「それはよかった。ハルには迷惑はかけられてない?」
「大丈夫です。ハルくんは、優しいので」
「へえ……」
アナの答えが意外だったのか、ヒオウは愉快そうに俺に目を向けた。
「なんだ、その顔は」
俺は不満げにヒオウを睨み返す。
「いやいや。ハルの優しさに気づくなんて、アナさんは見る目があるなと思ってね」
「そうですか……?」
ハルくんはわかりやすいですよ、とアナは不思議そうに小首を傾げた。
それを見てヒオウはますます愉しげな顔になる。
「ヒオウさんは、ハルくんのお友達なんですよね?」
「そうだね。むしろ大親友って感じかな。だからハルのことで悩んだらいつでも相談して欲しいな。僕の連絡先を教えておくよ。生徒証を出して」
「あ、はい……これですか?」
アナはヒオウに言われるままに、自分のIDカードを取り出した。
金属製のそのプレートは単なる身分証ではなく、魔法通信の端末を兼ねている。登録された相手の生徒証に、短文のメッセージを送ることができるのだ。
ヒオウはアナの生徒証に自分の生徒証を重ねて、連絡先として登録した。
俺は目つきを険しくしながら、その一連のやり取りを見ていた。
ヒオウが自分の連絡先を、女子に教えるというのは滅多にないことだ。
なんのつもりでそんなことをしているのか──ろくでもないことを企んでいるのは間違いないが、だからといってそれをやめさせる理由もない。
「うん。これからよろしくね、アナさん」
連絡先の交換を終えたヒオウが、微笑みながら自分の生徒証を仕舞う。
俺は冷ややかな目つきで、そんなヒオウを睨めつけた。
「おまえはいったいなにをしに来たんだ、ヒオウ?」
「ふーん……妬いてるわけじゃなさそうだね。警戒かな? ずいぶん彼女のことを気にかけているね、ハル」
「いちおう俺が保護した形になってるからな」
「そういえばそうだったね」
俺の反応をうかがうようにジッとこちらを観察しながら、ヒオウはうなずく。
「まあいいや。今日、きみに会いに来たのは、もちろん昨晩の話を聞くためだよ。例の火災を引き起こした第二十六学区陸戦隊の男子生徒、きみが倒してくれたんだろ?」
「正確には、第二十六学区陸戦隊の男子生徒だった死体……だな」
俺はヒオウの発言を静かに訂正した。
ヒオウは満足げに唇の端を吊り上げる。
「やはりハルも気づいていたんだね」
「リィカ・タラヤからも話を聞いていたしな。落下物の内部で、やつと遭遇したことがあるそうだな?」
「そうか。リィカさんはきみの部下だったね。きみが執行部隊を辞めたことでだいぶ落ちこんでたみたいだけど」
「そんなことを言われてもな……」
俺は苦々しい気分で目を逸らした。特殊執行部隊に戻ってきて欲しいと、この店で彼女に泣かれたことを思い出したのだ。
しかし昨夜の戦闘で俺があまり動揺せずに済んだのは、第二十六学区陸戦隊の生徒が死人だったという彼女の情報のおかげだった。そのことを思えば、彼女には感謝するべきなのだろう。
「──死後二カ月が経っていたそうだよ」
「死後二カ月?」
「医療研究会の分析結果。きみが倒した男子生徒の死体は、少なくとも二カ月前には生命活動を停止していたことが判明している。第二十六学区にいる内通者の話では、ちょうどその時期に陸戦隊の一個小隊が未帰還になっていたらしい」
「そうか」
ヒオウの説明に、驚きはなかった。
陸戦隊の生徒たちは任務中の戦闘で全滅し、彼らの死体だけが〝豹頭の悪魔〟に操られて二カ月以上も地上をうろついていたのだ。
「反魂法……だろうな」
「聖属性の死者蘇生魔法か。あり得るね」
俺の仮説を、ヒオウはあっさりと受け入れた。
「だとすると、あの〝死体〟を操っていた犯人がべつにいるということにはならないかい? リッチ化していたという可能性もないわけじゃないけど、リッチにしては弱すぎた」
「そうかもな」
さすがに鋭い、と俺は内心で舌を巻く。
死者蘇生魔法と呼ばれる反魂法だが、実際に死者を生き返らせることはできず、アンデッド化した死体を動かしているだけである。ほかの誰かに命じられない限り、アンデッドたちが生前と同じような複雑な行動を取ることはできない。
