聖女と暴食

第四章 デスバイソンのラグーパスタ ③

「それはよかった。ハルにはめいわくはかけられてない?」

だいじようです。ハルくんは、やさしいので」

「へえ……」


 アナの答えが意外だったのか、ヒオウはかいそうに俺に目を向けた。


「なんだ、その顔は」


 俺は不満げにヒオウをにらみ返す。


「いやいや。ハルのやさしさに気づくなんて、アナさんは見る目があるなと思ってね」

「そうですか……?」


 ハルくんはわかりやすいですよ、とアナは不思議そうに小首をかしげた。

 それを見てヒオウはますますたのしげな顔になる。


「ヒオウさんは、ハルくんのお友達なんですよね?」

「そうだね。むしろ大親友って感じかな。だからハルのことでなやんだらいつでも相談して欲しいな。僕のれんらく先を教えておくよ。生徒証を出して」

「あ、はい……これですか?」


 アナはヒオウに言われるままに、自分のIDカードを取り出した。


 金属製のそのプレートは単なる身分証ではなく、ほう通信のたんまつねている。登録された相手の生徒証に、短文のメッセージを送ることができるのだ。

 ヒオウはアナの生徒証に自分の生徒証を重ねて、れんらく先として登録した。

 俺は目つきを険しくしながら、その一連のやり取りを見ていた。

 ヒオウが自分のれんらく先を、女子に教えるというのはめつにないことだ。


 なんのつもりでそんなことをしているのか──ろくでもないことをたくらんでいるのはちがいないが、だからといってそれをやめさせる理由もない。


「うん。これからよろしくね、アナさん」


 れんらく先のこうかんを終えたヒオウが、ほほみながら自分の生徒証をう。

 俺は冷ややかな目つきで、そんなヒオウをめつけた。


「おまえはいったいなにをしに来たんだ、ヒオウ?」

「ふーん……いてるわけじゃなさそうだね。けいかいかな? ずいぶん彼女のことを気にかけているね、ハル」

「いちおう俺が保護した形になってるからな」

「そういえばそうだったね」


 俺の反応をうかがうようにジッとこちらを観察しながら、ヒオウはうなずく。


「まあいいや。今日、きみに会いに来たのは、もちろん昨晩の話を聞くためだよ。例の火災を引き起こした第二十六学区ペンタス陸戦隊の男子生徒、きみがたおしてくれたんだろ?」

「正確には、第二十六学区ペンタス陸戦隊の男子生徒だった死体……だな」


 俺はヒオウの発言を静かにていせいした。

 ヒオウは満足げにくちびるはしげる。


「やはりハルも気づいていたんだね」

「リィカ・タラヤからも話を聞いていたしな。メテオライトの内部で、やつとそうぐうしたことがあるそうだな?」

「そうか。リィカさんはきみの部下だったね。きみが執行部隊ハンズめたことでだいぶ落ちこんでたみたいだけど」

「そんなことを言われてもな……」


 俺は苦々しい気分で目をらした。特殊執行部隊インビジブル・ハンズもどってきて欲しいと、この店で彼女に泣かれたことを思い出したのだ。


 しかし昨夜のせんとうで俺があまりどうようせずに済んだのは、第二十六学区ペンタス陸戦隊の生徒が死人だったという彼女の情報のおかげだった。そのことを思えば、彼女には感謝するべきなのだろう。


「──死後二カ月がっていたそうだよ」

「死後二カ月?」

りよう研究会のぶんせき結果。きみがたおした男子生徒の死体は、少なくとも二カ月前には生命活動を停止していたことが判明している。第二十六学区ペンタスにいる内通者の話では、ちょうどその時期に陸戦隊の一個小隊がになっていたらしい」

「そうか」


 ヒオウの説明に、おどろきはなかった。

 陸戦隊の生徒たちは任務中のせんとうぜんめつし、彼らの死体だけが〝〟にあやつられて二カ月以上も地上をうろついていたのだ。


はんごんほう……だろうな」

「聖属性の死者せいほうか。あり得るね」


 俺の仮説を、ヒオウはあっさりと受け入れた。


「だとすると、あの〝死体〟をあやつっていた犯人がべつにいるということにはならないかい? リッチ化していたという可能性もないわけじゃないけど、リッチにしては弱すぎた」

「そうかもな」


 さすがにするどい、と俺は内心で舌を巻く。


 死者せいほうと呼ばれるはんごんほうだが、実際に死者を生き返らせることはできず、アンデッド化した死体を動かしているだけである。ほかのだれかに命じられない限り、アンデッドたちが生前と同じような複雑な行動を取ることはできない。


