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生徒会執行部の女子寮は、中世ヨーロッパのマナーハウスを模した瀟洒な建物だった。
寮から出てきた顔見知りの執行部員を呼び止めて、俺はティルティを呼び出して欲しいと依頼する。彼女と音信不通になってから、すでに一週間が経っていたからだ。
体調を崩して寝込んでいるのではないかとアナが騒ぐので、せめて安否だけでも確認しておこうと思ったのだ。
しかし呼び止めた女子生徒からの反応は、少し意外なものだった。
「ティルティ・カルナイム様……ですか?」
彼女は困ったように眉尻を下げて、隣にいた友人たちと目を合わせる。
「そういえば、ここしばらくお見かけしていませんね」
「たしかティルティ様は、監査官として学食部に出向なさっているのでは……?」
「そうでしたわね。でしたら、学食部の寮で過ごされているのでは……?」
曖昧にうなずき合う女子生徒たちを見て、俺はこっそりと溜息をついた。
彼女たちの反応を見る限り、ティルティは生徒会の女子寮にも帰っていなかったらしい。つまりあの火災が起きた夜以来、彼女は行方不明になっているということになる。
「そうか。呼び止めて済まなかった」
「いえ、こちらこそお役に立てずに申し訳ありませんでしたわ」
緊張気味に頭を下げる女子生徒たちに礼を言って、俺は生徒会の女子寮から離れた。
ティルティの不在について俺が騒ぎ立てると、彼女の立場が悪くなる。ひとまずこの場では何事もなかったかのように振る舞うべきだと判断したのだ。
そのまま俺が学食部のほうへと戻っていると、アナが小走りで駆け寄ってきた。
彼女とティルティを会わせると気まずい空気になりそうな気がしたので、離れた場所で待機していろと俺が命じておいたのだ。
「ティルティさん、生徒会の寮にもいなかったんですか?」
「そうみたいだな」
「やっぱり私のせいなんでしょうか?」
しゅん、と獣の耳を伏せながらアナが俯く。俺は曖昧に首を振った。
正直に言えば、俺にはティルティがなぜあそこまで怒ったのか理解できなかった。
自制心を失ったアナは飼い主に甘えるペットのように俺にくっついていたが、そのことでティルティに迷惑をかけたわけではないからだ。
たしかにアナの行動は不用心だったが、あの時点ではすでに戦闘も終わっており、周囲に危険もなかった。ティルティが腹を立てる要素はなかったはずである。
「無関係とは言わないが、あれはティルティの勘違いが原因だろう。きみが責任を感じるようなことじゃない」
「でも、もしティルティさんが世を儚んで、自ら命を絶つようなことになったら……」
「そこまで思い詰める要素はないと思うが……せいぜいヤケ喰いして終わりじゃないか?」
俺の言葉を聞いたアナが、ハッと顔を上げた。
「そうですね。美味しいものを食べると元気が出ますもんね。ティルティさんが帰ってきたときに備えて、美味しいものを用意しておきます!」
「ああ、そうだな」
急に前向きになったアナを眺めて、俺は適当な相槌を打つ。
しかし一人でやる気を出していたアナが、周囲の街並みを見回して怪訝な顔をした。
「でも……気のせいでしょうか。閉まってるお店が多い気がするのですが」
「そうだな……」
妙に寂れた雰囲気の大通りを、俺は苦々しげな気分で睨む。
真っ昼間から店を閉めているのは、主に飲食店と食料品店だ。それは現在の第七学区が抱える重大な問題──すなわち食料不足を象徴するような光景なのだった。
◇◆◇
「は? 野菜が入荷してない?」
俺とアナが学食部の店に戻ると、作業場のほうからラフテオの荒々しい声が聞こえてきた。
注文したはずの野菜が届かなかったことに、困惑を覚えているらしい。
「どういうことだ? 流通が滞ってるのは、培養肉だけじゃなかったのか?」
「報道部のチャンネル、見てないの? また襲われたらしいよ、購買部の食料輸送船」
部長のリュシエラが、のんびりとした口調で説明する。
それに対して驚きの声を上げたのは、私服姿のマコットだった。
「えー……またぁ? 今週に入って五隻目だよね?」
「……六隻目。今日は東航路と西航路で、それぞれ一隻ずつ襲われてるから」
ミネオラの説明に、マコットが「マジで?」と声を高くする。
