存じなのでは?』


 揶揄からかうような口調でしろねこに聞かれて、ティルティはぎゅっとくちびるむ。


「あなたの力があれば、アナさんに勝てる?」

『それがあなたの望みならば、かなえましょう。美しい人よ、私とけいやくしますか?』


 しろねこが、人間くさく目を細めて笑う。

 その問いかけに、ティルティは迷わなかった。

 じようばわれたハルをもどすためなら、たましいえにしても構わない──


「いいわ、〝〟──私に力を貸しなさい」

けいやくは成立です』


 しろねこが満足そうにうなずいた。そして次のしゆんかん、その姿は細かなりゆうとなってくうけこみ、あとかたもなく消え去ったのだった。


2


「ハル様を取り調べですって!?」


 第七学区アザレアスの大通りで大火災が発生したその翌日、学食部のてんである食堂〝躑躅つつじてい〟では、ちょっとしたさわぎが起きていた。

 店をおとずれた生徒会のしつこう部員を、女子生徒たちの集団が取り囲んでつるし上げていたのだ。


「ふざけないでくださいませ! ハル様は私たちの命の恩人なのです! あのもうの中、自分の安全をかえりみず、私たちを助けに来てくださったんですのよ!」

「そうですわ! 元はといえば、あなた方、治安委員会が無能だからハル様の手をわずらわすことになったのでしょう!?」


 その時間、店にいた女子の客は十四、五人ほど。そのほとんどが、執行部隊ハンズ時代からの俺のファン──いわゆる追っかけと呼ばれている連中だった。

 働いている俺を見るために、わざわざ学食の如何物いかもの料理を食べに来たというとくな女子生徒たちだ。


 そして問題の生徒会しつこう部員はおろかにも、そんな彼女たちの前で、俺を取り調べに来たなどとうっかり口走ってしまった。そのことが彼女たちのいかりを買ったのだ。


「そ、それはわかってます。だから我々は、その件についてタカトーくんに事情ちようしゆを……」

「は!?」

「ハル様を呼び出して事情ちようしゆなんて、何様のつもりですの!?」

「生徒会にこうしますわ! あなた、無事に卒業できると思わないでくださいませ!」

「で、ですが……」


 真面目そうな男子のしつこう部員が、女子生徒たちにられて泣きそうな顔になっている。


 放火犯と思われる容疑者をたおした俺が事情を聴かれるのは、ある意味当然のことなのだが、そこに至るまでの手続きのやり方が気に入らない、というのが女子生徒たちの主張らしい。


 俺としては、しつこう部員の立場もわかるし、べつになにかが不満というわけではない。

 しかし昨夜の火災に〝さいやく〟がからんでいる以上、できれば生徒会とは話をしたくない。


 なのでしつこう部が女子生徒たちの圧力に負けて、取り調べがうやむやになってくれればいいというほのかな期待があった。それがこのさわぎを俺が放置している理由だ。


 もちろんあのそうぞうしい女子生徒たちに関わりたくないという気持ちもある。

 とはいえ、さすがにこのままさわぎが大きくなるのは、それはそれで問題だろう。そろそろ止めるか──と、かいにゆうするタイミングを俺が見計らっていると、不意に声をかけられた。


「やれやれ。きみの周りは相変わらずにぎやかだね、ハル」

「ヒオウ……」


 かえった俺のすぐそばで、長身の男子生徒がにこやかに笑っていた。

 特殊執行部隊インビジブル・ハンズ第二小隊隊長のヒオウ・レイセイン。


 ややけいはくそうな印象はあるが、おとぎ話の王子様を連想させる美形である。もっともやさしげな見た目とは裏腹に、この男がえげつないせんとう能力の持ち主であることを俺はよく知っている。


「ヒ、ヒオウ様?」

「ヒオウ様がハル様といつしよに……」

「なんて尊い……」


 しつこう部員をめていた女子生徒たちも、ヒオウの存在に気づいたらしい。躑躅つつじていの店内に、静かなざわめきが広がっていく。


 そしてヒオウは、どうようする女子生徒たちのすきをすりけるようにしてしつこう部員の男子に近づくと、彼のかたやさしく手を置いた。


「きみ、代わろう。ハルの事情ちようしゆは僕がやっておく。特殊執行部隊インビジブル・ハンズとしても、ハルに聞きたいことがいろいろあるからね」

「レイセインくん……」


 ヒオウの申し出を聞いた男子生徒は、ごくで仏に会ったとばかりに一も二もなくそれを受け入れた。そしてげるようにその場から立ち去っていく。


 しつこう部員を責めていた女子生徒たちも、ヒオウが俺の取り調べをするぶんには文句はないらしい。彼女たちは大人しく自分の席にもどって、俺とヒオウの様子を遠巻きにながめている。


 俺はうんざりと息をきながら、ヒオウを目立たない奥の席へと案内した。


「これが学食部の店か。ふんのあるいい店だね。おすすめのメニューはなんだい?」


 躑躅つつじていの店内を物めずらしそうに見回しながら、ヒオウが俺にいてくる。


「営業時間外だ。食事がしたければよそに行け」

「つれないな。めんどうな事情ちようしゆの手間を省いてやったのに」


 俺のれいたんな対応にも表情を変えずに、ヒオウは恩着せがましくそう言った。

 その言葉は事実だったので、俺は反論できずにかたをすくめる。


「あー……それについては感謝する」

「構わないよ。きみの気まぐれのしりぬぐいには慣れてるからね」


 ヒオウはさらりと皮肉を口にするが、俺はだまってうなずいた。

 俺がとうとつ特殊執行部隊インビジブル・ハンズ第一小隊の隊長をめたことで、だれよりもめいわくこうむったのはちがいなく第二小隊隊長のこの男だ。これくらいのいやを言われても仕方がない。むしろなぐられても文句が言えないところだ。


「飲み物をお持ちしました。コーヒーですけど、よかったですか?」


 気まずいちんもくを続ける俺の代わりに、ヒオウに呼びかけたのはアナだった。

 エプロンドレス姿の彼女は、気をかせてヒオウと俺にコーヒーを運んできたらしい。


「やあ、ありがとう。また会ったね、アナさん」


 ヒオウはアナを見上げて、ほがらかに笑った。

 アナが第七学区アザレアスにやってくる直前、たった一度会っただけの彼女の顔と名前を、ヒオウはしっかりと覚えていたらしい。


「どう? 第七学区アザレアスにはもう慣れた?」

「はい。ここはご飯がとてもしいです」


 ヒオウの前にコーヒーカップを置きながら、アナはうれしそうにそう答えた。

 期待していた返事とはちがっていたはずだが、ヒオウはそれをおくびにも出さずにあい良くうなずく。