 高位アンデッドであるリッチの場合はを残している場合もあるが、直接戦ったヒオウは、あれがリッチなどではなく、だれかにあやつられているだけだと気づいたのだろう。さすがにその犯人が意志を持つどう兵器である〝さいやく〟ということまではわかっていないはずだが──


「心当たりは?」

「なぜ俺にく?」

「んー……なんとなく?」


 ヒオウは俺を見つめたまま、揶揄からかうようにそう言った。


第七学区アザレアスの関係者が、あの〝死体〟とそうぐうしたのは二回目だ。一度目はアストキク地区のメテオライト内部。二度目が今回。その両方に共通しているのは──」

「俺か」

「きみとアナさん、だよ」


 内心のどうようを表に出さないように、俺はだまって首をかしげた。ただのぐうぜんだと言い張れば言い張れなくもない程度の浅いこんきよだ。ムキになって否定するほうがあやしまれるにちがいない。

 ヒオウも、俺の反論を期待していたわけではないのだろう。返事を待たずに、一方的に会話を続ける。


「というわけで、ハル。警告だ。もしあの〝死体〟をあやつっている黒幕がいるとしたら、きみたちがまたねらわれる可能性が高い。気をつけて」

「……事情ちようしゆはもういいのか?」


 ヒオウがあっさりと話を切り上げたことに、俺はひようけしたような気分でき返した。


「報告書は、僕のほうで適当に処理しておくよ。実際きみが昨晩やったのは消火活動と、なぜか第七学区アザレアスまぎれこんでいたアンデッドを真っ二つにしたことだけだからね」

「まあ、そうだな」


 まどう俺をおもしろそうに見つめて、ヒオウはコーヒーをひと口すすった。


しいね、このコーヒー……独特の風味というか、後味というか……」

ものふんから採取した未消化のコーヒー豆を、ばいせん加工したものだそうだ。高級品らしいぞ」

ふん……」


 ヒオウはなんとも言えない表情をかべて、コーヒーカップの中の液体をながめた。いつもゆうぜんとしているこの男が、そんな顔をするのはめずらしい。


「なるほど、そうか……そういえば、この店は如何物いかもの料理の専門店だったね」

「ああ」

おもしろい子だね、彼女」


 感情の読めないしようかべたまま、ヒオウは調理場にいるアナをいちべつした。


「ハルが学食部にせきしたのは、彼女のためなんだろ?」

「そうだ」

「あっさり認めたね」

「おまえ相手にかくごとをしても意味がないからな」

「いじりがないのは残念だけど、そう言われると悪い気はしないね」


 俺の言葉を聞いたヒオウは、まんざらでもないという様子でかたをすくめた。


 やさしげで人当たりのいいヒオウだが、人の心を読むことにけており、実際はかなりの腹黒だ。会話のきやだまし合いで、こいつに勝てる自信はない。

 かくしてもな情報は、なおいたほうが傷が浅く済む。


「だけど、ああいう子がハルの好みというのは意外だったな」

「……好み?」


 ヒオウの言葉の意味がわからず、俺は本気で首をひねった。


 俺にとってのアナは〝さいやく〟を保有するかん対象であり、目のはなせない危険人物というにんしきだ。やつかいな存在だとは思うが、きらいで判断する対象ではまったくない。


「僕としては幼なじみのよしみでティルティのかたを持ちたい気分だけどね。まあこればかりは仕方ないかな」


 ヒオウは真面目ぶった口調でそんなことを言う。俺が重要な情報をかくしているのだから仕方ないことだが、こいつでもそんなかんちがいをするのだな、と少し意外に思う。


「そういえばティルティはいつしよじゃないのかい? 彼女、学食部に出向中なんだろ?」

「ティルティか……」


 ヒオウの質問に、俺は小さく顔をしかめた。


 昨夜以来、俺はティルティの顔を一度も見ていない。俺にしがみつくアナを見てなにかかんちがいをした彼女は、おこったままどこかに行ってしまって学食部にはもどってこなかったのだ。


 誤解されたままというじようきようやつかいだが、実害があるというほどでもない。第七学区アザレアスの生徒でティルティにけんを売るようなぼうな生徒もいないだろうし、ほっといても問題はないだろう。


 俺がそんなことを考えていると、ヒオウのむなもとみみざわりな電子音が鳴り出した。

 その音の正体を、俺はよく知っていた。生徒会からの最優先通信。特殊執行部隊インビジブル・ハンズに対するきんきゆう出動ようせいである。


「なにがあった、ヒオウ?」


 通信たんまつながめるヒオウに、俺はたずねる。

 めずらしくいつものうすみを消したヒオウは、立ち上がって静かにつぶやいた。


「救助のらいだよ。第七学区アザレアスに食料を運んでいたこうばい部の輸送船が、ものの群れにおそわれたらしい」