そう。第七学区の突然の食料不足は、他の学区から食料を運んでくる輸送船の遭難が原因だった。
俺たちが〝学園〟と呼んでいるのは、北大陸に点在する七十二の学区──すなわち閉鎖環境都市の集合体である。
それぞれの学区には、培養肉や野菜を生産する工場が存在するが、だからといってすべての学区が必要な食料を完全に自給しているわけではない。
たとえば第七学区の食料自給率はわずか三十パーセント足らず。これは歴代の生徒会が、自前で食料を生産するよりも他の学区から安く仕入れて、そのぶんの余力で投資や商取引に力を入れることを選択したからだ。
結果的に第七学区では、商業が発展して豊かになった。
その一方で、食料供給に関して深刻な脆弱性を抱えることになった。
実際、輸送船が何隻か止まっただけで、こうしていきなり深刻な食料不足に陥る有様だ。
「襲われてるのって、第七学区の輸送船だけなんでしょ? それって完全に狙われてるよね?」
「狙われてる? 輸送船を襲ってきたのは魔物の群れじゃなかったのか?」
マコットの無責任な発言に、ラフテオが不思議そうに訊き返す。
「購買部の証言だとそうみたいだね。群れというより、魔物の集団って感じかな。何種類もの魔物が一斉に襲撃してきたみたいだから。B級以上の魔物だけでも全部で百体を超えてたとか」
リュシエラがラフテオの質問に答えた。それを聞いた全員が怪訝な顔をする。
群れを成す魔物はめずらしくないし、ほかの種族に寄生したり、共生している魔物も報告されている。しかし何種類もの魔物が同時に行動するという例はあまり聞いたことがない。
「もしかして……魔物暴走?」
ミネオラが、こてんと首を傾けて呟いた。
火山活動などの自然災害や、魔物の異常繁殖、あるいは龍種などのような強大な魔物に追われて、その付近の土地に住む魔物が一斉に移動を始めることがある。それがいわゆる魔物暴走だ。
魔物暴走は一度発生してしまうと制御不能であり、それに巻きこまれた運の悪い学区は、壊滅的な被害を受けることになる。
「魔物暴走にしては規模が小さいけど、状況としてはよく似てるね。もっとも輸送船を襲うだけの魔物暴走というのは聞いたことがないな」
リュシエラが微笑みながら首を振った。
「どこかの学区が裏で糸を引いてるとか?」
マコットが唐突な思いつきを口にする。
リュシエラは、ふむ、と顎に手を当てて少し考えこんだ。それから俺のほうへと向き直る。
「きみはどう思う、ハル・タカトー?」
「襲ってきた魔物が一体や二体なら、固有能力持ちの生徒が魔物を操ってる可能性はあるかもしれないが、さすがに百体以上は無理があるだろう」
なぜ俺に訊くんだ、と顔をしかめつつ、俺は冷静に指摘した。
「あり得るとすれば、大規模な儀式魔法や魔道具が使われた可能性だが……そこまでして第七学区の輸送船を襲う理由がわからないな」
「たしかにね。船を乗っ取るとか、食料を横取りするってことならまだしも、輸送船を魔物に襲わせても、それで誰かが得をするわけじゃないからね」
リュシエラが納得したように首を縦に振る。
「原因はともかくさあ、このまま輸送船が襲われ続けたらまずくない? 生鮮食品とか早くも品薄になってるじゃん」
マコットが不満げに唇を尖らせた。
「先週の火災の影響もありそうだな」
ラフテオが不愉快そうに鼻を鳴らす。
先週の火災というのは、〝豹頭の悪魔〟に操られた〝死体〟が起こした襲撃事件のことだ。事件現場が港湾近くだったせいで、第七学区の食料備蓄倉庫が、いくつか焼失したらしい。
「そうだね。倉庫街にはけっこうな被害が出たらしいからね。まあ、合成肉や人工デンプンの工場は無事だから、生徒が餓死するようなことはないだろうけど」
リュシエラが苦笑しながら言った。
いかに食料自給率の低い第七学区とはいえ、今回のような非常事態に備えて、非常用食料の製造プラントは用意されている。
食料危機とは言いつつも、生徒たちに余裕があるのはそのためだ。ただし問題は、そうやって生産される食品の味である。
「じ……人工デンプン……」
『冗談ではないぞ』
リュシエラの言葉を聞いたアナが青ざめ、黒犬のゼブがわかりやすく憤慨した。
天環育ちの彼女たちにも、工場製の食材の味はよくわかっているらしい。