高位アンデッドであるリッチの場合は自我を残している場合もあるが、直接戦ったヒオウは、あれがリッチなどではなく、誰かに操られているだけだと気づいたのだろう。さすがにその犯人が意志を持つ魔導兵器である〝災厄〟ということまではわかっていないはずだが──
「心当たりは?」
「なぜ俺に訊く?」
「んー……なんとなく?」
ヒオウは俺を見つめたまま、揶揄うようにそう言った。
「第七学区の関係者が、あの〝死体〟と遭遇したのは二回目だ。一度目はアストキク地区の落下物内部。二度目が今回。その両方に共通しているのは──」
「俺か」
「きみとアナさん、だよ」
内心の動揺を表に出さないように、俺は黙って首を傾げた。ただの偶然だと言い張れば言い張れなくもない程度の浅い根拠だ。ムキになって否定するほうが怪しまれるに違いない。
ヒオウも、俺の反論を期待していたわけではないのだろう。返事を待たずに、一方的に会話を続ける。
「というわけで、ハル。警告だ。もしあの〝死体〟を操っている黒幕がいるとしたら、きみたちがまた狙われる可能性が高い。気をつけて」
「……事情聴取はもういいのか?」
ヒオウがあっさりと話を切り上げたことに、俺は拍子抜けしたような気分で訊き返した。
「報告書は、僕のほうで適当に処理しておくよ。実際きみが昨晩やったのは消火活動と、なぜか第七学区に紛れこんでいたアンデッドを真っ二つにしたことだけだからね」
「まあ、そうだな」
戸惑う俺を面白そうに見つめて、ヒオウはコーヒーをひと口啜った。
「美味しいね、このコーヒー……独特の風味というか、後味というか……」
「魔物の糞から採取した未消化のコーヒー豆を、焙煎加工したものだそうだ。高級品らしいぞ」
「糞……」
ヒオウはなんとも言えない表情を浮かべて、コーヒーカップの中の液体を眺めた。いつも悠然としているこの男が、そんな顔をするのはめずらしい。
「なるほど、そうか……そういえば、この店は如何物料理の専門店だったね」
「ああ」
「面白い子だね、彼女」
感情の読めない微笑を浮かべたまま、ヒオウは調理場にいるアナを一瞥した。
「ハルが学食部に移籍したのは、彼女のためなんだろ?」
「そうだ」
「あっさり認めたね」
「おまえ相手に隠し事をしても意味がないからな」
「いじり甲斐がないのは残念だけど、そう言われると悪い気はしないね」
俺の言葉を聞いたヒオウは、満更でもないという様子で肩をすくめた。
優しげで人当たりのいいヒオウだが、人の心を読むことに長けており、実際はかなりの腹黒だ。会話の駆け引きや騙し合いで、こいつに勝てる自信はない。
隠しても無駄な情報は、素直に吐いたほうが傷が浅く済む。
「だけど、ああいう子がハルの好みというのは意外だったな」
「……好み?」
ヒオウの言葉の意味がわからず、俺は本気で首を捻った。
俺にとってのアナは〝災厄〟を保有する監視対象であり、目の離せない危険人物という認識だ。厄介な存在だとは思うが、好き嫌いで判断する対象ではまったくない。
「僕としては幼なじみのよしみでティルティの肩を持ちたい気分だけどね。まあこればかりは仕方ないかな」
ヒオウは真面目ぶった口調でそんなことを言う。俺が重要な情報を隠しているのだから仕方ないことだが、こいつでもそんな勘違いをするのだな、と少し意外に思う。
「そういえばティルティは一緒じゃないのかい? 彼女、学食部に出向中なんだろ?」
「ティルティか……」
ヒオウの質問に、俺は小さく顔をしかめた。
昨夜以来、俺はティルティの顔を一度も見ていない。俺にしがみつくアナを見てなにか勘違いをした彼女は、怒ったままどこかに行ってしまって学食部には戻ってこなかったのだ。
誤解されたままという状況は厄介だが、実害があるというほどでもない。第七学区の生徒でティルティに喧嘩を売るような無謀な生徒もいないだろうし、ほっといても問題はないだろう。
俺がそんなことを考えていると、ヒオウの胸元で耳障りな電子音が鳴り出した。
その音の正体を、俺はよく知っていた。生徒会からの最優先通信。特殊執行部隊に対する緊急出動要請である。
「なにがあった、ヒオウ?」
通信端末を眺めるヒオウに、俺は尋ねる。
めずらしくいつもの薄笑みを消したヒオウは、立ち上がって静かに呟いた。
「救助の依頼だよ。第七学区に食料を運んでいた購買部の輸送船が、魔物の群れに襲われたらしい」